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マンガ大賞候補作は
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「知らないけど、間違いなく面白い本」を読むには、どうすればいい? 世間で評判のベストセラーなら、少しは期待してもよいだろうが、「私が」面白いかどうかは別だ。プロ書評家が「これを読め」なんて誉めても、”Not For Me” (私には向いてなかった)なんてザラである。 そんなとき、どうするか? 面白い本を、「これ面白かった!」と叫べばいい。 すると、 「それが良いならこれなんてどう?」 なんてレスポンスがもらえるときがある。 ブログ記事に残されたメッセージだったり、twitter のリプライだったり、はてなブックマークでのコメントだったりする。そんな返事をくれる人は、鉦や太鼓で探すべきだし、オススメは果敢に手を出すべき。 なかでも、 はてなブックマークのコメント は有難く、知らないけれど、面白い本に出会うきっかけを何度も貰った。どんなに感謝しても感謝しきれないくらいである。 今回は、 d-
白いシャツと眼鏡だけの、女性の人形がある。 肌の質感は生きている人そのもので、温かい。シャツを脱がすと、透き通るような白い肌(色は選べる)と、豊満な胸があらわれる(大きさは選べる)。 瞳を見つめると、視線を合わせてくる(オプション)。話しかけると反応し、見事なクイーンズ・イングリッシュで返事をする(オプション)。20種類の基本人格を元に、利用者との会話を記憶し、学習して応答するAIが組み込まれている(オプション)。 ボディに埋め込まれたセンサーにより、自身の体勢や利用者との位置関係、動きを把握する。把握した内容により、体温を上げたり、適切なタイミングで声を上げることができる。重要なパーツはボディから取り外し可能で、水洗いができる。 ロボット工学と人工知能を集大成した特注品で、5万ドル(650万円)になる。 セックスロボットと人造肉 『セックスロボットと人造肉』の著者ジェニー・クリーマンは、
納期・予算・品質のいずれか(または全て)が制御不能になって炎上した問題プロジェクトを鎮火させる技術は、 [ITエンジニアが修羅場を生き抜く3冊] に書いた。 一方、そもそもプロジェクトを炎上させない技術もある。 いま「プロジェクトを炎上させない技術」と呼んだが、要するに言葉と習慣だ。 プロジェクトである限り、必ず、何らかの火種をはらんでいる。要件は膨らむものだし、見積もりはズレが生じるもの。予想外の問題は常に起きるし、重要な問題ほど後から見つかるものだ。 こうした火元を察知して、手を打つ。あるいはそもそも火種にさせない。 そのために、何か特別なセンスが必要というわけではなく、トレーニングで身につけることができる。具体的には、ある言葉や習慣をくり返し実践し、チームに浸透させることで自然に備わるスキルだ。 ご要望は承りました、要件に落とす検討をします ノー、それは我々の優先順位に合致していませ
どんな包丁を使ってる? 私は amazon で見つけたステンレスのやつ。「三徳包丁」で検索したら大量に出てきたので、上の方にあった値段が手ごろなやつを買った。10年以上も前の話だ。 毎日使っているのだが、研ぎ方が悪かったのか、切れ味がイマイチに感じられる。新調しようと amazon を覗いて、フと気づいた。 「三徳包丁」だけでも500種類ある 新しい包丁は、毎日使うし、ずっと使っていく 良いものが欲しいけど、お金はそんなに出せない 「価格」「刃渡り」「素材」などで、検索結果を絞り込むことはできる。絞り込んでも100種類ぐらいになる。買うのは一つだけで、買ったらそれを10年くらい毎日使っていくのだから、良いのがいい。 もちろん、それなりにお金をかければ、品質的には十分なものが手に入るだろう。だが日用品にべらぼうなお金は出せない。いつもと同じぐらいの値段で、その価格帯で最も私に合ったものを選び
