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村上春樹の翻訳で読むと、レイモンド・カーヴァーは、ひと息で読める。 カーヴァーの短篇は、修飾語をできるだけ使わず、シンプルで短い文が用いられている。さらに、彼に惚れこんだ村上春樹が、原文を活かした簡潔な文体で翻訳している。結果、するすると息を吸うように読み、しばらくして胸に響く。 特に、傑作である「ささやかだけれど、役にたつこと」「大聖堂」は、最初に読んでから15年も経つのに、いまでも響いている。 さらに、この感情に名前が付けられない。 「悲しい」とか「感動した」と陳腐に語ることができればよいのだが、まるで的が外れている。いや、悲しいことも起きるし、感動することだってある。だけど、それはこの響きじゃないんだ。 上手く言えないこの響きは、原文で読むことにより、触れられるくらい感じられるようになった。 英語で向き合うと、必然的に読むスピードが落ちる。一文一文を、どういう構造を用い、何をどの順で
世界史をやり直していると、「世界史のやり方」そのものが変わっているように見える。 かつては、「先進国」が先頭に立ち、他地域はいずれ欧米を見習って近代化を成し遂げ、自由民主主義へ収斂していく―――そんな単線的な歴史観が強かった。 しかし、冷戦後、特に21世紀に入ってから、中国、湾岸諸国、シンガポール、ロシア、インド、グローバルサウス、イスラーム圏を見ていると、欧米型自由民主主義を目指さなくとも、強大化&安定化できるという事例が大量に出てきている。 これは、かつての近代化論では説明できない。「蛙飛び」といった理屈を考えたり、例外として語ろうとしても、一部の後付け説明に過ぎぬ。 中国はその象徴だろう。 国家統制、一党支配、デジタル監視、国家資本主義を維持したまま、超大国化した。これは、単なる例外や後付け理屈ではなく、そもそも歴史の進行モデルそのものが間違っていたのでは?という疑問が生まれる。 そ
4回方針変更されて納期に間に合わず破綻→21億円が請求される訴訟となったプロジェクトから学べること『システム開発のトラブル回避は裁判に学べ』 「やってはいけない」悪手をアンチパターンというが、システム開発プロジェクトにおけるアンチパターンの満漢全席の事例がある。 要件定義も含めた一括で請負契約(契約額7億円) 「あるべき姿」を曖昧にして要件定義が未確定のまま開発スタート 現場の要求が統一できず、業務改革派と現行踏襲派が揺れる アーキテクチャレベルでの方針転換が4回繰り返される(現行踏襲→統合型→既存業務維持→コアシステム独立化) 顧客関係を優先しスコープ外作業も善意で対応 要件整理・再設計の必要性を再三警告しつつも開発を進める 結果、プロジェクトは混乱し、納期には間に合わず、完成見込みも無くなった。 発注側は契約解除して、損害賠償請求の訴訟を起こし、他のベンダへ再開発を依頼した額(20億円
SF小説を公募する星新一賞で、グランプリを含む3作品が、AIを用いて創作されたという。審査員のコメントに、こんなものがあった。 たとえAI小説がどれほど面白かったとしても、人間の内から生まれた言葉こそが尊い。AIの執筆した文章は、もう読みたくない。 [yahooニュース:『星新一賞』でAI小説が上位独占 ]より 「作り手が込めた思い」や「作り手の個性」を含めたうえで、作品を評価することが一般的だという解説が添えられている。 気持ちは分かるが、もったいない。これから、もっと優れた作品がAIの手で創り出されてくるのだから。それらを「もう読みたくない」とするのは審査員としての自殺行為になりかねない。 なぜならこの状況、スタニスワフ・レムの「ビット文学の歴史」そのままだからだ。 これは、"実在しない書物の序文集"という体裁のSF作品『虚数』に収録されている。「ビット文学の歴史」(全4巻)という歴史
