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浜松城 駐車場の検索結果1 - 40 件 / 54件

  • 市民が反対?スターバックスが公園への出店断念 どうしてこうなった…方針変更の背景は【静岡発】|FNNプライムオンライン

    静岡市の閑静な住宅地にある城北公園の再整備で、大手コーヒーチェーンのスターバックスが出店を辞退した。 人気店進出を心待ちしていた市民にはショックだが、公園の整備計画をめぐっては「樹木の伐採で景観が損なわれる」として見直しを求めた地元住民もいた。それに対して伐採本数を減らす提案も市はしていたのだが、歩み寄りの道はなかったのだろうか。 公園の魅力向上めざし この記事の画像(17枚) 城北公園の再整備事業は、公園へのアクセスを改善し、公園の魅力を高めるとともに、維持管理費の増大を解決するのが目的。 静岡市が民間事業者の力を活用するPark-PFI事業として公募を行い、2021年に「つなぐ公園プロジェクト」(代表・フジ都市開発)が選定された。 約6万平方メートルの敷地のうち、約4000平方メートルに駐車場やドライブスルーのカフェ、子育て支援施設を整備する計画で、スターバックスも誘致された。 公表さ

      市民が反対?スターバックスが公園への出店断念 どうしてこうなった…方針変更の背景は【静岡発】|FNNプライムオンライン
    • 【静岡県・浜松市】旅ともと行く浜松旅行記〔13〕観光地『浜松城・スイーツバンク・エアパーク・ぬくもりのセス方法まとめ - 旅のRESUME

      ブログへお立ち寄り頂きありがとうございます。 今回の旅行で訪れた場所のアクセス方法をまとめた記事になります。 どこも行って良かった場所なので、これから行かれる方の参考になれば幸いです。 www.bluemoonbell.work 遠鉄バス 遠州鉄道株式会社が運営する遠鉄バスは、浜松市内を網羅するバス路線です。 駅前に大きなバスターミナルがあり、二か所ある案内所では目的地までの行き方を丁寧に教えてくれるので助かりました。 ▼改札を出て北口を出るとすぐにバスターミナルがあります。 遠鉄バス専用の交通系カードがあるので、SuicaやPASMO等他の物は使えません。小銭を用意しておく必要があります。 車内での両替はバス停、信号待ちでバスが止まった時のみ。 結構タイミングが大変でした(^^; ▼バス停時刻表です。 バス停別時刻表|浜松駅|遠鉄バス(路線バス・空港バス・高速バス) 浜松城・どうする家康

        【静岡県・浜松市】旅ともと行く浜松旅行記〔13〕観光地『浜松城・スイーツバンク・エアパーク・ぬくもりのセス方法まとめ - 旅のRESUME
      • ソメイヨシノの開花が待ち通しい「はままつフラワーパーク」 - sannigoのアラ還日記

        こんにちは、sannigo(さんご)です。 今日もよいお天気ですが、冷たい風が強いためかこの地では珍しくダウンを羽織ってマフラーを巻いている人を見かけました。 東京では桜もかなり咲いているようで、上野にも宴会なしのマスクあり花見が盛況だったようですね。 写真ACからの桜の写真 浜松市ソメイヨシノの開花状況は? はままつフラワーパーク はままつフラワーパークの50周年 園内を走るフラワー号 園内 はままつフラワーパーク情報 入場料 交通機関 駐車場 食事 おみやげ 噴水ショー まとめ 浜松市ソメイヨシノの開花状況は? 開花:フラワーパーク、佐久間ダム湖、秋葉ダム千本桜 つぼみふくらむ:蜆塚公園、城山公園、奥山公園、奥山高原、 つぼみかたし:浜松城公園、佐鳴湖公園、、都田川堤防、 浜松の桜はやっと咲き始めたくらいの感じですね。今日などは少し気温も下がっているので満開での見頃は4月に入ってからに

          ソメイヨシノの開花が待ち通しい「はままつフラワーパーク」 - sannigoのアラ還日記
        • 家康三大危機の一つ「三方ヶ原の戦い」!家康、信玄に人生最大の大敗北を喫す

          こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、家康三大危機の一つ「三方ヶ原の戦い」!家康、信玄に人生最大の大敗北を喫す…です。 ■家康を辿る物語 元亀3年(1572年)、ついに軍を発した戦国最強の武田信玄軍。 総勢3万もの大軍が、家康の領する遠江・三河に侵攻してきました。 一方、家康が遠江で動員できたのは8,000ほど…。頼みの信長からの援軍も僅か3,000でした。 家康は、武田軍の狙いが、本城の浜松城にあると見て、籠城戦の準備を進めます。 ところが、二俣城を攻略して浜松城に向かっていたはずの武田軍が予想外の行動に出ます。 突然進路を変更すると、浜松城を無視するかのように、西進をはじめたのです。 侮られたと感じた家康は一部家臣の反対を押し切り、城を出て三方ヶ原台地へ出陣。 武

            家康三大危機の一つ「三方ヶ原の戦い」!家康、信玄に人生最大の大敗北を喫す
          • 浜松界隈のコロナウイルスによる臨時休業などくわしく説明 - sannigoのアラ還日記

            こんにちはsannigo(さんご)です。 今朝もあっぱれ青空で始まりました。 ここ数日4月ってこんなに涼しいというか寒かった?って感じの気温です。 汗もかかずに掃除に洗濯干しができて快適でうれしい限りですがやっぱり不思議です。 こんなに気持ち良い季節なのにコロナのせいでいつも私が出掛けるウォーキングスポットがほとんど営業を休んでいるか駐車場を閉鎖しています。 「コロナウイルスによる臨時休業など」 写真ACからの写真 臨時休館・臨時休業 <浜松市> <磐田市> <掛川市> <袋井市> <湖西市> <御前崎市> <菊川市> <森町> 中止・延期のイベント <浜松市> <湖西市> <磐田市> <菊川市> <袋井市> 中止・延期の大会 【野球】 【サッカー】 【ラグビートップリーグ】 【その他】 明日から(4/25)の浜松市の主要公園の駐車場を閉鎖する25公園 駐車場を臨時閉鎖する公園 【中区】

              浜松界隈のコロナウイルスによる臨時休業などくわしく説明 - sannigoのアラ還日記
            • 【和歌山県・和歌山市】和歌山旅行記〔19〕紀州徳川家ゆかりの『和歌山城』を訪ねて - 旅のRESUME

              ブログへお立ち寄り頂きありがとうございます。www.bluemoonbell.work 前日あまりの暑さで挫折した和歌山城観光、、、実は「もう行かなくてもいいか」ってなってました。 www.bluemoonbell.work ですが、べる家が住む場所から和歌山は遠いので、簡単にまた今度というわけにはいきません。淡嶋神社参拝後に行くことにしました。 アクセス 淡嶋神社から和歌山城まで車で30分ほどでした。 和歌山城は街中なので分かり易い場所です。 和歌山城道案マップ 以下は駐車場で貰った案内図です。 公園何の駐車場は2か所で車を止めたのは下中央の動物園に近い駐車場です。 もう1か所はバス専用の駐車場です。 料金は1時間200円、2時間300円、以降1時間ごとに200円です。 周辺には無料駐車場がありますが、とにかく暑くて歩きたくなかったので和歌山城公園の駐車場を利用しました。 トイレと自販機

                【和歌山県・和歌山市】和歌山旅行記〔19〕紀州徳川家ゆかりの『和歌山城』を訪ねて - 旅のRESUME
              • 先週末は「愛知県民の森」へ、紅葉はだいぶ進んで見頃一歩手前くらいかな - sannigoのアラ還日記

                こんにちはsannigo(さんご)です、いつもありがとうございます。 最近、わたしったらどのくらいの期間県外に出ていないのかしら?とグーグルフォトを遡って調べてみたんです。 結果、なんと3年前の2018年秋に紅葉狩りにでかけた愛知県の香嵐渓以来一歩も県外に出ていないことが判明し、かなりの引きこもりだと実感しているところです。 なぜそんなことを急に思いついたかといいますと、先週末いきなり同居人に「紅葉を見に行くから」と、行き先も告げられないままたどりついた所が「愛知県民の森」で、気づかぬ間に県外に出てしまっていたからなんです。 お天気もよくそれほど気温も低くなく雲ひとつない真っ青な空のもと、広大な敷地を森林浴するには最高のタイミングで、この日を選んだ同居人に本当感謝です。 時期的にも紅葉が見頃と言えるような良い場所もいくつかあって、今週末あたりのお出かけならもっとたくさんの紅葉を楽しめるかも

                  先週末は「愛知県民の森」へ、紅葉はだいぶ進んで見頃一歩手前くらいかな - sannigoのアラ還日記
                • 【現在1766城!】全国の御城印(お城版の御朱印)を販売しているお城の一覧 - 攻城団ブログ - お城や歴史のおもしろくてためになる記事がいっぱい!