プロジェクトマネジメント(PM)の重要性は、あまり認知されていないように見える。 うまく回っているときは「あたりまえ」扱いでスルーされ、いざ暗礁に乗り上げたときに「どうなってるんだ!?」と糾弾の的となる。 プロジェクトをうまく回していくコツというか勘所は確かにあり、相応のトレーニングが必要だ。にもかかわらず、なぜか蔑ろにされている。ろくに訓練もしないまま、「見て学べ」「やって覚えよ」と実践に放り込み、メンタルをやられず生き延びた者が幹部になる。 これは悪手だ。 よく、「失敗から学ぶほうがより身につく」などと唱える輩がいるが、しなくていい失敗は避けたほうがいいに決まってる。そして、この「しなくていい失敗」のほとんどは、基本を押さえるだけで回避できる。 この、PMの基本を押さえているのが本書だ。 『プロジェクトマネジメントの基本が全部わかる本』には、プロジェクトを回していくために「あたりまえ」
小話をどうぞ。 * * * 犬売ります とある新聞広告より 「犬売ります。何でも食べます。子どもが好きです」 ロミオとジュリエット A「読書は好きですか?」 B「はい、読書は大好きです」 A「ロミオとジュリエットは読んだ?」 B「はい、ロミオは読みましたが、ジュリエットはまだです」 単位がほしい 女学生「単位をください 、何でもしますので」 教授「本当に、どんなことでもしてくれるのかい?」 女学生「お望みのことを何でも……秘密のことでも」 教授「それじゃ、してくれるかね……勉強を」 * * * 面白い小話を聞いたときに感じる「おかしみ」は、AIも感じることができるのだろうか? 「ユーモアがある」とか「ウィットに富む」ことを、AIは理解できるのだろうか? OpenAI でやってみた。 最初に「今から面白い小話をします。この話の面白さを教えてください」と宣言する。その上で、小話をする。
テレビでやってた『エイリアン』が怖すぎて、見るのを止めてしまったことがある(船長がヤツと遭遇するシーン)。ストロボに照らされ一瞬だけ映ったその姿は、今でもはっきり思い出せる、というか夢に出てくるトラウマだ。 『シャイニング』(小説のほう)は怖くてたまらないのに、どうしても止められず、結局完徹したことがある。物語のラスト、オーバールック・ホテルが迎えた凄惨な朝は、痺れるほどのカタルシスだった。 自分の経験だけど、不思議に感じる。 1. モンスターは存在しないと知ってるのに、どうして怖いのか? 2. なぜ怖いと分かっているのに、ホラーを読むのか? この疑問に、真正面から取り組んだのが、ノエル・キャロル『ホラーの哲学』だ。古今東西の哲学者、研究者、作家の言を引きながら、メジャー・マイナー問わず、映画や小説のホラー作品に共通する原則を考える。この検討の中で、この疑問に一定の解を導き出している。 た
「におい」は言葉より強い。どんな意志より説得力をもち、感情や記憶を直接ゆさぶる。 人は「におい」から逃れられない。目を閉じることはできる。耳をふさぐこともできる。だが、呼吸とともにある「におい」は、拒むことができない。「におい」はそのまま体内に取り込まれ、胸に問いかけ、即座に決まる。好悪、欲情、嫌悪、愛憎が、頭で考える前に決まっている。 「におい」は、主観で決まる。よい匂いなのか、ひどい臭いなのか分かるのは自分しかいない。たとえば、女子高生のわきから漂う「汗のニオイ」だと悪いイメージだが、「かぐわしいフェロモン」だと身を乗り出したくなる。 そういう微細なアロマを嗅ぎ分け、スパイシーなのか粉っぽいのか、べっとり鼻孔に付くのか抜け感があるのか、甘み・酸味・青味・深み、香ばしさを観測し、秘密のノートに記録する―――それが主人公・香原理々香である。どう見ても変態ですありがとうございます。 彼女は、
