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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (34)

  • 夢野久作 猟奇歌

    殺すくらゐ 何でもない と思ひつゝ人ごみの中を 濶歩して行く ある名をば 叮嚀(ていねい)に書き ていねいに 抹殺をして 焼きすてる心 ある女の写真の眼玉にペン先の 赤いインキを 注射して見る この夫人をくびり殺して 捕はれてみたし と思ふ応接間かな わが胸に邪悪の森あり 時折りに 啄木鳥の来てたゝきやまずも *     *     * 此の夕べ 可愛き小鳥やは/\と 締め殺し度く腕のうづくも よく切れる剃刀を見て 鏡をみて 狂人のごとほゝゑみてみる 高く/\煙突にのぼり行く人を 落ちればいゝがと 街路から祈る 殺すぞ! と云へばどうぞとほゝゑみぬ 其時フツと殺す気になりぬ 人の来て 世間話をする事が 何か腹立たしく殺し度くなりぬ 今のわが恐ろしき心知るごとく ストーブの焔 くづれ落つるも ピストルのバネの手ざはり やるせなや 街のあかりに霧のふるとき ぬす人の心を抱きて 大なる煉瓦の家に

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    schrift 2021/09/11
  • 大杉栄 新しき世界の為めの新しき芸術

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    schrift 2020/08/31
  • 新しき世界の為めの新しき芸術 (大杉 栄)

    文学者、思想家。「自立した個人の絶対的自由」を求める徹底した個人主義者及び社会主義者として知られる。関東大震災の際、憲兵隊にとらえられ、虐殺された。 「大杉栄」

    新しき世界の為めの新しき芸術 (大杉 栄)
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    schrift 2020/08/31
  • 梅崎春生 幻化

    五郎は背を伸ばして、下界を見た。やはり灰白色の雲海(うんかい)だけである。雲の層に厚薄があるらしく、時々それがちぎれて、納豆(なっとう)の糸を引いたような切れ目から、丘や雑木林や畠や人家などが見える。しかしすぐ雲が来て、見えなくなる。機の高度は、五百米(メートル)くらいだろう。見おろした農家の大ささから推定出来る。 五郎は視線を右のエンジンに移した。 〈まだ這(は)っているな〉 と思う。 それが這っているのを見つけたのは、大分(おおいた)空港を発って、やがてであった。豆粒(まめつぶ)のような楕円形(だえんけい)のものが、エンジンから翼の方に、すこしずつ動いていた。眺めているとパッと見えなくなり、またすこし離れたところに同じ形のものがあらわれ、じりじりと動き出す。さっきのと同じ虫(?)なのか、別のものなのか、よく判らない。幻覚なのかも知れないという懸念(けねん)もあった。 病院に入る前、五郎

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    schrift 2020/08/15
    “入院前に読んだ旅行記、たしか北杜夫という作家の種子島紀行の一節に、 『ダスラ(この土地ではゼンソクタバコと呼ぶ)の白い花などが目につく』”
  • 中井正一 「見ること」の意味

    見るということは、光の物理作用と、眼の知覚作用の総合作用だと誰でも考えているし、またそれにちがいはない。素朴的にいわば客観を主観にうつしとる作用だという考えかたである。しかし、このうつすということも、考えだせばかぎりもない複雑なことを含んでいるのである。「うつす」という言葉には大体、映す、移す、といったように、一つの場所にあるものを、ほかの場所に移動しまたは射影して、しかも両者が等値的な関連をもっていることを指すのである。 等値的関連をもっている意味では連続的であるが、二つの場所にそれが離れる意味では非連続的である。うつすということの底にはすでに、この連続と非連続の問題も深く横たわっているのである。したがって、見ることも、質的に考えると、うつすことの行為の意味で、この間題の上に成立しているのである。 見るということも何でもないようだが、理屈をつけてみれば、とんでもないむつかしいこととなっ

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    schrift 2020/08/02
    “「見ること」の正しさを守りつづけること、そして大衆を見ることの正しさの中に奪いかえすこと、この戦いが否定を媒介としてみずからを対象化するという、さながらの物になりきるという、「見ること」、そのことの
  • 夏目漱石 坊っちゃん

    親譲(おやゆず)りの無鉄砲(むてっぽう)で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰(こし)を抜(ぬ)かした事がある。なぜそんな無闇(むやみ)をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談(じょうだん)に、いくら威張(いば)っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃(はや)したからである。小使(こづかい)に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼(め)をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴(やつ)があるかと云(い)ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。 親類のものから西洋製のナイフを貰(もら)って奇麗(きれい)な刃(は)を日に翳(かざ)して、友達(ともだち)に見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受け合っ

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    schrift 2020/03/11
  • 夏目漱石 こころ

    私(わたくし)はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで名は打ち明けない。これは世間を憚(はば)かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執(と)っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字(かしらもじ)などはとても使う気にならない。 私が先生と知り合いになったのは鎌倉(かまくら)である。その時私はまだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書(はがき)を受け取ったので、私は多少の金を工面(くめん)して、出掛ける事にした。私は金の工面に二(に)、三日(さんち)を費やした。ところが私が鎌倉に着いて三日と経(た)たないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなか

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    schrift 2020/03/11
  • 泉鏡花 売色鴨南蛮

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    schrift 2020/03/11
  • 菊池寛 恩讐の彼方に

    一 市(いち)九郎(ろう)は、主人の切り込んで来る太刀を受け損じて、左の頬から顎へかけて、微傷ではあるが、一太刀受けた。自分の罪を――たとえ向うから挑まれたとはいえ、主人の寵妾と非道な恋をしたという、自分の致命的な罪を、意識している市九郎は、主人の振り上げた太刀を、必至な刑罰として、たとえその切先を避くるに努むるまでも、それに反抗する心持は、少しも持ってはいなかった。彼は、ただこうした自分の迷いから、命を捨てることが、いかにも惜しまれたので、できるだけは逃れてみたいと思っていた。それで、主人から不義をいい立てられて切りつけられた時、あり合せた燭台を、早速の獲物として主人の鋭い太刀先を避けていた。が、五十に近いとはいえ、まだ筋骨のたくましい主人が畳みかけて切り込む太刀を、攻撃に出られない悲しさには、いつとなく受け損じて、最初の一太刀を、左の頬に受けたのである。が、一旦血を見ると、市九郎の心は

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    schrift 2019/10/15
    何度読んでも泣いてしまう
  • 室生犀星 芥川の原稿

    まだそんなに親しい方ではなく、多分三度目くらいに訪ねた或日、芥川の書斎には先客があった。先客はどこかの雑誌の記者らしく、芥川に原稿の強要をしていたのだが、芥川は中央公論にも書かなければならないし、それにも未だ手を付けていないといって強固に断った。その断り方にはのぞみがなく、どうしても書けないときっぱり言い切っているが、先客は断わられるのも覚悟して遣って来たものらしく、なまなかのことで承知しないで、たとえ、三枚でも五枚でもよいから書いてくれるようにいい、引き退がる様子もなかった。三枚書けるくらいなら十枚書けるが、材料もないし時間もない、どうしても書けないといって断ると、雑誌記者はそれなら一枚でも二枚でもよいから書いてくれといい、芥川は二枚では小説にならないといった。先客はあなたの小説なら、元来が短いのであるから二枚でも、結構小説になります、却って面白い小説になるかも知れないといって、あきらめ

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    schrift 2018/11/18
    “ 芥川の原稿は継ぎ張りを施したものもあったが、原稿紙の上で戦った感じをよく出している「かぎ」や「消し」や「はめこみ」もあって、壮烈感があった。すらすらと書きながしの出来ないためか、一度、書き損じると
  • 室生犀星 愛の詩集

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    schrift 2018/10/06
    “熱い日光を浴びてゐる一匹の蠅。此蠅ですら宇宙の宴(うたげ)に参与(あづか)る一人で、自分のゐるべきところをちやんと心得てゐる。 ”
  • 佐藤春夫 「の」の字の世界

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    schrift 2018/10/06
  • 知里幸惠編訳 アイヌ神謡集

    序 その昔この広い北海道は,私たちの先祖の自由の天地でありました.天真爛漫な稚児の様に,美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は,真に自然の寵児,なんという幸福な人だちであったでしょう. 冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って,天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り,夏の海には涼風泳ぐみどりの波,白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り,花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて,永久に囀(さえ)ずる小鳥と共に歌い暮して蕗(ふき)とり蓬(よもぎ)摘み,紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて,宵まで鮭とる篝(かがり)も消え,谷間に友呼ぶ鹿の音を外に,円(まど)かな月に夢を結ぶ.嗚呼なんという楽しい生活でしょう.平和の境,それも今は昔,夢は破れて幾十年,この地は急速な変転をなし,山野は村に,村は町にと次第々々に開けてゆく. 太古ながらの自然の姿も何時の間にか影

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    schrift 2017/12/04
    すてきだ……
  • 北大路魯山人 良寛様の書

    良寛様のような、近世では他にその比を見られないまでの、ずば抜けた書、それをわれわれごときがとやかくといい気になって批評することは、どういうものかと危惧を禁じ得ないものがないのでもないが、しかし良寛様には常日頃親しみと尊敬とを持っている一人であるという関係をもって許していただけるとし、僭越を承知しながら、ともかくも感ずるところを一応述べさして貰うこととする。 良寛様の書、それは品質に見ても、形貌すなわち書風に見ても、容易にあり得ない、素晴らしい良能の美書というべきである。なんの角度から見ても世の常の通りものとは格が異っていて近世における能書例と同一に論じ難い点があると認めねばならない。単に正しい書だとか、嘘のない書だとかいったくらいでは、その良能の程度はいい尽されない恨みがある。それでも強いて一言でいって見るならば、真善美が兼ね具わっているというの他はない。かようの良能の書が生れ出たゆえんの