過去記事の再公開(事情は[こちら])【初出 2022年1月22日】 お薦めの世界史の本について、3人で2時間語り合った。 世界史を学びなおす最適な入門書や、ニュースの見方が変わってしまうような一冊、さらには、歴史を語る意味や方法といったメタ歴史まで、脚本家タケハルさん、文学系Youtuberスケザネさん、そして私ことDainが、熱く語り合った。 全文はyoutubeで公開しているが、2時間超となんせ長い。なのでここでは、そこから厳選して紹介する。 因果関係を補完する『詳説 世界史研究』 スケザネ:大学生、あるいは社会人の方々にも、世界史を学ぶには、まず真っ先に「高校世界史」をオススメしたいです。世界の歴史を幅広く知るという観点から、高校世界史はベストだと思います。 代表的な高校世界史の教科書は、山川出版社の『詳説 世界史B』。世界史の概観が400ページぐらいにまとめられてて良い本なんですが
読者はなぜ、架空の人物の運命に、自分の人生のように反応してしまうのか? 作家や編集者、脚本家が探し求めてきたこの問いに、本書は一つの明快な答えを提示する。 シナリオライティングのハウツー本は沢山あるが、『ストーリー・ジーニアス』がユニークなのは、 「なぜ、”それ”が読者の心を揺さぶるのか」 という理由にまで踏み込んでいる点にある。 本書の主張はシンプルだが、その単純さゆえに、それで小説の全てを語られると、モヤるところもある。 とはいえ、作品の良し悪しを見極める「軸」を与えてくれる点で、本書はかなり有用だ。私を含め、何かしらの物語を書いた人/書こうとした人には使えるツールになるだろう。 人は物語で考える 本書は、 「人の脳には物語が組み込まれている」 という。 ここで言う物語は、いわゆる小説や映画のストーリーに限らない。 私たちの身の周りの、この「現実」というやつからやってくる情報は膨大だ。
過去記事の再公開(事情は[こちら])【初出 2006年9月14日】 長くなりすぎたこのエントリのレジュメ …というか、見出しの一覧。これ見てご興味ある方はお読み下さいませ。 マネジメントの4つの本質 マネジメントおける簡潔で痛切なエッセンス(一部) 設計とデバッグに関する恐ろしい事実 残業と生産性とプレッシャーに関する恐ろしい事実 生産性の測定について 管理者の怒りについて 会議を効率よく行うための、たったひとつの冴えたやりかた 大事なことが、ずばり書いてある。背中を押したのは「ソフトウェア開発の名著を読む」なんだけど、確かに名著だ。初読は物語を楽しみ、再読、再々読で血肉にすべきだな。 延ばし延ばしにしてた一冊を読み始めて「どうして今まで読まなかったんだあぁぁっ」と叫びだすような逸品がある。本書がまさにそう。デマルコは「ピープルウェア」がピカイチと決め付けてた自分が恥ずかしい。 「ピープル
本書は、地球誕生から現在に至るまでを「土」を軸に描いたもの。 地球46億年の歴史を丸ごと扱い、粘土を起点に生命誕生を説明し、現代の環境問題に接続する。土を主役に生命と地球史を再構成している。分子結合から大陸の運動を自由にあやつるスケール感と、1億=1年に換算して、地球を46歳のお母さんに例える視点が面白い。 著者は土壌学者、いわば土の専門家だ。スコップ片手に世界中を飛び回っては掘り返し、「人工的に土を作れるか?」というテーマを追いかけている。土フェチであり土のプロフェッショナルが、土を通して世界の見え方をひっくり返す。 土を中心に世界を考えるスタンスは、デイビット・モンゴメリー 『土と内臓』 や 『土の文明史』 と似ているが、本書はよりサイエンス寄りにまとめられている。。 土とは何か 一言で表すなら、土とは物質+生命のハイブリッドだ。 岩石が崩壊してできた粒子と、腐植の混合物になる。岩石が