「いつか読もう」はいつまでも読まない。 「あとで読む」は後で読まない。 積読をこじらせ、「積読も読書のうち」と開き直るのも虚しい。人生は有限であり、本が読める時間は、残りの人生よりもっと少ない。「いつか」「そのうち」と言ってるうちに人生が暮れる。 だから「いま」読む。 10分でいい、1ページだっていい。できないなら、「そういう出会いだった」というだけだ。「いま」読まないなら、「いつか」「そのうち」もない。 本に限らず情報が多すぎるとか、まとまった時間が取れないとか、疲れて集中できないとごまかすのは止めろ。新刊を「新しい」というだけの理由で読むな。積読は悪ではないが、自分への嘘であることを自覚せよ。「いま」読むためにどうしたらいいか考えろ。「本」にこだわらず読まずに済む方法(レジュメ、論文、Audible)を探せ。難解&長大なら分割してルーティン化しろ。こちとら遊びで読書してるんだから、仕事
大きな現実の前では、文学はつくづく無力だな。 そも文学は人と人との間学(あいだがく)なのだから、人を超える圧倒的な事物には、術がない。しかし、言葉が人に対して影響をもつものなら、それがいかに微かであろうとも、その力を信じる。わたしは、物語の力を、信じる。 このエントリでは、時を忘れる夢中小説、徹夜小説を選んでみた。計画停電でテレビや電車が動かないとき、開いてみるといいかも。amazonからは書影のみお借りして、リンクはしていない。自分の書棚か、営業してる本屋を巡ろう。文庫で、手に入り安そうなもので、かつ面白さ鉄板モノばかり選んだ。いま手に入りにくいのであれば、手に取れるようになったときの「おたのしみリスト」として期待してくださいませ。 ■大聖堂(ケン・フォレット、ソフトバンククリエイティブ) 十二世紀のイングランドを舞台に、幾多の人々の波瀾万丈の物語……とamazon評でまとめきれないぐら
ファンタジーの最高傑作がこれ。 いろいろ読んできたが、これほどの傑作はない(断言)。 夢中にさせて寝かせてくれず、ドキドキハラハラ手に汗握らせ、呼吸を忘れるほど爆笑させ、ページを繰るのが怖いほど緊張感MAXにさせ、食いしばった歯から血の味がするぐらい怒りを煽り、思い出すたびに胸が詰まり涙を流させ、叫びながらガッツポーズのために立ち上がるほどスカッとさせ、驚きのあまり手から本が転げ落ちるような傑作がこれだ。 この世でいちばん面白い小説は 『モンテ・クリスト伯』 で確定だが、この世でいちばん面白いファンタジーは 『氷と炎の歌』 になる。 書いた人は、ジョージ・R・R・マーティン。稀代のSF作家であり、売れっ子のテレビプロデューサー&脚本家であり、名作アンソロジーを編む優れた編集者でもある。 短篇・長編ともに、恐ろしくリーダビリティが高く、主な文学賞だけでも、世界幻想文学大賞(1989)、ヒュー
「擬人化の罠」という言葉がある。 生物の行動に「ヒト」を探そうとする姿勢だ。その行動や生態を観察する際、ヒトに似た属性でフィルターをかけ、ヒトの基準で評価しようとする。 ルイーズ・バレット『野性の知能』は、擬人化の罠に気をつけろと警告する。擬人化に偏って仮説を立てると、検証範囲が限定されてしまうからだ。 何かヒトに似た行動を取ったとしても、その行動を生んだ根源的なメカニズムまでがヒトと同じとは限らない。ヒトと異なる身体と神経系をもち、ヒトと異なる生息環境で生きているため、同じ行動原理であると考えるほうに無理がある。 例えば、コオロギの雌は、雄が奏でる誘引歌を聴き分けて、好みのパートナーを探し当てる。誘引歌の他にも、喧嘩歌や求愛歌などを使い分けて、状態を知らせている 雄の歌を「認知」して、脳が適切な行動を「判断」し、それに沿って身体を「制御」して雄に近づく―――擬人化のフィルターを通すと、コ
