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エドワード6世 世界史の検索結果1 - 5 件 / 5件

  • nix in desertis:2022受験世界史悪問・難問・奇問集 その1(慶應大・早稲田大途中まで)

    今年も無事に公開に至ることができた。協力してくれる方々に感謝を申し上げたい。自分自身も例年より忙しさがやわらいだ2月で,少し書きやすかった。なお,3巻が発売しているので,2020年以前をまとめて読みたい方はこちらをお読みください。 <収録の基準と分類> 基準は例年とほぼ同じである。 出題ミス:どこをどうあがいても言い訳できない問題。解答不能,もしくは複数正解が認められるもの。 悪問:厳格に言えば出題ミスとみなしうる,国語的にしか解答が出せない問題。 → 歴史的知識及び一般常識から「明確に」判断を下せず,作問者の心情を読み取らせるものは,世界史の問題ではない上に現代文の試験としても悪問である。 奇問:出題の意図が見えない,ないし意図は見えるが空回りしている問題。主に,歴史的知識及び一般常識から解答が導き出せないもの。 難問:一応歴史の問題ではあるが,受験世界史の範囲を大きく逸脱し,一般の受験

    • 政変で死んだ世界史の「幼児王・少年王」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

      政権末期や政変時に担ぎ出される幼児王・少年王 世界史ではよく幼児や子どもで王に担ぎ出されるケースがあります。 政治対立が起こり一触即発の場合に、幼い王を擁立させて角が立たないようにするという場合があり、これはこれで衝突を避ける政治的なテクニックではあります。中には成長して名君となるケースもありますが、悲劇的な末路を遂げる例も少なくありません。 日本史だと壇ノ浦の戦いで海に身を投げて死んだ安徳天皇が有名ですが、政治的混乱に巻き込まれ死んだ幼児王・少年王をピックアップします。 1. ジャン1世(フランス)1316年 即位後5日で他界した幼児王 フランス王ルイ10世が他界した後、子は娘しかおらず、妃のクレマンス・ド・オングリーが懐妊中でした。そのため出産までルイ10世の弟フィリップが摂政となり、1316年11月15日 に生まれた男の子が、ジャン1世として国王に即位しました。 しかしジャン1世は生

        政変で死んだ世界史の「幼児王・少年王」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
      • リック・ウェイクマンの最高傑作『ヘンリー八世の六人の妻』The Six Wives of Henry VIII(子供・子孫を産ませる妻のために英国国教会をつくった怖い歴史)を全曲聴く - あい青子「大好きだった曲」と「手離し服」で幸せを感じる「認知症の予防と介護」

        「ヘンリー八世の六人の妻」はリック・ウェイクマンの最高傑作だ 歴史的にも有名ですよね 色んな意味で怖い! ヘンリー八世と六人の妻です wikiはコチラです ja.m.wikipedia.org 六人の妻については、コチラですね 結婚 キャサリン・オブ・アラゴン(Catherine of Aragon, 1487年 - 1536年):1509年結婚、1533年離婚はじめアーサー王太子妃。死別後、その弟ヘンリーと再婚。メアリー1世の母。結婚から20年余りを経た後に離婚。 アン・ブーリン(Anne Boleyn, 1507年? - 1536年):1533年結婚、1536年離婚エリザベス1世の母。元はキャサリン・オブ・アラゴンの侍女。離婚後に姦通罪と近親相姦の罪で ロンドン塔で刑死。 ジェーン・シーモア(Jane Seymour, 1509年? - 1537年):1536年結婚、1537年死去エド

          リック・ウェイクマンの最高傑作『ヘンリー八世の六人の妻』The Six Wives of Henry VIII(子供・子孫を産ませる妻のために英国国教会をつくった怖い歴史)を全曲聴く - あい青子「大好きだった曲」と「手離し服」で幸せを感じる「認知症の予防と介護」
        • 肖像画に見る1500年代の首飾りとメアリー1世の真珠「ラ・ペレグリーナ」 - hanna_and_art’s blog

          1500年代の首飾りと、その持ち主たち。 後半はこの時代の各王家の人々の婚姻関係の状況をまとめてみました。 元のファイルを確認していただけるように、wikipedia(public domain)のものは記事の最下部にまとめて、commons やそれ以外のものはそれぞれの画像左下にリンクを張ってあります。 1500年代の男性の装飾品「カラー」 アーサー・テューダー イングランド王ヘンリー8世 ヘンリー・ギルフォード卿 フランス王アンリ3世 1500年代の女性の装身具 キャサリン・オブ・アラゴン レオノール・デ・アウストリア イサベル・デ・ポルトゥガル イングランド女王メアリー1世( Mary I of England, 1516年2月18日 - 1558年11月17日) 「ラ・ペレグリーナ」(La Peregrina) スペイン王家(カトリック両王以降) フェリペ2世の妻 ポルトガル王家(

            肖像画に見る1500年代の首飾りとメアリー1世の真珠「ラ・ペレグリーナ」 - hanna_and_art’s blog
          • 時代に翻弄されたスコットランド女王メアリー・ステュアート - 俺の世界史ブログ!~世界の歴史とハードボイルドワンダーランド~

            テューダー朝最後の君主エリザベス一世が死ぬとイングランドの王家はステュアート家が代々継ぐようになり、ここにステュアート朝が誕生するようになる。 ステュアート朝の初代国王はジェームズ一世であるが、その母親であるメアリー・ステュワートはエリザベス一世によって処刑されている。 クイーン・オブ・スコッツ 我々がイギリスの歴史を考える時、イングランドとスコットランドは別の王国であることを忘れそうになる。あるいはそのことを知らない場合も多いであろう。 古代ローマ時代にハドリアヌスがブリテン島に長城を築いて以来、ブリテン島は南のイングランドと北のスコットランドに分かれた。さらに言うとイングランド南部もゲルマン人を中心としたイングランドとガリア人が多く住まうウェールズに分かれることになった。 メアリーは1542年、スコットランド王ジェームズ5世の子供として生まれた。しかし同年ジェームズ五世は亡くなり、兄弟

              時代に翻弄されたスコットランド女王メアリー・ステュアート - 俺の世界史ブログ!~世界の歴史とハードボイルドワンダーランド~
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