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仮名垣魯文と梅素玄魚に関するschriftのブックマーク (1)

  • 淡島寒月 明治十年前後

    明治十年前後の小説界について、思い出すままをお話してみるが、震災のため蔵書も何も焼き払ってしまったので、詳しいことや特に年代の如きは、あまり自信をもって言うことが出来ない。このことは特にお断りして置きたい。 一体に小説という言葉は、すでに新しい言葉なので、はじめは読(よみほん)とか草双紙(くさぞうし)とか呼ばれていたものである。が、それが改ったのは戊辰(ぼしん)の革命以後のことである。 その頃はすべてが改った。言い換えれば、悉(ことごと)く旧物を捨てて新らしきを求め出した時代である。『膝栗毛』や『金の草鞋(わらじ)』よりも、仮名垣魯文(かながきろぶん)の『西洋道中膝栗毛』や『安愚楽鍋』などが持(も)て囃(はや)されたのである。草双紙の挿絵(さしえ)を例にとって言えば、『金花七変化』の鍋島騒動(なべしまねこそうどう)の小森半之丞に、トンビ合羽(がっぱ)を着せたり、をはかせたりしている。

    schrift
    schrift 2008/12/13
     「劇評では六二連(ろくにれん)の富田砂燕(とみたさえん)という人がいた。この人の前には梅素玄魚という人がいた。後にこの人は楽屋白粉(がくやおしろい)というものをつくって売り出すような事をしたものであ
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