エモいとは何か。 一つの答えは、広辞苑のコピーだろう。 引用元:朝日広告賞(2021年度)より せつない、うつくしい、はかない、なつかしい……感情が一気に押し寄せ、言葉にするのが間に合わない。そんなときにエモいというのだろう。昔の人が「あはれ」というのと同じかもしれぬ。 古語辞典で「あはれ」をひくと、かわいい、いとしい、なつかしい、尊い……など、「感動を覚えて自然に発する叫びから生まれた語」とある。推しが尊すぎてしんどくて言葉を失うほど心が揺さぶられるのを略して「語彙力……ッ」と叫ぶときもあるが、根っこは同じだろう。 そういう、エモい、あはれな言葉に出会える辞典がこれだ。 もともと、小説やマンガ、歌詞など創作のために古語を厳選したのだが、パラパラと見ているだけで、胸をうずかせ、心を揺らす言葉が見つかる。まるで宝石箱のような辞典なり。 たとえば、 「可惜夜(あたらよ)」 という言葉を知った。
いわゆる「コンサルタント」と働くと、すぐに気づくのだが、やつらはめちゃくちゃ頭がいい。 この「頭がいい」とは、引き出しがたくさんあり、こみいった物事の理解が早く、口先が達者で、文章が上手い。悪用さえしなければ、ITエンジニアが学ぶところが大いにある。 奴らは、どのように考え、どうやって手を動かしているのか? 調査報告書(本物)をダシに、奴らの手口を暴きつつ、コンサルタントが持つ強力な武器を紹介する。 マネジメントが社内(庁内)を取りまとめ、少なくない予算を割り当てるための、求心力となるもの―――それが、コンサルタントが作る調査報告書である。 完璧な資料というのがあるのなら、それはコンサルが出してくるものだ。読めば分かるし、読むだけで納得させられる。現在の問題と進むべき方向、そこに立ちはだかる障壁を乗り越えるための課題が、隙の無いロジックでクリアに書かれている。 これらは、何かの形式に当ては
非日常を味わうために小説を読むなら、うってつけの一冊。入りやすく読みやすく、するする進んでいくうちに、脳天を直撃されるだろう。そこからが本番だ。異常を楽しめ。 殺し屋、小説家、癌患者、7歳の少女、Youtuber、建築家……それぞれの生い立ちと日常が語られる。出身も信条もバラバラで、最初は、まるで共通点がない人々の群像劇に見える。 一つだけ重なっているとするならば、2021年3月に同じ飛行機に乗り合わせたという点だ。パリ発ニューヨーク行きのエールフランス006便で、乱気流に飲み込まれ、恐ろしい思いをしたという記憶が共通している。 ―――この時点でスティーヴン・キングのあれとか、ディーン・R・クーンツのそれとか、あるいはデイヴィッド・マレルのとある短篇を思い出した。どれも「ある場所」にまつわる記憶を共有する、けれども全く接点のない人々の群像劇だ。 で、たぶんそういう展開なんだろうなーと思いな
物語には力があるが、毒もある。 「よくできた小話」はSNSに乗ってバイアスを拡散し、政治家はフィクションを駆使して世論を分断する。広告屋は「これを買えば幸せになれる」ファンタジーをばらまき、ジャーナリズムは「よりクリック数を稼げる」ストーリーになるよう捻じ曲げる。物語はあなたを操作し、人類を狂わせ、世界を滅ぼしかねないと憂う警世の書。 「物語がどのように人を動かしているのか」に興味があるため、物語のダークサイドを告発する本書は参考になった。一方で、著者自身が物語の毒に汚染され自家中毒に陥っているのが心配になった。 物語は人を狂わせる たとえば、2018年のピッツバーグで起きた、ユダヤ礼拝所襲撃事件だ。ライフルと拳銃で武装した男が、「ユダヤ人は皆殺しだ!」と叫びながら銃撃し、11人を殺害した事件になる。 本書の導入部で、この男の行動をストーリー仕立てで描いている。ごく普通46歳の白人男性が、
天下一品の「こってり」が好きだ。 食べるたびに脳内で「おいしい」とリフレインが叫んでる。このご時世、わざわざ会社に行く唯一の理由は天一といっていい。 一方で、あの「こってり」の濃厚スープが合わない人がいることも知っている(妻である)。 ポタージュ状のあのスープを、私は「おいしい」と感じ、妻は「おいしくない」と言う。 このとき、私たちは何らかの評価をしているはずだ。その評価は、センスによる主観的なものなのか。あるいは、何かしらの客観的な基準があって、それに合うから「美味しい」と言うのか。 何かを美味しいと評価するとき、実際のところ、私は何をしているのか? その評価は、私個人のものであり、正しいとか誤っていると言えるのだろうか? 「美味しい」とは何か こうした疑問について、美学の立場から追求したのが、『「美味しい」とは何か』だ。 美学(aesthetics)は、評価を下すときに用いる「センス」
