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ブックマーク / inoma.hatenadiary.org (2)

  • 榧野八束『近代日本のデザイン文化史』 - だめ読メ日記

    近代日のデザイン文化史 1868‐1926 作者: 榧野八束出版社/メーカー: フィルムアート社発売日: 1992/11メディア: 単行購入: 1人 クリック: 3回この商品を含むブログ (1件) を見る 「デザイン」と銘打っているが、デザイナーの名前はほとんど出てこない。むしろ「メディア文化史」とでも言った方が分かりやすいのかもしれない。しかし、やはり「デザイン」とした方が、良さそうである。なぜなら、日人がいかにして新しいものを手に入れ、生活を変えたのか、という視点だけでなく、それよりもむしろ、日人がいかにして物に形を与えたのかということに関心がむいているからである。 それゆえに、話は昭和の初めで終わっている。日宣美もインダストリアルデザイナーたちもまだ出てこない。おそらく、彼らが「デザイナー」として活躍できたのは、物の形がある程度、固定化したからであろう。物がどうあるべきかの輪

    榧野八束『近代日本のデザイン文化史』 - だめ読メ日記
  • 矢野誠一『三遊亭圓朝の明治』 - 読メ日記

    三遊亭圓朝の明治 (文春新書) 作者: 矢野誠一出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 1999/07/19メディア: 新書購入: 1人 クリック: 2回この商品を含むブログ (11件) を見る 三遊亭圓朝は、現代の日語を作った人である。 と、してしまうのは確かに行き過ぎかもしれないが、圓朝の速記録が言文一致体に及ぼした影響は計り知ることができない。 何しろ、当時現われ始めた、無学でありながら文盲ではない明治の大衆にとって、仮名垣魯文やら二葉亭四迷やら夏目漱石が机の前で筆にてしたためたものと、高座から聴衆に語りかけたものを記録した文章との違いなどありはしない。どちらも、新しく出現した活字によって、新しく出現した新聞などのメディアによってもたらされたのだ。活字にいたるまでの経緯や個体差を消滅させてしまうのが、新しいメディアの特徴でもあるのだ。 しかし、あらためて顧みるに、圓朝はわれわれに何を

    矢野誠一『三遊亭圓朝の明治』 - 読メ日記
    schrift
    schrift 2009/05/10
     矢野誠一『三遊亭圓朝の明治』。「三遊亭圓朝は、現代の日本語を作った人である。/と、してしまうのは確かに行き過ぎかもしれないが、圓朝の速記録が言文一致体に及ぼした影響は計り知ることができない」。
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