2000年後くらいに発掘されて、この人はどんな弱者男性だったんだろうと考古学者を悩ませたい 2000じゃ足りんのか。ポンペイの生き埋めみたいなのをイメージしていたんだが、あれは化石じゃなくて遺跡か
おじいちゃんが亡くなって、もうすぐ2年なので二重の意味で供養する . 私はどこに出しても恥ずかしい陰キャでオタク。 更には、大金かけて入学させてもらった私立大を中退して実家に帰ってくる親不孝でもあった。 5歳下の弟は国立大へ入学後、大学院へ、卒業後は隣の県で、地元の有名企業に新卒採用された。 私はというと、実家から通える職場に何とか腰をすえて、朝から夜遅くまで働く毎日。 . 絵に描いたような出来損ないの姉と優秀な弟だが、おじいちゃんとおばあちゃんからみれば、どちらもかわいい孫だったようで、平等にかわいがってもらっていた。 あと、他にも孫は5人ほどいて、同じ歳の従姉妹たちは20代で赤ちゃん生んで若いママとなり、従兄弟たちは実家の事業継いだり、東京で仕事したり、そんな感じ 親戚の集まりでも、叔父さんたちから、アネちゃんは…とりあえずいい人見つけて、早く赤ちゃん生まなきゃね…😅みたいに言われて
彼は長男として色々な期待と重圧を受けながらも、両親からとても愛されて育ってきたのだろう。 従兄弟だった彼は、幼かった頃は隣県に住んでいた事もあり、盆や正月には叔父と共によく遊びに来たものだし、私達も両親と一緒に遊びに行ったものだった。 ところが私が中学に上がった頃、叔父の転勤と共に簡単に往復できる距離ではなくなったことから、“もっとも、当時の我が家の状況を鑑みると、理由はそれだけではないようだが”彼との音信は完全に途絶えてしまい、無事就職が決まって今は勤務先の新潟に居るらしい、という事を叔父から伝え聞いていただけだった。 彼の訃報を受け、私は両親と共に叔父の元へ赴くことになったのだが、私達が斎場へ到着した時にはまだ親族関係者の誰の姿もなかった。 斎場の職員に案内された通夜会場には故人の亡骸が納められた棺だけがあり、叔父の到着を待たずに棺の窓を開けて故人と対面した。 驚いたことに、十数年振り
母が亡くなって、1年ほどになりました。 時折ふとした瞬間に、そうだ、この世の中には、もうお母さんはいないのだなあ……、としみじみ思い出して寂しくなります。 母親が亡くなると、大げさにいえばそれ以前とそれ以降で、自分の心持ちががらっと変化してしまったような気がします。 抱えている寂しさや空しさの量が少し増えましたし、自分自身の死ということにも、よりリアリティを感じるようになってきています。 とはいえ、人生は続いていくわけで、時間が解決することもあるけれど、この寂しさや空しさを、当たり前にそこにあるものとして、これからは暮らしていくんだろうと思います。 ただ、今日この場で語りたいことは、現実的(で大切な)話、葬儀・供養についてのお金の話題です。 私、母以外にも肉親をもう2人、既に亡くしていまして、喪主の経験が3回あります(3回あれば、語る資格ありますよね?)。 さて皆さん、人がひとり亡くなると
葬儀の仕事してた頃、社内でやった葬儀をテーマにした色んなこと、楽しかったな 弔電の文言を正しく伝える伝言ゲームとか、ジェスチャーゲームも毎回笑った 来年の忘年会までにマスに書いてある火葬場へ行ったら開けられる火葬場ビンゴも、最初面食らったけど、みんなが普段行きたがらない遠い火葬場に行きたがったりして面白かった ロールプレイもたくさんやった 焼香で並んでもらう練習をした時、弔問客役の先輩たちがみんな自分の番が来てから 「数珠忘れちゃったんだけど…」 「私はあとでいいんで後ろの人から…」 「(遠くに座ってる人を指して)あの人と一緒に行きたいんだけど…」 手を合わせたまま離れなかったり、ちょっと困った弔問客大喜利みたいになって大変すぎた 退社する前の飲み会で、社で一番ナレーションがうまい先輩が、本気のナレーションを作って読み上げてくれたの、泣くほど笑ったし嗚咽も出た 私が死んだ時にはまたこれを読
2020-01-08 22:10 追記しました。事の経緯先日、父が亡くなった。がんだった。 父がなくなってから父の呼吸が止まったのが14時半。来てくれた担当医さんが死亡確認したのが15時半ごろ。家族皆が泣いていた。自分も唇を噛み締めながら我慢して、それでも涙が溢れてくる。 訪問看護をしてくれていた看護師さんがとてもいい人で、自分たちも手伝いながら、髭をそったり着替えさせてくれたりして、父の準備をしてくれた。 家族で湯灌してあげて、最後の見送りすることがとても良い時間になるよ。と、いろいろ教えてくれた。 これまでの看病で疲れているし、親族や知人の対応は母することになるの明らかだったので、葬儀会社とやりとりするだけでもと、喪主をかってでた。 葬儀会社を選ぶ闘病中、なくなる数日前に、◯レマの営業さんが来て、契約とれないと来週クビになると言われ、母が契約したとのこと。 父は元教員だったので、教え子
平成28年3月14日、特別養護老人ホームに入所していた認知症の叔母さん(父方)が亡くなりました。齢90歳。 叔母さんからみて、兄の子である私がひとりでこの叔母に関する全てを執り行ない、総額42,360円の支出のみで完璧に満足のできる葬儀が出来ました。 本日様々な手続きを含めて全てが終わったので記録として書いておきます。 もしかすると家族葬の費用をかけずに行いたい方には参考となるかも(?)しれません。 【家族構成】 私の実家は富山県 隣接した岐阜県に私は現在居住しています(実家には車で高速道を使って約2時間30分の距離)。 富山県の実家には現在私の母親がひとり暮らし。 父は数年前に他界しています。祖父母も他界。 老人ホームに居たのは私の父の妹で、結婚はしていましたが旦那は既に他界、子供は居ませんでした。 旦那の両親も兄弟も他界して、その旦那の兄弟には子供が居る模様(不明)。 叔母の兄弟は3人
ネタのようでネタじゃなく....。 先日、父親の遠い遠いお悔やみ貰っただけの親戚のばあさんが亡くなったので葬式に行ってきたわけさ。 いわゆるコンビニ葬儀って奴で、葬儀が始まったらあ゛ーだこーだとぐだぐだ続けることもなく、喪主の挨拶が終わったら、システマチックに親戚組と、そうでない組に分かれてお焼香しておしまい。 実際にかかった時間は15分くらいだった。 でもってやりがったのは坊主である。 喪主の挨拶が終わってから家族の焼香が終わるまでは、ゆったりした伝統的な父親から仕込まれたそっくりのお経を上げてたわけだが、それが終わって親戚の焼香に移るときに一旦お経を区切り、若干軽やかな調子でお経を上げだしたのさ。 最初はとっとと焼香終わらすためにそういう風にしてんのかなーと思ったのだけど、よく聞いてみると8ビートのリズムでした。 まさか....と思って右手で太ももを叩いて、左手で膝を叩いてでリズム取っ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く