混迷する物理学が面白い。 原子や電子といった小さなスケールで世界を考えるとき、常識が通用しなくなっている。観察対象には実体があって、位置や速度を持っているという、当たり前のことが成立しなくなっている。 例えば、電子は粒子でありながら波でもある現象について。二重スリットを通過する電子は、干渉しあった波のような縞模様が出てくる。一方で、電子を一つずつ発射すると、粒子のように観測される。しかし、継続していくと、波のような干渉縞になる(粒子波動二重性)。 あるいは、観測によって、電子の振る舞いが劇的に変わる、波動関数の収縮について。スクリーン上の一点の電子を観測する実験を、波動関数の変化とする。電子を観測する前だとシュレーディンガー方程式に従って存在するが、ひとたび観測すると、従わなくなる。観測によって結果が異なるパラドクスだ。 さらに、電子の位置と速度を同時に測定することができない、NOGO定理
・歴史とは現在と過去との終わりのない対話である ・世界史とは各国史をすべて束ねたものとは別物だ ・すべての歴史は「現代史」である 名言だらけのE.H.カーの名著。 昔は「教養を身につけるため」と有難がっていた。今でも教養課程の必読書とされているかもしれない。文系理系関係なく読むべき名著といえば、 『理科系の作文技術』 とこれだろう。 ところが、新訳を読むと、がらりとイメージが変わった。「教養を身につける」という体裁よりも、むしろ、ユーモア満載、毒舌たっぷり、ハラを抱えて大笑いできる一流の講義になる。 論敵をあてこすり、酷評し、嘲笑する。死者を皮肉り、(歴史学も含めた)人文学を軒並み張ッ倒し、強敵は名指しで祭り上げ、しかる後にメッタ斬り。 母親の膝のうえで学んだ子どもっぽいナイーヴな学説だとか、成績が「可」ばかりの学生みたいな史観だとか、めずらしく階級的感覚の低い発言だとか、嫌味と毒舌のオン
毎夜、取り憑かれたかのようにのめり込む。 800ページ超の鈍器本なので、持ち歩くには向いてない。アメリカ文学の鬼才リチャード・パワーズの長編小説なので、面白さは折り紙付き。 2組のラブストーリーを軸に、進化生物学、音楽、文学、歴史、芸術論、情報科学が丹念に織り込まれており、知的好奇心と物語の引力に惹かれながら、読んでも読んでも終わらない幸せが何夜も続いた。 充実した十八夜を過ごし、惜しみ惜しみ最後のページに至った時、「これ、最初のページに繋がっている!」ことに気づく。ダ・カーポ(始めに戻る)やね。そして、もう一度はじめから読み返す。 (この物語の構造上、中身に触れずに紹介するのは難しい。ある程度ストーリーに踏み込んでゆくので、ご容赦願いたい) 2人の主人公 主人公はオデイ、ニューヨーク公共図書館に勤めている。利用者が寄せる様々な種類の質問に答える司書だ。 地球上にはまだ測定されていない場所
最後の頁を読んだとき、頭に入ってこなかった。 何が起こったのか、一読して分からなかった(分かりたくなかった)。 ありえない、嘘であってほしいと願い、読み直す。目に力を入れて、一字一句を読み直すことで、この悲劇を免れる別の解釈が得られるかもしれないと願う。 しかし、いくら読んでも変わらない。どんなに読んでもラストは変わらないことに気づいた時、ざっくりと胸が抉られていた。 この痛みは一生もの。 悲劇は沢山読んできたが、これは苦しい。人並み以上に耐性はあり、たいていの物語は飲み込めるが、これはダメだ、辛い、辛すぎる。毒が血液にのって隅々にまで行き渡るように、苦しみが全身を這いまわる。この作品から被った痛みは、最高レベルになる。 これは、イギリスのムスリムの家族の物語だ。 「ムスリム」とはイスラム教徒のこと。イギリスでムスリムとして生きる人々は、およそ300万人、総人口の5%になる。豚食やアルコー