                  攻城団のサイトでは砦などをお城としてカウントしていませんが、ここでの「○○城」のカウントは原則として御城印販売元の記載や告知内容に基づき集計しています。 いますぐアクセス! 最近はお城で御朱印のようなものが販売されているのをご覧になった方も多いのではないでしょうか。 これは「御城印(ごじょういん)」といって、スタンプに代わる登城証明(兼おみやげ)として集める人が増えています。最近のお寺や神社でいただく「御朱印」ブームに乗っかったとも思われがちですが、じつはもっとも古いとされる松本城では1991年(平成3年)頃から販売しており、意外と歴史があるんです。 御城印の数は2018年以降、一気に増えており、現在は60城前後のお城で販売されていることを確認しています。 このたび攻城団では全国の御城印を配布(販売)しているお城についての調査をおこないましたので、以下にまとめます。 御城印とはお城版の御朱

                    【現在1766城!】全国の御城印(お城版の御朱印)を販売しているお城の一覧 - 攻城団ブログ - お城や歴史のおもしろくてためになる記事がいっぱい!
                  • 『井伊の赤備え』発祥の地として知られる『浜松秋葉神社』の御朱印はお菓子つき!? - sannigoのアラ還日記

                    こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 昨年の春からずっと楽しみにしていた大河ドラマ『どうする家康』もすでに2回放送され、その斬新な切り口に、これまでのタヌキ親父だとか、虎視眈々と天下取りの時期を待つなどという家康のイメージがだいぶ薄れてきているのを感じます。 今回も遠江の家康公にゆかりのある『浜松秋葉神社』を訪ねてみました。ちょうどドラマ館に飾る#フラワーポットプロジェクトのビオラを届ける予定があったので、浜松城公園の駐車場に車を置いて移動できたのでラッキーでした。 ドラマ館がオープンすれば土日祝は駐車場を使えなくなりますからご注意を! 浜松城もドラマの放送に合わせてきれいにリニューアルされ、本丸東側の通路や北側の通路や、園内看板なども新しくなっていました。 何より天守閣を下から眺めると、一部に金色の飾り?がキラキラと輝き、天守全体の印象がこれまでよりずっと

                      『井伊の赤備え』発祥の地として知られる『浜松秋葉神社』の御朱印はお菓子つき!? - sannigoのアラ還日記
                    • 『浜松城』珪岩を使った荒々しい石垣は必見!  - 旅の先には福がある

                      家康が、強大な戦国大名に囲まれた中で戦い生き延び、天下取りの夢をつかんだ場所、浜松城。その石垣は、家康の底力を表しているような力強い見事な石垣でありました。 浜松城公園駐車場に車を置いて、いざ出陣。 階段を上がり、くるっとカーブを曲がると見えてきた石垣、すごっ! 今回は石垣に注目して見てきました。 入城4回目にして、こんなにすごい石垣だったんだと驚きながら回りました。 荒々しくてカッコイイ。 これは、自然石を上下に組み合わせて積み上げる野面積みという積み方でござる。 「約400年前の築城の頃の面影を残す貴重な石垣」と書いてあります。 迫力あるでござるね! 「るろ剣」観た後です。 すぐ影響受ける軽い奴。 一見崩れそうに見えますが、奥が深く内側に小石や砂利を詰めてあるため、 水はけもよく強固なんだそう。 こんな構造でござるよ。 野面積みが大好きな足軽二人は、興奮しながら天守閣めざして前進!(^

                        『浜松城』珪岩を使った荒々しい石垣は必見!  - 旅の先には福がある
                      • 磐田の家康ゆかりのスポットも巡って「どうする家康」で一緒に盛り上がろう - sannigoのアラ還日記

