独白、毒吐く🐟️わきまえない養殖 @dokuhaku_dkhk @tako_ashi 早く病院に行きお体ご自愛ください。そして、先日、他人の病を嘲笑ったことを悔いてください。 私は小田嶋さんが病を患われても、それをネタにしようとは思いません。しかし、小田嶋さんが他人の病をネタにしたことについては、小田嶋さんが病であろうとも、猛省を求めます。bit.ly/2I7oy8F pic.twitter.com/24GWnDip3W 2019-04-08 11:21:49
![小田嶋隆氏、身障者への配慮を欠いた発言でプチ炎上](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/25c529306e06cf3aac3b8c374fdb61fc01f525cb/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2Fd0338c9f93815ba52279e86fbe63b781-1200x630.png)
いじめの話題は扱いにくい。 このことは、原稿を書いて読み返す度に、いつも思い知らされる。理由は「いじめ」という単語にやっかいな多義性が宿っているからだと思う。 いじめは、辞書的な意味では、「自分より弱い立場にある者を、肉体的・精神的に苦しめること」(大辞林)ぐらいになる。私たちが「いじめ」という言葉に抱くイメージは、もう少し複雑だ。というよりも、いじめ被害者(またはその経験者)と、いじめ加害者(および傍観者)では、同じ言葉を通して思い浮かべる景色がかなり違っている。 だから、この言葉を痛みを伴った感情とともに思い浮かべる人々と、そうでない人々の間では、話が噛み合わない。 実例を見てみよう。紹介するのは、自民党選出の参議院議員、中川雅治氏の公式ホームページに掲載されていた文章だ。 「掲載されていた」と、過去形を使ったのは、当該のホームページが既に消滅しているからだ。 ホームページの中の「教育
安倍晋三首相のヤジは、不適切だった。 とはいえ、既にご本人が非を認めて遺憾の意を表明している。 これで一件落着ということになると思う。 「安倍さんが表明したのは遺憾の意であって謝罪ではない。これでは納得できない」 と息巻いている向きもあるが、一国の首相たる者が「遺憾の意」を表明したことは、やはり重く受けとめるべきだ。なかなかできることではない。 ついでなので、「遺憾」という言葉について前々から思っていたことを明らかにしておきたい。 「遺憾」は、不思議な言葉だ。 いまから17年前の1998年、私は自分のホームページ上に公開していた日記(9月1日記述分)の中で、この「遺憾」という言葉について触れている。以下、引用する。 《ミサイルが飛んできた。 官房長官のコメントは例によって「極めて遺憾」というものだ。 奇妙な言葉だ。 何かこちら側に不始末があった場合も「遺憾」と言うし、逆に相手側に問題があっ
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