読み始めたら最後、徹夜を覚悟する。あまりの面白さに、結末まで何も手につかなくなることを請け合う(私がそうだった)。 サイエンス・フィクションの「フィクション」に当たる嘘は2つだけ。あとは科学的に徹底的に考え抜かれ、エンターテインメントに全振りされた小説だ。 最新の科学ネタが満載で、これまでのSF小説や映画のいちばん美味しいところを、これでもかと詰め込んでいる。読み手の予想をことごとく裏切り、暴上げした期待を一切裏切らない、ごほうびみたいな作品となっている。 できればストーリーの予備知識ゼロで(帯やamazonの紹介文すら読まずに)いきなり読むほうがよいので、あらすじには触れない。 代わりに、「ヘイル・メアリー号」について書く。そうすることで、この作品がどれほど考え抜かれているかが伝わるだろう。「めちゃくちゃ面白い」だけでなく「めちゃくちゃリアル」な作品なのだ。 「ヘイル・メアリー号」は船の
巧妙な詭弁は、それが詭弁だと分からないことが多い。 例えば夏目漱石『坊ちゃん』のここ。教頭の赤シャツが、坊ちゃんをやり込めるところだ。さらりと読むと、詭弁だと分からない。 赤シャツ「じゃ、下宿の婆さんがそう云ったのですね」 坊ちゃん「まあそうです」 赤シャツ「それは失礼ながら少し違うでしょう。 あなたのおっしゃる通りだと、下宿屋の婆さんの云う事は信ずるが、教頭の云う事は信じないと云うように聞えるが、そういう意味に解釈して差支えないでしょうか 」 赤シャツから「給料を上げてやる」と言われたものの、坊ちゃんが断りに行くシーンだ。 ふつうに考えたら、給料が上がるのは嬉しいことなのだが、坊ちゃんは納得しない。というのも、赤シャツの提案にはウラがあることを、下宿屋の婆さんに聞かされたからである。 赤シャツは教頭なので人事権がある。人の恋路に横恋慕して、邪魔者を転勤させた結果、巡り巡って坊ちゃんの給料
「みんな違って みんないい」 という一節は、金子みすゞの詩「私と小鳥と鈴と」にある。1996年より小学国語の教科書に掲載され、「正しさは人それぞれ」「価値観の多様化」といった言葉がトレンドになる。 正義の反対はまた別の正義であり、絶対的な正しさなんて存在しない―――相対主義と呼ばれるこの考え方、現代の「新常識」とみなす人も多いだろう。 これに疑問を呈したのが本書だ。 「みんな違って みんないい」という言葉は、確かに他者を認め、多様性を尊重しているように見える。実際、こうした言葉は善意から生じた文脈で用いられている。 しかし、この言葉は安易に広められ、世間に蔓延しているという。単なる趣味の違い程度なら、「互いの価値観を認め合う」のはよいかもしれぬ。だが、エネルギー施策における原発の扱いや、社会保障制度の見直しといった、大勢を巻き込み、利害が対立する場合はどうなるのか。 この場合、現実として、
自炊歴も30年になると、料理も適当になってくる。 テキトーという意味ではなく、あり合わせのものでなんかするイメージ。レシピ通りに作らないし、調味料も目分量になる。代わりに、食費と洗い物の最小化を目指したり、極限までサボったり、変わった料理に挑戦したりする。 自分の中で、「料理とはこんなもの」という料理観みたいなものが出来上がっている。そのため、普通のレシピは、レパートリーを増やすためにチラ見する程度になる。 一方で、私の料理観を揺さぶり、変化させるような本もある。何気なくやってた一手間が、実は深い意味を持っていたり、伝統&科学に裏打ちされた本質が見えてきたりする。 ウー・ウェン著『料理の意味とその手立て』が、まさにそんな一冊だ。 中国家庭料理を紹介しているのだが、いわゆるレシピ集というよりも、料理についての考え方をまとめたエッセイと言ったほうがしっくりくる。料理する人には見慣れたことかもし
