Stereo History / Memorys 発見や発明は、ときとして偶然が味方する。 立体音(ステレオ)の発見も、ある偶然の行為がもたらした。 発明王エジソンが円筒式録音機を発明してから4年、パリ電気博のパビリオンには、オペラ座の舞台にセットされた複数のマイクロフォンが電話回線で繋がれていた。パビリオンの来場者が片方の耳にレシーバーを押し当て、聴き入っていると、一人の紳士が驚きの声をあげた。偶然にも、二つ受話器を両耳に当てた紳士の頭の中には、音が広がり、舞台で聴いているかのような錯覚を与えたのである。これが立体音の発見になった。彼は周囲の人にも、二つのレシーバーで聴くことを勧め、その驚きの効果を確かめあったという。 この出来事は、早速、アメリカで通信技術の先端を行くベル研究所にもたらされ、立体音と高音質再生の研究が始まった。 *ベル研究所はベル電話会社の先端的な研究部門であっ
ヘルマン・ヘッセに、"Knulp. Drei Geschichten aus dem Leben Knulps"という原題を持った長編小説がある。 私の手元にあるのは新潮文庫の高橋健二訳で、タイトルは「クヌルプ」。 一時期繰り返し読んだ、私にとっては忘れられぬ一作だが、他にもいくつかの翻訳によって異なる邦題を持っている。 それは次のようなものだ。 「漂泊の魂」「漂泊の人」「さすらひ」「さすらいの記」 翻訳を担当した先生方が、作品の内容を窺わせるようなタイトルをお考えになったのだろうと思われる。 「クヌルプ」というのでは、あまりにも素っ気なさすぎる。そう思われたところで不思議はない。ふむふむと私はうなずく。どれも間違ってはいない、と思う。苦心の跡がしのばれる邦題だとも思う。 しかし、私はこれらの題にひっかかるものを覚える。 「漂泊」「さすらい」。一言でいって、これらの単語からは悲愴感が強く立
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