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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/siikaryouzannpaku (1)

  • 自由詩時評第170回 豊穣な驚き―― 森本孝徳詩集『零余子回報』を読む 海東 セラ - 「詩客」自由詩時評

    孝徳詩集『零余子回報』(思潮社)を読んでいると、ひとつの言葉に触れるたびに、目がその奧へ分け入って行きたがる。言葉のあらゆる可能性を探索し、先へ行っては思いだして戻り、記憶の端に残っていたものを、跳び跳びに訪ねて辿るうちに、そこはもう詩の内部だ。人の営みに充たされた有機的でやわらかな時間に育まれている。 詩集は3部で構成され、(*――泡箱にて)の冒頭の詩は、次のように始まる。(※1) 少し、 冷えこんだ巻の続きを待てる待ち暮らした話の上のきみの 時行を梳る、裏がとられた十八番の水場。悪怯れれば清貧の褻にひなく さくてみなも、這うあおくころぶ之の庭を遺している。湯を蹴る薄物 二枚に砂を吐かせて、 漁る。 けれど汀、使いそこねた包丁の春で半「馬の骨」がこわい。水落をぴ くぴく瀬ぶみしてまで(ほら、ぼくの澱粉質のいきがむらさきのほら で衰えている。 念のため)けさは百葉箱に戻した。」 ※3行

    自由詩時評第170回 豊穣な驚き―― 森本孝徳詩集『零余子回報』を読む 海東 セラ - 「詩客」自由詩時評
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    schrift 2017/01/10
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