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光明天皇 北朝の検索結果1 - 9 件 / 9件

  • 建武の新政に失敗した後醍醐天皇が吉野に逃れたあと、足利尊氏が北朝で即位させた天皇は? 北方謙三「道誉なり」を読む - 安心感の研究 by 暖淡堂

    こんにちは、暖淡堂です。 歴史に関心があって、色々と歴史書などを読んでいても、鎌倉幕府体制の終了から建武の新政、南北朝にかけての時代はわかりにくいですよね。 後醍醐天皇、足利尊氏、楠木正成の他、登場する人物も非常に多い。 後醍醐天皇は南朝なのは知っていても、例えばその時の北朝側で即位していた天皇は誰だったのでしょう。 この記事では、その辺りを確認した上で、南北朝と呼ばれ始める時代を簡単に振り返ってみたいと思います。 前南北朝時代 後醍醐天皇と足利尊氏 北朝の成立 北方謙三「道誉なり」で描かれる時代 前南北朝時代 鎌倉時代後期、天皇家は持明院統と大覚寺統の二派に分かれて、交互に天皇に即位していました。 この状態が生じていたのが、南北朝に分裂するきっかけとも言えます。 幕府はこの皇位継承に直接干渉し、皇室側も幕府に頼って自らの立場を維持しようとしていました。 鎌倉幕府を倒し、政治の実権を取り戻

      建武の新政に失敗した後醍醐天皇が吉野に逃れたあと、足利尊氏が北朝で即位させた天皇は? 北方謙三「道誉なり」を読む - 安心感の研究 by 暖淡堂
    • 逃げ上手の若君 - Wikipedia

      『逃げ上手の若君』(にげじょうずのわかぎみ)は、松井優征の日本の漫画作品。集英社の『週刊少年ジャンプ』にて2021年8号から連載中で、で2024年1月時点にて電子版を含む累計発行部数が200万部を突破している[要出典]。 概要[編集] 『暗殺教室』終了以来、約5年ぶりとなる松井の連載作品[1][2]。鎌倉時代から室町時代にかけて[3]、北条時行の生涯を描く歴史漫画である[1][2][3][4][5]。足利尊氏[注 1]によって鎌倉幕府が滅ぼされ[3][6]、北条家の一族郎党が次々と死を選ぶ中[2]、高氏の手から逃げ延び諏訪頼重らとともに再起を期す時行の物語が展開される[6]。戦って死ぬことこそが武士の誉れとされた時代において[2][4]、敵から逃げることで英雄となった時行の生涯を[2][5]、史実をもとに描いている[2][3][4][5][7][8]。 第1話は『週刊少年ジャンプ』の202

      • 文字についての謎を文字で明かす、円城塔の最高傑作――「文字渦」(円城塔、新潮社) - SF游歩道

        書籍情報 作者:円城塔 出版社:新潮社 形態:単行本 文字渦 作者: 円城塔 出版社/メーカー: 新潮社 発売日: 2018/07/31 メディア: 単行本 この商品を含むブログを見る 収録作品 「文字渦」 「緑字」 「闘字」 「梅枝」 「新字」 「微字」 「種字」 「誤字」 「天書」 「金字」 「幻字」 「かな」 感想・各作品解説 《新潮》連載時に「種字」を読んでからずっと単行本化を待っていた。率直に、間違いなく今年の新刊本の一番はこの作品で決まりだ。そう断言出来る。(しかしながらこの文章を書き上げるのに4ヶ月もかかってしまった) 円城塔特有の「どこまで本当なのか分からない大法螺成分」は各短篇の題材自体に吸い取られているので、文字に関する論理的な考察に集中して読むことが出来る一冊になっている。その点では円城塔を初めて読むという人でもあまり抵抗なく読むことが出来るのではないか。川端康成文学

          文字についての謎を文字で明かす、円城塔の最高傑作――「文字渦」(円城塔、新潮社) - SF游歩道
        • 常照皇寺 北朝の名刹 歴代に数えられない光厳天皇 ゆかりのお寺 - ものづくりとことだまの国

          常照皇寺(じょうしょうこうじ) 臨済宗天龍寺派 山門 母方のご先祖様(百姓家)の菩提寺で、お盆休みにお参りしてきた。 京都市右京区京北井戸町丸山。右京区と云っても京都市内から車で約1時間。京都駅からだと1時間半。 周山(しゅうざん)街道(国道162号線)・北山杉の山あいをひたすら北上する。 バスで行くなら周山から「京北ふるさとバス」に乗り換え、約15分、山国御陵前下車、徒歩10分。 施設維持のため拝観料あり。方丈から見える庭園は美しい 光厳天皇には第〇代の数字が入らない 光厳天皇(1313~1364)が貞治元年(1362)に開く。正式名称は「大雄名山萬壽常照皇禪寺」 元々、天台宗の古寺だったそうで、山腹の斜面に立てられている。その前、はるか古代の姿も気になるところだが、お盆参りなので妄想は自粛。よかったら写真で探してみてください。いくつかこん跡らしきものを写してますから。 (Wiki)後醍

            常照皇寺 北朝の名刹 歴代に数えられない光厳天皇 ゆかりのお寺 - ものづくりとことだまの国
          • 吉野朝廷・南朝の宮跡 - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