                        🕖2022/08/13    🔄2022/08/22 こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 浜松と磐田は天竜川を境にしたお隣さん同士のため、天下人として歴史に名を残す徳川家康ゆかりのスポットが磐田にもけっこうあるそうです。 そんなことを聞いたら来年放送の大河ドラマ「どうする家康」に興味津々な人々はみんな、磐田に出かけたくなっちゃいますよね。 そんなチャンスを利用して、磐田市では「磐田市民にも家康にちなんだ歴史を見つめ直してもらおう」と、8月1日から12月25日まで、徳川家康にゆかりのある市内の史跡、名所を巡るデジタルスタンプラリー「磐田で何した?家康の足あとをたどろう」を始めたそうです。 「磐田で何した?家康の足あとをたどろう」はこちら>> 「磐田で何した?家康~家康の足あとをたどろう~デジタルスタンプラリー」を開催します|磐田市公式ウェブサイト 家康が

                          磐田の家康ゆかりのスポットも巡って「どうする家康」で一緒に盛り上がろう - sannigoのアラ還日記
                        • 家康が武田と初めて戦った『一言坂の戦跡』、敗走中に神頼みした『一言観音』、戦死者を弔った『提燈野』 - sannigoのアラ還日記

                          🕖2022/11/23    🔄2023/05/28 こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 浜松在住で『大河ドラマ』ファンでもあるアラ還の私。『どうする家康』が放送されていることもあり、徳川家康のことを学びながら、家康ゆかりの地をボチボチと訪ね歩いては、その場所の記事をアップしています。 今回は、「家康は浜松ではなく磐田にお城を構えていたかもしれない」という、浜松のおとなりさん磐田にある『一言坂の戦跡』と『一言観音』、さらに『提灯野』を訪ねました。 私などは、戦国時代最強といわれる武田軍と家康率いる徳川軍の戦場となった”急な坂道”を上り下りするだけで、小汗もかけば息も切れます。ところが、戦国時代の武将達は、さらに重い鎧・兜や弓や刀を身に着け、しかも馬上で戦ったと思うと、尊敬の念しかありません。 そんな武将たちの中でも、1572年(元亀3年)に三ケ野(磐田

                            家康が武田と初めて戦った『一言坂の戦跡』、敗走中に神頼みした『一言観音』、戦死者を弔った『提燈野』 - sannigoのアラ還日記
                          • 600年の歴史を刻む名刹 禅寺「可睡斎」は家康公との故事により名付けられた? - sannigoのアラ還日記

                            🕖2022/12/22   🔄2023/03/30 こんにちはsannigo(さんご)で。いつもありがとうございます。 まさに遠州地方の紅葉の盛りとも思われる12月中旬に、赤や黄色に染まる木々の間から、歴史ある建物を思う存分に楽しむことができる「可睡斎」を訪ねました。 「可睡斎」の名は、故事から家康公が名付け親ともいえ、600年の歴史を刻む曹洞宗専門僧堂「禅の寺」として知られています。 数世紀の歴史のある仏教寺院で、春の牡丹・百合や、寺一面にお雛様が飾られるひなまつり、夏は風鈴まつり、秋の紅葉まで4時間以上散策も楽しめます。最近話題の健康食として人気の高い「精進料理」も人気です。 ご利益は火災消除をはじめ、厄除守護、無病息災、生業繁栄、商売繁盛、学業成就、合格祈願、良縁成就、安産祈願、交通安全等、どんな願い目でも大丈夫。 紅葉を楽しみながら今回訪れてみて、思ったより広くすべてを回りきる

                              600年の歴史を刻む名刹 禅寺「可睡斎」は家康公との故事により名付けられた? - sannigoのアラ還日記
                            • 家康の伝承が残る樹齢1000年を迎える雲立の楠、『浜松八幡宮』に浜松の名前の起源があるの? - sannigoのアラ還日記

                              こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 いよいよGWが近づいてきました。5月5日には『どうする家康』のキャストが登場する「家康公騎馬武者行列」が初開催されるので楽しみで仕方ありません。 家康のご長男信康くんところの二俣の皆さんも行列に参加するみたいだし、お宿の予約が盛況で街中盛り上がってるみたいですよ。申込期間は4月21日(金)まで、忘れずに応募しましょ! ということで、今回の徳川家康ゆかりの神社は、浜松市中心地にありながら緑あふれる森に鎮座する『浜松八幡宮』です。 家康が三方ヶ原の戦いでの敗走時に、逃げ込み身を隠した『雲立の楠(くもだてのくす)』が今も残る神社で、浜松城の鬼門を護る神社でもあります。 また、浜松の名前の起源とされる伝承が残される「ざざんざの松」が植えられています。 浜松市中心地にありながら緑あふれる森に鎮座する『浜松八幡宮』の鳥居 浜松八幡宮