過去記事の再公開(事情は[こちら])【初出 2014年6月17日】 ドカ読み上等!若さに任せて読みふけろ、読むべき本を読み干すべし。 このリストは、以下の4500冊超の中から、読むべき100冊を選んだもの。だから、「大学新入生に薦める」というより、若かったわたしに読ませたいリストであり、もう若くないわたしが読むべきリストなのだ。しょうもない新刊ばかり追いかけて踊らされているわたしの目を覚まし、叱咤激励するリストなのだ。 書籍『東大教師が新入生にすすめる本』文藝春秋編 書籍『東大教師が新入生にすすめる本<2>』文藝春秋編 書籍『教養のためのブックガイド』小林康夫ほか 書籍『大学新入生に薦める101冊の本』広島大学101冊の本プロジェクト編 書籍『大学新入生に薦める101冊の本 新版』広島大学101冊の本委員会編 書籍『必読書150』柄谷行人ほか サイト[東京大学 学科別 分類による推薦図書]
「人はなぜ物語を求めるのか」という問いは、しばしば「なぜ映画や小説やマンガが求められるのか」と言い換えられる。 そして、その答えもだいたい決まっている。「都合よくいかない現実の辛さをまぎらわすため」とか「予定調和の世界に癒されるため」なんて語られる。 だが、この本はその前提ごとひっくり返す。 物語は娯楽でもないし、逃避でもない。 むしろ逆で、「物語が無ければ、人は現実を理解することすらできない」と言い切る。さらには、「人を人たらしめているのは物語だ」とまで踏み込む。 大胆だけど、荒唐無稽なものではない。というのも、本書は、映画や小説のワンシーンを膨大に引きながら、脳科学の研究成果と接続し、この主張に理論的な足場を与えていく。 変化を検知するための認知システム まず、人の認知そのものが、限定されたものだという。 例えば、眼によって認識できるものは、光のスペクトルの10兆分の1にも満たない。現
マルケス『百年の孤独』の文庫化は事件だった。だが、シュオッブの文庫化は、奇跡といっていい。幻想文学の最深部が、まさか文庫で読めるなんて想像だにしなかった。 シュオッブは「知る人ぞ知る」「作家がハマる作家」と評される。 だが、ボルヘスが示す偽の世界や架空の伝記を貪り、モザイク化された世界を探索するボラーニョの魔術に翻弄され、怪奇と偏執に満ちたポーを読み耽り、渋澤龍彦の人工的な耽美を追っていくと、遅かれ早かれ、マルセル・シュオッブにたどり着く。 幻想文学が沼ならば、その最深部がシュオッブになる。奇しくも翻訳者・西崎憲が、「シュオップがいきどまり、そのさきはない」という評を紹介しているが、まさにそれ。幻想文学は底なし沼ではなく、シュオッブが底になる。 シュオッブの面白さは、物語を「語らない」ところに宿る。そこにあるのは筋でも結末でもない。ただ、異様な人物や出来事が、あたかも博物館の標本のように配
過去記事の再公開(事情は[こちら])【初出 2021年8月9日】 「お薦めのマンガを紹介しあおう!」という企画で膨大なリストを作り、読書猿さんとマンガ対談(第1回、第2回)をしたんだけど、とにかく物量がハンパない。収拾つかないと思ってたら、読書猿さんから「大人のためのBESTマンガ」が出てきた。 「人間を理解する」という目的で36作に厳選されており、「知」「意」「情」の切り口から12作品ずつ紹介されている。 何度も読んだ『プラネテス』や、未読だけど気になってる『紛争でしたら八田まで』、全然知らない『ナビレラ』など、見ているだけで楽しくて、気づいたら「注文を確定する」ボタンを押していた。 ここでは、そこから3つ、読書猿さんお薦めでハマった作品を紹介する。最初に言っておくと、読書猿さんありがとう。お薦めされなかったら、きっと知ることもなかった興奮と感動を教えてくれて。 『アオアシ』小林有吾・小