生きるとは何か、死とはどういうことか。 生きる「意味」とか「目的」を混ぜるからややこしくなる。複雑に考えるのはやめて、もっと削いでいくと、この結論に至る。 ・生きるとは、他の生き物を食べること ・死とは、他の生き物に食べられる存在になること 見た目がずいぶん変わるから、気づきにくくなっているだけで、私たちが口にしているもの全ては、他の生物である。 ひょっとすると、幾重にも加工され尽くしているから、それは「肉」ではないと主張する人もいるかもしれない。だが、葉肉であれ果肉であれ、生きていた存在を食べることで、わたしたちは生きている。 死を食べて生きている 誰かの死を食べることで、私たちは生きていることを理解するなら、『死を食べる』をお薦めする。 動物の死の直後から土に還るまでを定点観測した写真集だ。 死んだ直後のキツネから、まずダニが逃げ出し、入れ替わるようにハエや蜂が群がってくる(スズメバチ
ITエンジニアが修羅場をシミュレートできる3冊+α」 ……という記事を書いたのだが、長いのでまとめをここに記す。 火消しのセオリーと、初見殺しの見分け方 お客の反応(否定、怒り、懐疑)の傾向と対策 炎上プロジェクトで真っ先にすべきこと 「やらないこと」の決め方 みずほ勘定系基幹システムMINORIに見る修羅場 2021年2月のATMシステム障害の原因 実際の炎上プロジェクトを通して学ぶ、修羅場シミュレーターとしての3冊+αだ。 『問題プロジェクトの火消し術』はリカバリーするために何が必要で、どうやって話を持っていけばよいかが、具体的に書いてある。そのまま使える言葉がゴシック体で強調表示されているため、なんならメールにコピペして使えるくらい生々しい。 『プロジェクトのトラブル解決大全』は修羅場でどう動けばよいのかがまとめられている。いわゆる「正解」があるというより、上手く動けるPMは、たいて
問題:以下の3つのカットを並べ替えて、次の文章を動画にしなさい。 「太郎くんは、花子さんを、愛している」 最初に出てくるカットに映っている存在が、動作の主(主語)になる。そして、その次のカットが動作そのものになる。そして、その動作の対象(目的語)になる。 止め絵なので脳内で再生してみてほしい。 すると、確かに太郎くんが目に入って、次にハートがドキドキしていたら、太郎くんの心象だと感じるだろう。そして、次に映ったものが、ドキドキの対象だと想像がつくはずだ。 問題2:上のカットを並べ替えて、次の文章を動画にしなさい。 「太郎くんと、花子は、愛し合っている」 解答はこの記事の末尾に載せておくが、テレビを見て育ち、日常的に動画を見ている皆さんにとっては楽勝だろう。それくらい、動画を見ることは、ごく当たり前のことになっている。 動画には文法がある 動画は、言葉と同じコミュニケーションツールなのだから
飛び交う怒号、やまない電話、不夜城と化した会議室。 集められたホワイトボードが衝立のように立ち並び、全員が立って仕事をしている(座る間が無いから)。週をまたぐとメンバーの疲弊が目に見えはじめ、月を跨げば一人二人といなくなり、仕事場はお通夜となる。 トラブルの無いプロジェクトは存在しない。炎上するかボヤで済むかの違いなだけで、大なり小なりトラブルは付きものである。 自分が所属する部署は大丈夫かもしれない。だが、隣のブースだとか、同期がいるチームで炎上しているのを横目で見ながら仕事する、なんてことがある。ホワイトボードは目につくし、大きな声はイヤでも耳に入ってくるので、プロジェクトが炎上⇒鎮火するパターンなんてものも、なんとなく伝わってくる。 消火作業のイロハとか、怒った客をあしらう方法、リカバリ計画の立て方なんてのも、肌感覚で分かってくる。 そして、トラブルの扱いが分かってくる頃には、「応援
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