                                家康の伝承が残る樹齢1000年を迎える雲立の楠、『浜松八幡宮』に浜松の名前の起源があるの? - sannigoのアラ還日記
                              • 1568年に”井伊三人衆”の案内により侵攻した徳川軍に攻められ落城した『刑部城跡』 - sannigoのアラ還日記

                                こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回の徳川家康ゆかりの城は、堀川城と同様三河の家康が遠江に侵攻してくる徳川に備えて、今川方の豪族たちが築いたお城『刑部城』です。 刑部城には悲しい姫様の悲話も残されているということで、興味津々で調べてみました。が、けっきょく現地にはたどり着けていないため、ネットなどで収集した情報になります。リベンジで出かける時の自身のためにも記しておきます。 磐田御殿遺跡公園のちょっとかわいらしい家康公の石像 刑部城跡 《アクセス》 井伊三人衆とは? 現在の『刑部城跡』のようす 悲話「金襴の池」 最後に 刑部城跡 阿王山紫城とも称される『刑部城』は『堀川城』とともに、桶狭間の戦いで今川義元が亡くなったため、今川方の豪族たちが対徳川のために都田川岸に築いたお城です。築城年代などは定かではありませんが、戦国時代今川義元の家臣新田美作入道が居

                                  1568年に”井伊三人衆”の案内により侵攻した徳川軍に攻められ落城した『刑部城跡』 - sannigoのアラ還日記
                                • 『旧見付学校』に展示されている『酒井の太鼓』から酒井忠次を想う - sannigoのアラ還日記

                                  🕖2022/11/26  🔄2023/06/26 こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回、徳川家康ゆかりの地磐田で訪ねたのは、『酒井の太鼓』が展示されている『旧見付学校』です。 現在磐田の中心部である静岡県磐田市見付は、江戸時代には、東海道五十三次の28番目の宿場「見附宿」として賑わった場所です。京側から旅をしてきてここで初めて「富士山」が見れたため、『見附』という名前がついたともいわれています。 こちらに展示されている『酒井の太鼓』は、徳川家康が大敗し多くの伝承が残る『三方ヶ原の戦い』で登場する、徳川四天王の一人酒井忠次が打ち鳴らした太鼓として知られています。 まずは、旧見付学校に展示されている『酒井の太鼓』の解説から始めましょう。 三方ヶ原の戦いにおける伝承が残される『酒井の太鼓』 伝承に残る『酒井の太鼓』(旧見付学校) 《アクセス》 酒井の太鼓

                                    『旧見付学校』に展示されている『酒井の太鼓』から酒井忠次を想う - sannigoのアラ還日記
                                  • 家康公、秀吉公、井伊直政公とも関わりのある『頭陀寺』は浜松有数のパワースポット - sannigoのアラ還日記

                                    🕖2022/12/12    🔄2022/12/26 こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回私が訪ねた「家康公ゆかりの地」は、『頭陀寺のお薬師様』と親しまれる浜松市最古のお寺です。なんて読むの?と思われましたか?これで”ずだじ”と呼びます。 なんと、この浜松市南区にある『頭陀寺』ですが、徳川家康公、豊臣秀吉公、井伊直政公とも関わりのあるお寺で、浜松では有数のパワースポットになっています。 まずは、頭陀寺の場所やアクセスからはじめ、大河ドラマ『おんな城主直虎』をご覧になっていた方ならよくご存知かと思われる『頭陀寺城』、さらに三公と頭陀寺の関わり、特別に豊臣秀吉が頭陀寺で残した伝承「片葉の芦」と「藤吉郎とメダカ」の2つを載せていきます。 真言宗頭陀寺山門は新年を迎える準備万端でした 青林山頭陀寺 山門・浜松市最古の道標 客殿・歴史資料館 御手水 三尊仏

                                      家康公、秀吉公、井伊直政公とも関わりのある『頭陀寺』は浜松有数のパワースポット - sannigoのアラ還日記
                                    • 『七五三』で賑わう五社神社・諏訪神社は家康公とゆかりの深い神社です - sannigoのアラ還日記