3行でまとめる。 amazonアフィリエイトIDが閉鎖された 直近の200件を除き、このブログの過去記事を公開停止にした 新IDを取得し、API経由でamazonへリンクを作成する方式にした 以下、わたしと同じ轍を踏まないようにするためにまとめる。 アフィリエイトIDの閉鎖 2/4、amazonより奇妙なメールが届いた。内容はこんな感じ。 コンプライアンス違反している可能性がある アカウントサービスに登録されたウェブサイトにアクセスできない、または機能していないことが判明した アカウントの停止を防ぐために、「ホーム>アカウントの管理>ウェブサイトとモバイルアプリの変更」に登録したURLを確認し、機能していないURLを更新するか、削除すること 2/12までに実施すること 言われた通り、このブログのURLが登録されていることを確認した。たまにココログはアクセスできなくなることがあるので、そのタ
食べたパンの数と同じくらい、『寄生獣』を読んだ回数は覚えていない。何度読んでも面白いし、何度読んでも考え込んでしまう。”寄生獣”とは何なのか、シンイチはなぜあんなことをしたのか(あるいはしなかったのか)。田宮良子から田村玲子へどのように変化したのか。一つの疑問が解けると、また次の疑問がわいてくる。 一人で考え込んでてもしょうがない。なので『寄生獣』の読書会があるというので行ってきた。6人で2時間、みっちり語り合ってきた。哲学カフェの読書会ということで、哲学の切り口から『寄生獣』を眺めることができた。 物語構造からすると、最も変化するキャラクターが主人公になる 。天涯孤独の身から栄光を手に入れたり、幸運の絶頂からどん底に転落したり、失われた愛・友情・宝を手に入れて、登場人物の中で劇的に変化する存在となるのは、主人公だ。 その意味で、シンイチほど大きく変化したキャラクターはいないだろう。だが、
長い歳月のあいだに人間の暴力は減少し、今日、私たちは人類が地上に出現して以来、最も平和な時代に暮らしているかもしれない 膨大な統計・歴史資料・考古学データを用い、心理学・神経科学・進化論を横断し、「暴力は減っている」と主張する、スティーブン・ピンカー著『暴力の人類史』の一文だ。 原著が出たのが2011年、日本語訳が2015年で、ビル・ゲイツをして「私が読んだ中で最も重要な一冊。それも『今年の』ではなく『永遠の』一冊だ」と言わしめたことで、読書人の間では絶賛されていたように見える。 一方、私は違和感を抱いた。 結論ありきで暴力の定義を伸び縮みさせるレトリックに辟易し、かなり批判的に評した( おめでたいアメリカ人『暴力の人類史』 )。「欧米からは減っている」かもしれないが、減ったと見なされる暴力は、不可視になったり形を変えて移動しているのでは?……という考えだった。 いま、この冒頭の文を読み直
ピュリッツァー賞受賞作の戯曲『 セールスマンの死 』読書会が、濃厚だった。 かつては敏腕セールスマンだったが、今では落ち目のウィリーが主人公だ。家のローン、保険、車の修理費、定職につかない息子、夢に破れ、すべてに行き詰まったウィリーが、ある選択を迫られるのだが――という話を、参加者6人で2時間かけて語り合った。 皆さんの第一印象はこんなん。 しんどい、冷静に読めない 他人事(ひとごと)じゃない 「私の話じゃない」と言い聞かせながら読んだ 確かにそう。ローンのために働いているウィリーに、自分が重なる。日常を維持していくために、ラットレースのように走り続けなければならない絶望が描かれている。 かつての、あったかもしれない成功へのチャンスは、ただの幻なのに、その夢想が現実を侵食する。「こんなはずじゃない」と思うのは自由だが、それを声に出し、暴れる姿には、読んでるこっちがヒリヒリしてくる( [アマ
世の中には、面白い本が沢山ある。しかも、タイトルや著者すら知らない、けれども超面白い本がある。 amazonが薦めてくるのもいいけれど、たいていはメジャーで無難なヤツが多い。そして、そういう作品は、読んでいるか、少なくともタイトルぐらいは知ってるはず。話題作とか人気作は、目や耳に入ってくるから。 そうじゃなく、もっと<私>に寄った、私好みのヤツがいい。それも、私が見たことも聞いたことも無いようなスゴいやつ。そういう作品があるということは知っている。偶然に出会った未知の作品に、心撃たれることがあったから。 人はそれを、「本に呼ばれる」と言う。 書店を物色していたり、だらだらネットを見てるとき、ふと目に留まり、手に取って、「コレだ!」と直感する。ほとんど運みたいなものだ。本好きが行きつけの書店に通うのは、本が好きだからだけでなく、「本に呼ばれる」確率を増やすためだと思う。 では、どうすればその
