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井伊直孝 逸話の検索結果1 - 7 件 / 7件

  • 京都市伏見区で天下統一さんぽ

    京都市伏見区といえば、日本酒の酒蔵や、伏見稲荷大社などで有名な町だけれど、我々のような地名好きにとってたまらない町でもある。 「武蔵」「長門」といった、旧国名のついた町名がたくさんあるのだ。 伏見区を一日中ぶらぶらして旧国名の地名を集めたら、天下統一できるかもしれない。 豊臣秀吉の城下町、伏見 伏見にやってきた。 伏見駅近くのアーケード 伏見桃山駅を出ると、アーケードの商店街がまっすぐ続いている。 日本各地には、もはや息も絶え絶えといったアーケード商店街がたくさんあるなか、それなりの賑わいが感じられる。 今回は、旧国名の町名を探すのが目的だ。 街角にある住居表示の看板や街の掲示板など、旧国名の町名が書いてあるものを発見すれば、その国を盗ったということにして、最終的に、どこまで国盗りできるのか……というのが今回のさんぽの目的である。 そうこうするうちにさっそく町名を発見。 東大手町を発見 「

      京都市伏見区で天下統一さんぽ
    • 【御朱印】豪徳寺に行ってきました|東京都世田谷区の御朱印 - ウミノマトリクス

      最終更新日時: 2020年12月14日 今回は、東京都にある「豪徳寺」に行ったので、そのレポートを書きたいと思います。 豪徳寺 豪徳寺の特徴 御朱印マトリクス 見どころ:4.5点/10点満点中 ※個人的な意見 歴史:1633年頃 (創建されたとされる年) 豪徳寺マトリクス 比較しやすいようにマトリクスを作ってみたよ あくまでもこのブログとしての見解だからね 目次 豪徳寺の特徴 御朱印マトリクス 目次 筆者プロフィール 豪徳寺の場所 豪徳寺に訪れた日 豪徳寺の住所 豪徳寺の御朱印 豪徳寺の御朱印 豪徳寺の御朱印値段 豪徳寺のご利益 豪徳寺の歴史など【あれこれ】 筆者ひとこと 豪徳寺でお祈りした内容 筆者プロフィール 筆者紹介 筆者紹介(クリックで下に詳細を表示します)2017年に初の御朱印を記帳。家族のすすめで御朱印を始める。それ以後100を超える神社寺院の御朱印をいただく。 御朱印の他にも

        【御朱印】豪徳寺に行ってきました|東京都世田谷区の御朱印 - ウミノマトリクス
      • 「猫の日本史」を読みました【備忘録】 - 北のねこ暮らし

        ねこ検定上級受験を来年3月に控え、少し勉強らしきことをしないと…と、図書館から本を借りてきました。 今回借りてきた本は「猫の日本史」。 ねこ検定の参考文献のなかから、色々考えてピックアップしました。 歴史に登場した猫に関するエピソードが分かりやすくまとめてあります。 実は、諸事情あり熟読できず、返却日を前に慌てて流し読みしているという状態…(^^; なので、きちんとした感想ではなく申し訳ありませんが、大事そうな箇所だけ書き出してみました。 検定問題に出るかどうかは分かりませんが、備忘録とさせていただきます。 【目次】 「猫の日本史」 桐野作人(きりのさくじん)著 を読んで 1.平安時代の猫 日本史上最古の猫ブロガー、宇多天皇 日本最古の女流エッセイスト、清少納言が綴った猫 絵画にも猫が登場! 2.戦国時代の猫 「猫公家」と呼ばれる西洞院時慶(にしのとういんときよし)の「時慶記」 長実房英俊

          「猫の日本史」を読みました【備忘録】 - 北のねこ暮らし
        • 徳川四天王の一人浜松が生んだイケメン武将『井伊直政』 - sannigoのアラ還日記

          こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 井伊直政とは、徳川家康に仕え『徳川四天王』の一人として名を馳せた、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で、遠江国井伊谷近くの祝田(ほうだ/現在の浜松市北区)の生まれで浜松が生んだ武将です。 井伊直政といえば『井伊の赤備え』がまっさきに頭に浮かび、真っ赤な兜に鬼のような飾りをつけている武将でイケメンというイメージがあるのではないでしょうか? 大河ドラマファンの方なら、2017年放送『おんな城主直虎』で幼少期を寺田心君が、青年期は菅田将暉が演じた素直で頭脳明晰な虎松のイメージが強いかもしれません。となると、家康が一目見ただけで「家臣になれ」と言ってしまうほど絶世の美青年だったのも、きっと腑に落ちることでしょう。 井伊直政が生まれた頃の井伊家は駿河国今川家の支配下にあり、お家断絶の危機に晒されていました。井伊家の再興のため、

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          • 招き猫の逸話 - tomshannon’s diary

            今更ながら「招き猫」って? 昔から猫は、化け猫伝説があるくらい、不思議な魔力を持つと考えられてきました。 中国の唐から猫が渡来した際、「猫面を洗って耳を過ぎれば、即ち客到る」という言葉も一緒に伝来したと言われています。 『ある日、彦根藩主の井伊直孝が鷹狩の帰りに、豪徳寺(東京都世田谷区)の門前まで来た時、一匹の白猫が現れ、右手を上げて、しきりに寺内の入るように招くので、直孝は誘われるように境内に馬を乗りいれた直後に、激しい雷雨とともに門前に落雷があったというのです。 危うく災難を逃れることが出来た直孝は、その後、荒れ果てていたこの寺に膨大な寄進をし、さらに井伊家の菩提寺としたといいます。 なお、このとき右手を上げて直孝を招き入れた猫の墓は、現在も豪徳寺の墓地の一角に猫観音として供養されているとの事です。また現在も、幸運を呼び込む招き猫伝説の元祖として、門前ではいろいろな張り子の猫が売られて

            • 9月29日は招き猫の日! - 猫と暮らす家

              9月29日は「招き猫の日」です。 今日は、招き猫の由来などを深掘りしてみたいと思います。 由来には諸説ある 「江戸浅草」発祥説 世田谷「豪徳寺」発祥説 豊島区「西方寺」発祥説 なんで9月29日なの? 招き猫のイベント・美術館 三重県伊勢「来る福招き猫まつり」 岡山県「福を呼ぶ招き猫美術館」 後記 右前足(または左前足)を顔の横に添えて「おいでおいで」をしている「招き猫」の姿は、可愛いですよね。見ているだけで、微笑ましくて幸せな気分にさせてくれます。 一般的には、右手をあげている招き猫は、金運や福を呼び込み、左手をあげている招き猫は、人(客)を招くと言われています。店先に置かれ、お客さんを招き入れる看板招き猫をよく見かけますね。 由来には諸説ある 「江戸浅草」発祥説 江戸末期1852年、現在の東京都台東区浅草花川戸に住む一人の老婆が食うものにも困る貧困に苦しんだ末、泣く泣く愛猫を手放しました

                9月29日は招き猫の日! - 猫と暮らす家
              • 「修羅の刻」新たな相手は本多忠勝。前後編で「東国無双編」(※そのあと西国無双編(vs立花宗茂)の予定) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

                ※ 追記 以下の記事は雑誌掲載の時にかいたものです。その後単行本が出ています 修羅の刻(18) (講談社コミックス月刊マガジン) 作者: 川原正敏出版社/メーカー: 講談社発売日: 2019/08/16メディア: コミックこの商品を含むブログを見る内容紹介 群雄割拠の戦乱の世に、“東国一”と呼ばれる一人の将がいた。 名を「本多忠勝」。名槍・蜻蛉切を操り、生涯無傷と伝うこの兵に 身一つで闘いを挑まんとする者が、戦場に姿を現す! その修羅の名は、“陸奥”狛彦と云う‥‥‥。 これは「織田信長編」に続く、双子の修羅の物語!! 「修羅の刻」最新の章が、月刊少年マガジン2019年6、7月号でお目見えした。 月刊少年マガジン 2019年6月号 [2019年5月2日発売] [雑誌] 作者: 川原正敏,サイトウケンジ,ぱらボら,八神ひろき,滝沢友紀,浅見よう,山本ヤマト,久米田康治,羅川真里茂,要マジュロ,

                  「修羅の刻」新たな相手は本多忠勝。前後編で「東国無双編」(※そのあと西国無双編(vs立花宗茂)の予定) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
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