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    schrift 2016/09/12
    "世に人格以上とか、人格以外とかの書というものなどあり得るものではない"
  • 作家別作品リスト:正宗 白鳥

    公開中の作品 新しくもならぬ人生 (旧字旧仮名、作品ID:58959) 雨 (旧字旧仮名、作品ID:55169) 『アルプスの真昼』(セガンチーニ作) (旧字旧仮名、作品ID:58967) 入江のほとり (新字新仮名、作品ID:53030) 入江のほとり (旧字旧仮名、作品ID:57319) 回想 (旧字旧仮名、作品ID:58961) 学問の独立 (旧字旧仮名、作品ID:57980) 学校の今昔 (旧字旧仮名、作品ID:57981) 仮面 (旧字旧仮名、作品ID:55159) 軽井沢にて (新字新仮名、作品ID:54868) 軽井沢より 〔小川未明君へ。〕(旧字旧仮名、作品ID:59749) 奇怪な客 (旧字旧仮名、作品ID:55167) 吉日 (旧字旧仮名、作品ID:55165) 今日は無事 (旧字旧仮名、作品ID:58963) 空想としての新婚旅行 (新字新仮名、作品ID:60170)

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    schrift 2016/09/07
  • 坂口安吾 私は海をだきしめてゐたい

    私はいつも神様の国へ行かうとしながら地獄の門を潜つてしまふ人間だ。ともかく私は始めから地獄の門をめざして出掛ける時でも、神様の国へ行かうといふことを忘れたことのない甘つたるい人間だつた。私は結局地獄といふものに戦慄したためしはなく、馬鹿のやうにたわいもなく落付いてゐられるくせに、神様の国を忘れることが出来ないといふ人間だ。私は必ず、今に何かにひどい目にヤッツケられて、叩きのめされて、甘つたるいウヌボレのグウの音も出なくなるまで、そしてほんとに足すべらして真逆様(まつさかさま)に落されてしまふ時があると考へてゐた。 私はずるいのだ。悪魔の裏側に神様を忘れず、神様の陰で悪魔と住んでゐるのだから。今に、悪魔にも神様にも復讐されると信じてゐた。けれども、私だつて、馬鹿は馬鹿なりに、ここまで何十年か生きてきたのだから、ただは負けない。そのときこそ刀折れ、矢尽きるまで、悪魔と神様を相手に組打ちもするし

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    schrift 2015/12/01
  • 會津八一 一片の石

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    schrift 2015/05/18
  • 梶井基次郎 檸檬

    えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧(おさ)えつけていた。焦躁(しょうそう)と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔(ふつかよい)があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した肺尖(はいせん)カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を居堪(いたたま)らずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。 何故(なぜ)だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそ

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    schrift 2014/11/26
  • 安吾の新日本地理 (坂口 安吾)

    小説家。名は炳五(へいご)。新潟市西大畑町に生まれる。幼稚園の頃より不登校になり、餓鬼大将として悪戯のかぎりを尽くす。1926(大正15)年、求道への憧れが強まり、東洋大学印度哲学科に入学するも、過酷な修行の末、悟りを放棄する。1930(昭和5)年、友人らと同人雑誌「言葉」を創刊、翌年6月に発表した「風博士」を牧野信一に絶賛され、文壇の注目を浴びる。その後、「紫大納言」(1939年)などの佳作を発表する一方、世評的には不遇の時代が続いたが、1946(昭和21)年、戦後の質を鋭く把握洞察した「堕落論」、「白痴」の発表により、一躍人気作家として表舞台に躍り出る。戦後世相を反映した小説やエッセイ、探偵小説歴史研究など、多彩な執筆活動を展開する一方、国税局と争ったり、競輪の不正事件を告発したりと、実生活でも世間の注目を浴び続けた。1955(昭和30)年2月17日、脳溢血により急死。享年48歳

    安吾の新日本地理 (坂口 安吾)
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    schrift 2012/02/08
  • 折口信夫 鏡花との一夕

    他人にはないことか知らん。――私には、あんまり其があつて、あり過ぎて困つた癖だと、始中終それを気にして来た。聞いては見ぬが、大勢の中には、きつと同じ習慣を持つて居ながら、よく/\の場合の外、其に出くはさずじまひになる人が、可なりの人数はあるはずだと思ふ。 歩き睡りと言ふ、あれである。気をつけて居ると、大通りなどでも、どうかすると、ずつと道ばたに寄つて、こくり/\と頭をふらつかし乍ら行く子どもなどを見かけぬ訣でもない。 実は大分久しく、その習慣に遠のいて居た私だが、をとゝしの末に幾年ぶりかに行きあうて、其から暫らく、此が続いたので、どうも全く夜道などは、弱つてしまつたことだつた。 こんな歌を作つて、慰むともなく、苦しむともなく暮して居たのは、其年の暮れのことである。私などは今度の大戦争にすら、何の寄与することの出来ぬ、実に無能力な、国民の面よごしとも言ふべき生活より外に出来ぬ人間である。そん

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    schrift 2012/01/26