自分にウソをつき、無為に時を過ごし、カラッポとなった人生から、世界はどのように見えるのか? 終わりがくるのを待つだけになったら、どう感じるのか? [人生の手遅れ感を養う3冊] で、自分の人生を生きなかった人の末路を紹介した。自己欺瞞が暴かれ、絶望に向き合わされるとき、私は「この人生は、私の人生でもあったのだ」と身震いする。 しかし、同時に「私の人生ではなかった」ことにだってできる。なぜなら、まだ時間があるから。現実として死の床に就いているなら別だが、そんな人は本すら読めない(もちろん、この文章も)。 やりたいことを全部やるのに、遅すぎるかもしれない。 それでも、残り時間はゼロじゃない。消化試合として過ごすのか、アディショナルタイムに足掻くのか。 家族のために始めた「悪」なのに ★ブレイキング・バッド 『Breaking Bad』は、パンツで仁王立ちする、冴えないオヤジ(ウォルター・ホワイト
ラテンアメリカ文学の位置づけが目ウロコだった。 「面白そうなものを読む」という動機で、言語や文化にかまわず手を出してきた。文学の美味なるところをつまみ食いした自覚はあるものの、どうやってこの出汁が取れたのかは分からない。小説技法やテーマ、物語構造は、世代や社会を超えて受け継がれていくものだが、それがどのように行き渡ってきたのかは、皆目見当がつかなかった。 そんな私にとって、ラテアメ文学の立ち位置が示された この対談 は、大変ありがたいものだった。 ヨーロッパ近代文学の継承者 ラテアメ文学は、いわゆる「ブーム」のように扱われがちだが、全く異なるという。 確かに、昭和の終わりのマジックリアリズムの流行と、令和の初めの『百年の孤独』文庫化のお祭り騒ぎは、一時的な熱狂のように見える。 しかし、これは(日本から見た)表面的なものだという。ラテンアメリカ文学は、むしろ文学の継承者だというのだ。 20世
万人に手渡せる「人生を変える運命の一冊」という魔法のような本は無い。人にもよるし、タイミングも重要だ。 ただし、人生の見方を一変させるような本はある。 強制的に生き方を振り返り、「これでよかったのか?」という疑問を投げかけ、自分が自分に吐き続けてきたウソと向き合わされる。 ずっと正しいと信じてきたことが間違いで、それを認めざるを得ない状況に追い込まれる。素直になればいいのに、できない。過ちを認めることは、それまでの人生を否定することになるから―――そこで、どういう決断をするか? 有名なのはスクルージだろう。 ディケンズの『クリスマス・キャロル』に出てくる、高慢で傲慢なエゴイストだ。財を築き、社会的にも成功しており、「正しい人生」を生きてきたと信じていた。 だからこそ、過去・現在・未来を強制的に見させられ、自分が積み上げてきたものが誤りだったかもしれない―――その可能性を突き付けられる。これ
ラテンアメリカ文学と聞いて、身構える必要はない。 「マジックリアリズムが難しそう」「『百年の孤独』で挫折した」という声を聞くが、難しいと感じてしまうには理由がある。読み方が、少し違う。 私たちは普段、以下のように小説を読んでいる。 誰が語っているのかが明白だ 出来事には原因と結果がある ラストには何かしらの意味が回収される もちろん例外はあるけれど、王道があってこその逸脱として存在している。こうした暗黙の約束があるので、理解できた、納得できたという感触が残る。安心して読めるのだ。 だが、ラテンアメリカ文学作品は、現実と虚構、過去と現在、語り手と聞き手の境界が、はっきりと区切られない場合が出てくる。話者が入れ替わったり、いつの話なのか、夢か現か分からなくなったりする。 「結局のところ、何がどうなったのか?」という意味を目指すと、手ごたえが無くなり、フラストレーションが溜まる。いわゆる「あらす
