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民衆自治の検索結果1 - 3 件 / 3件

  • 世界史をやり直したら、自分の時代錯誤に気づいた

    まず、自分の歴史認識が古いこと。 学校で習った「歴史」は、石油危機と東西冷戦のあたりで終わっている。そして当然、私が生きているあいだも歴史は書かれていく。 しかし、私はそれらを「ニュース」として知る。 メディアやネットを通じた出来事として接する。大きな事件や紛争の報道には、そこに至る経緯も解説されるが、それだけだ。私は少し心を痛め、赤十字に募金し、次のニュースを見る。ニュースは上書きされ、私の関心や、日本との関わりが遠いほど速やかに流されてゆく。 食糧問題は解決した? 例えば、飢餓人口について。 どこかで「飢えに苦しむ人は大幅に減少している」と耳にしたことがあった。食糧問題や貧困は大きく解消に向かっているという主張だったと記憶している。 しかし、サハラ以南ではここ半世紀一貫して増加していることを知った(下図参照)。また、世界全体から見ても、2014年を境に増加に転じていることが分かった(※

      世界史をやり直したら、自分の時代錯誤に気づいた
    • なぜ武田、北条、今川はダメだったのか…小さな戦国大名・織田信長を「天下人」に導いた3つの要素 だから「天下統一」を目指す戦国大名はほかにいなかった

      読者のみなさんは、「戦国大名が覇を競う戦国時代だから、最強の武将信長が天下統一ねらうのはあたりまえだ」と思ってきたのではなかろうか。 しかし、本当にそうであろうか。 高等学校の日本史教科書においては、長らく戦国時代を戦国大名による分権政治の発展と、畿内を中心とする民衆自治の高揚として描き、戦国大名の代表的存在としての信長と一揆の全国的組織たる一向一揆との対決、すなわち権力対民衆の衝突の結果、天下統一が実現したと記述されてきた。しかし、それには少なくとも史実とは異なる二つの問題があった。 第一が、一向一揆の本質を純粋な農民闘争とみてよいのかということである。これについては、現時点では学問的に否定されている。惣村(自治村落)と一向一揆に直接の関係はみいだせないし、組織された門徒には、百姓や町人ばかりではなく歴とした武士も少なくなかった。 また一向一揆が、「仏法領」という宗教的理想領域の創出をめ

        なぜ武田、北条、今川はダメだったのか…小さな戦国大名・織田信長を「天下人」に導いた3つの要素 だから「天下統一」を目指す戦国大名はほかにいなかった
      • 「天正伊賀の乱(てんしょういがのらん)」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

        「天正伊賀の乱」とは織田信長の天下布武が見え始めた天正期(1573~1592)に織田勢力が伊賀国(いがのくに・三重県)を攻めた戦乱である。 伊賀は山あいの小国で戦国大名の支配外にあり地侍集団が治めるいわば自治の国であった。 この地侍集団がいわゆる忍びの者の原型であり、戦国の革命児と自治組織・忍びの者との対決図式は格好の小説素材であり色々な作家がこの戦乱を描いている。例えば ・梟の城 ー司馬遼太郎 ・忍びの国― 和田竜 ・山河果てるとも―伊東潤 等がある。 この戦いについて、小説では色々な角度から想像を膨らますことができて成立しやすいが、裏付けになる基礎史料が乏しく歴史研究の事例は少ないが、この本はその数少ない内のひとつかもしれない。 和田裕弘(わだやすひろ)著「天正伊賀の乱 ・信長を本気にさせた伊賀衆の意地」中公新書版 を読み終えた。 著者はこの伊賀の戦いを3次に分けて論じている。 ・第一

          「天正伊賀の乱(てんしょういがのらん)」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
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