白い砂浜から水平線にかけて続く、青のグラデーション。なぎさに沿うように建てられた国立ハンセン病療養所「宮古南静園」(沖縄県宮古島)を訪れた女性(59)がつぶやいた。「生まれたことに感謝してる」 かつて「奇跡の子」と言われた。強制的な人工中絶をくぐり抜け、生まれてきたからだった。 旧優生保護法(1948~96年)は、ハンセン病も強制手術の対象にしていた。生まれた当時、沖縄は米軍統治下で同法の適用はなかったが、園では戦時中から「妊娠すれば堕胎」が続いていた。 ハンセン病が子に感染するとの誤解があり、同法と同じように、「不良な子孫」が生まれないようにするためだった。身ごもった母は、堕胎を当然視され、腹部に薬液のようなものを注射された。しかし、「失敗」した。女性は奇跡的に生を受け、感染もなかった。