この場所に見覚えがあるだろうか? By Bill Magritz, CC0, Link 「あの部屋」とか「黄色い空間」と呼ばれ、ネットで有名なのだが、実際には「どこでもない場所」になる。友達と映画を撮影していたら、突然、見知らぬ場所に迷い込む。 不気味な迷路空間を彷徨ううちに、異形の存在に見つかり、逃げ惑う。(よせばいいのに)振り返って撮ろうとしたり、(やってはいけない)暗がりに隠れたりする―――その結果、残された映像が発見されたという体(てい)のyoutube作品だ。Found Footage形式とも呼ばれ、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』風のホラーになる。 The Backrooms (Found Footage) 現実の裏側に、無限に続く無人の空間がある。ひとたび迷い込んだら、理由も目的も分からないまま彷徨う―――こうした空間をリミナルスペースと呼び、人の恐怖心を掻き立てると言われ
現代文学の金字塔とも呼ばれるピンチョンの『重力の虹』は、その難解さでも有名だ。 「3回読めば分かる」とか「何回読んでも難解だ」とも言われている。上下巻1450ページの鈍器本に1万円出して3ヶ月かけてヒーヒー言いながら読んだ(こうなることが分かってて読むのを、ピンチョン・マゾヒズムという)。 しかし、最後のページにたどり着いたが、果たして私は本当に「読んだ」と言えるのか? 意味を解体し、理解を拒む展開について、「分かった」とは、とてもじゃないが言えないものの、「面白かった」と言い切れるのか。どんなに頑張っても1時間に20ページの遅々としたスピードだったが、これは普通なのか。百科全書的に編みこまれた知識の断片には深い意味があるのか、あるいは衒学的な目くらましに過ぎないのか。 作品に仕込まれた謎よりも、そもそもこの読書体験って何だったんだろうね? そんな疑問を抱きつつ、読書会に参加した。 偶然か
イメージの濁流に呑み込まれ、もみくちゃにされ、ヨロヨロと頁を繰り、茫然としながら叩きのめされる読書、それがピンチョン。 ラーメンに例えるなら「全部入り」の百科全書なり。 第2次大戦末期のヨーロッパを舞台に、神話や歴史に始まって文学、数学、化学に物理学、冒険と暴力と陰謀とパラノイア、ガチ怖ホラー、泣かせるメロドラマ、エロス100%の恋愛モノ、スカトロSM満載で、果てしなく続く洒落とギャグと注釈と二重解釈と地文と話者の逆転とクローズアップとフラッシュフォワードに翻弄され、読解不能。 どれくらいもみくちゃにされるかというと、人物の相関図でイメージが湧くかもしれぬ。「主要」登場人物は122人で、関係図を作ってみた。 Gravity's Rainbow / Character Network (interactive) 丸い奴は人物で、〇の大きさが(私が考える)重要度、〇の色が陣営(家族や組織、国家
書きたいから書いている。だが、それなりの物量を「本」にする必要性はあるのだろうか? あるいは書いたものが「本」にならざるを得ない必然性はどこから来るのだろうか? 糊口をしのぐ、評価を得るなど、現実的な理由は多々あるが、ブログや動画でやれるし、コスパ的にはそっちの方がよさそうだ。それでもなお、「本」(特に紙の本)にしたくなるのはなぜか。 まず、形として残すためにある。 小説であれ批評であれ、一連の思考をFIXさせる必要性から、「本」という完成品になる。これがブログや電子書籍だと、消える。サ終により丸ごと消える電子本は、諸行無常の響きしかない(このブログも一緒やね)。だが、紙媒体なら物として存在することができる。 そして、物体としてあるから、手渡すことができる。 いくらでも改訂できるファイルではなく、印刷して確定した一冊を、パッケージとして渡すことができる。拡散は電子の方が効率的かもしれないが