            おっさんは小学校の時に日本史を習い、室町時代の南北朝時代に興味を持ちました。 南朝=吉野朝廷は、鎌倉幕府滅亡後に始まった建武の新政に失敗した後醍醐天皇などの大覚寺統の天皇が、京都の都を逃れ奈良県吉野郡吉野町や奈良県五條市西吉野町などを本拠とした朝廷のことです。 ここでは叙位や元号などを制定していて政権としての機能をもっていました。 その南朝最初の都に行きたいと長年思っていました。 そこで後醍醐天皇が南朝の都をおいた奈良吉野に行ってきました。 (南朝の都) 吉野の都は、奈良県吉野町吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)のなかにありました。 中世、金峯山寺は付近に多くの子院があったために多くの僧兵を抱えていました。 その規模は興福寺や延暦寺に匹敵するものでした。 後醍醐天皇が吉野の地を選んだのは、この力を借りようという軍事的背景もありました。 ここです。 「吉野朝」と言われた南朝56年のうち。ここ吉野

              吉野朝廷・南朝の宮跡 - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)
            • 5月25日  まぼろしの天皇・光厳天皇廃帝になる - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

              現在、天皇は126代ですが、実は天皇として実在したのにカウントされていない 「幻の天皇」がいます。鎌倉幕府末期に即位した光厳天皇です。 5月25日は、その光厳天皇が1333年に後醍醐天皇により廃帝となった日です。 (鎌倉幕府末期に即位) 蒲倉時代末期の1331年、8月、後醍醐天皇は鎌倉幕府の倒幕を企てますが 発覚し笠置山に立てこもります(元弘の乱) そして、その年の9月、鎌倉幕府要請で19歳の光厳天皇が即位します。 ちなみに、現在の京都御所は、光厳天皇と関係があります。 戦闘や火事などで内裏が焼失した時に、再建するまでの間、天皇が臨時的に避難する 場所として里内裏(さとだいり)というものが複数設けられていました。 その1つで、光厳天皇が即位をしたことから、以後、その地が、天皇が住む地= 「御所」と呼ばれるようになり、これが現在の京都御所につながります。 鎌倉幕府討幕に失敗した後醍醐天皇は、

                5月25日  まぼろしの天皇・光厳天皇廃帝になる - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)
              • 光厳天皇髪搭 - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

                京都嵐山に行き JR嵯峨嵐山駅から竹林の小径に向かう途中に偶然見かけたのが、 光厳天皇髪搭。 光厳天皇!!あの光厳天皇です。生年月日:1313年8月1日~死没:1364年8月5日 (51歳) (なかった事にされた天皇) 少し説明しますと、鎌倉時代末期に、後醍醐天皇が鎌倉幕府討幕に失敗したときに, 光厳天皇が鎌倉幕府によって皇位につきます。 しかし、鎌倉幕府滅亡後に後醍醐天皇が復活した時に、後醍醐天皇は自身の廃位とその期間に在位した光厳天皇の即位を否定します。 こういったいきさつがあるため、光厳天皇は現在、歴代天皇としてカウントされていません。 (南北朝時代に上皇として院政を行うも・・) 光厳天皇は、鎌倉幕府の滅亡後には廃位とされましたが、建武新政が失敗し後醍醐天皇の力が弱まると、足利尊氏は光厳天皇の弟、光明天皇を新たに天皇として即位させます。 これが北朝の始まりです。 さらに光厳天皇は上皇

                  光厳天皇髪搭 - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)
                • 応仁の乱後も続く南北朝時代 - ウェブ1丁目図書館

                  天皇家が南朝と北朝に分かれて争った南北朝時代は、室町幕府3代将軍の足利義満が明徳3年(1392年)に両朝を合一して終焉したとされています。 南朝の後亀山天皇から北朝の後小松天皇に三種の神器が渡り、これで、一件落着かに思えました。しかし、両朝の争いは、その後も応仁の乱まで続き、なくなったはずの南朝が後南朝として復活していました。 それどころか、応仁の乱後も後南朝は存続し、現代でも時折、その姿を見せる事件が起こることがあります。 室町幕府を開いた時から弱体化は始まっていた 考古学者で歴史作家の樋口清之さんの著書「うめぼし博士の逆・日本史 2巻」では、江戸時代から鎌倉時代まで、時代をさかのぼるように歴史の事件が解説されています。 樋口さんは、武士が貴族化すると政権が弱体化すると指摘しています。平家が滅びたのは貴族化したことが一因であり、室町幕府の弱体化もまた足利氏の貴族化の結果と考えられます。

                    応仁の乱後も続く南北朝時代 - ウェブ1丁目図書館
                  • 後醍醐天皇陵 - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

                    吉野には、この地に逃れ、南朝を作り、いつか京都に戻り天皇中心の政治をおこしたいと思いながらも夢かなわず吉野の地で命を落とした後醍醐天皇の御陵があります。 (如意輪寺) 奈良県吉野郡吉野町にある浄土宗の寺院如意輪寺(にょいりんじ)。 901~22年の創建と伝えられています。 1336年には後醍醐天皇および南朝歴代天皇が、国家鎮護・皇室繁栄などを祈願して創建した寺・勅願寺とされました。 この本堂の後ろには、吉野の地で崩御した後醍醐天皇の陵があります。 こちらの階段を登ります。 こちらです。 (激動の人生・後醍醐天皇) 後醍醐天皇の人生を見ますとなかなか激動です。 まず天皇として即位したのが鎌倉時代後期の1318年。 1324年には鎌倉幕府転覆を企画した疑いがかけられます(正中の変) 1331年には、鎌倉幕府打倒の挙兵。失敗して隠岐に流されます。(元弘の乱) しかし、漁船のイカの下に隠れ、隠岐か

                      後醍醐天皇陵 - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)
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