他人の悪夢を覗いているうちに、私自身がそこに居る。 夢だから、断片的で支離滅裂で、因果も時系列もデタラメだ。なのに、そこで起きた感覚だけは、べっとり肌身に粘りつく。 忌まわしい、ふりほどきたい、逃れたいのに、なぜか顔を近づけて嗅ぎたくなる。歯をむき出しにして齧りたくなる。語りかける口調に、思わず耳を傾ける。知りたくない(最悪の)展開を、目を凝らして待ち構える。嫌悪感と接近衝動の両方に衝き動かされるように読む。 そういう、中毒のような効果をもたらすのが、ホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』だ。読んだことを後悔するような劇薬小説だ。 14年前 、 7年前 、そして今回で3度目の毒書なのだが、何回読んでもわけわからぬ(でもそれがいい)。だが、3度も悪夢につき合ってきたので、どんなやり方で、私の精神に大ダメージを与えているのか、その手口は分かるようになった。免疫というか耐性が付いたのかもしれぬ。 さらに
過去のデータを分析して、その傾向から何かしらの因果や法則を見出し、再現性を計測する。この営みを科学という。営むターゲットが素粒子や遺伝子や恒星など、適用先によって呼び名は違えども、本質は一緒だ。営まれてきた研究成果や論文は膨大な数となり、かつ、指数関数的に積み上がっている。 では、適用先を「科学」そのものにしてみたら?つまり、「科学の営み」そのものをターゲットとし、論文、プレプリント、助成金申請書、特許を過去データとし、研究活動の痕跡データを解析する。 なにしろ登録された論文だけでも5,800万件にも及ぶ。論文の最初の1ページをプリントアウトして積み上げると、キリマンジャロの頂上(標高5,895m)まで達する。これを「科学の山」という。 うち1,000回以上引用されたのは頂上付近の1.5m で、ほぼ頂点となる上から1.5cmは、1万回以上引用されたものになる(ちなみに、五合目以下の半分は、
「運転手」の問題は、どちらを選んでも「加害する」になる。そのため、「1人か5人か」を選ぶ消極的義務の中での問題となり、義務違反を最小化するために1人を犠牲にするという理屈は<一応は>成り立つ。 一方、「歩道橋」バージョンは、「善行する(5人を助ける)」と、「加害する(1人を殺す)」の衝突が起きている。 この場合私たちは、それぞれの義務を果たす、あるいはそれに背くといった、行為の性質の違いを考慮に入れなければならない。「歩道橋」の一人の加害が許されない理由は、異なった義務が衝突する場合、より厳格な消極的義務が優先されるからではないか。 『政治哲学講義』p.93より たとえ5人を見捨てることになるとしても、「加害しない(消極的義務の遵守)」ことを優先する。作為の方が不作為よりも責任を問われることは、医療倫理の「何よりも害を与えてはならない(Primum non nocere)」にも繋がるという
コンサルタントの秘密 伝説的なエンジニアであり、現代のソフトウェア文化の土壌を作った存在でもあるジェラルド・M・ワインバーグの主著とも言える『コンサルタントの秘密』を読んだ。 タイトルに「コンサルタント」とあるけれど、これはコンサルタントの本ではない。もっと広くて、「(自分も含む)誰かに相談されたとき、どう考えるか」をまとめた本だ(この「誰か」は自分も含む)。 コンサルタントは肩書きではなく、「どのように人と関わるか」が詰まった一冊といえる。彼の経歴上、プログラムやシステムの話が登場するが、あくまで面白いエピソードとして挙げているだけ。 様々なエピソード(だいたいトラブル)を元に、「コンサルタントの法則」として紹介してくれる。これ、実践できている人は当たり前すぎてピンとこないかもしれないが、「これを法則と呼ぶくらい重要な考え方である」ことに気づかない人には宝の山だろう。 トム・デマルコの書
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