                                      🕖2022/12/06    🔄2023/06/14 こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 先週末は、歴史番組で何度もお見かけしていた教授や歴史学者、さらに徳川家19代当主に、敵対する武田家36代当主が参加された『三方ヶ原の戦いから450年を記念したシンポジウム』を拝見させていただきました。 何とも夢心地な時間で、これまで考えられていた「三方ヶ原の戦い」での家康が信玄に戦いを挑んだ理由についてのお話しなどもありで、現在、頭の中がパンパンな状態のアラ還です。 実は、このシンポジウムが午後1:30からということもあり、午前中に家康公ゆかりの『五社神社』から『金山神社』そして、『松尾神社』を回っていたのです。 家康気分満載の状態で臨めたのが良かったのか、先生たちのお話が白熱していたからか、疲れていたのに1秒たりとも居眠りしませんでした。ちなみに、内容は著作権上

                                        『七五三』で賑わう五社神社・諏訪神社は家康公とゆかりの深い神社です - sannigoのアラ還日記
                                      • 氏真が境目城を築き、後に家康も陣を置いたという歴史ある浜名湖西の『妙立寺』 - sannigoのアラ還日記

                                        <このブログにはプロモーションが含まれています> こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回の徳川家康ゆかりのお寺は、静岡では最も西の湖西市の市役所付近にある『妙立寺』です。 三河一向一揆の鎮圧後、三河統一を果たした徳川家康の来攻に備えるために、1567年(永禄10年)、今川氏真は宇津山城(入出)に加えて、その南方に国境防備の城、つまり『境目城』(吉美)の築城を始めます。 この境目の城『境目城』こそが、こちらの『妙立寺』の寺域を接収して作られたお城なんです。 『境目城』の遺構の大半は鉄道建設用として取り崩され、現在は宅地や畑になり、南西部の一角のみ当時の面影を残しているといいます。また、城址の一角の竹林の中には『妙立寺奥の院』があるそうで、せっかくなら訪ねてみたかったのですが、竹林いわゆる竹やぶが恐ろしくて、気の小さい私は行けませんでした。 そして、翌年、今

                                          氏真が境目城を築き、後に家康も陣を置いたという歴史ある浜名湖西の『妙立寺』 - sannigoのアラ還日記
                                        • 『家康ゆかりの街浜松』で巡りたいスポット国の重要文化財『中村家住宅』 - sannigoのアラ還日記

                                          こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 いよいよ「行楽の秋」「食欲の秋」に突入したと楽しみにしていた週末でしたが、ここのところ台風の影響でなかなかお出かけできなかった方も多いのではないでしょうか? そこで、今回秋のお出かけにおすすめの『家康ゆかりの街浜松』のスポットは、国の重要文化財『中村家住宅』です。 まず、興味があったらお出かけになってみては?有料とはいえ、おとな:200円(高校生:100円)です。なのに、ガイドさんがいらっしゃって詳しい説明は当時の写真や実際の鬼瓦などを見せてくれながら丁寧に説明してくれます。 ガイドさんがおっしゃるには、『中村家住宅』は徳川家康の側室お万の方が、第2子・於義丸(おぎまる/後の結城秀康)を産んだ屋敷として知られ、当時の上層農家の生活を知る上にも貴重な遺構であるとのことで国の重要文化財に指定されているとのこと。 さらにネット

                                            『家康ゆかりの街浜松』で巡りたいスポット国の重要文化財『中村家住宅』 - sannigoのアラ還日記
                                          • 家康と武田が遠江掌握をかけ攻防を繰り広げた『高天神城』とは?ハイキングコースも! - sannigoのアラ還日記

                                            🕖2022/11/05    🔄2023/05/16 こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 長きにわたり争いの絶えなかった戦国の世、天下取りの夢を果たし江戸幕府を開いたのが徳川家康です。 遠州地方は若き家康がいくつもの苦難や試練を乗り越え、天下取りの礎を築いた土地です。家康はこの地で生涯最大の危機といわれる『三方ヶ原の戦い』などの苦難を経て、多くのことを学び、天下取りの第一歩を歩みはじめます。 今回は、戦国の世の遠江では「高天神を制する者は遠江を制する」といわれ、高天神を落とせば遠江全域を掌握できるという言い伝えが残るほど重要な城とされていた『高天神城』を訪ねてみました。 遠州灘にほど近い掛川の南部にあるうっそうとした杉や檜に覆われた高天神城跡には、徳川と武田との間で約10年間も繰り広げられた激しい攻防戦の跡やさまざまな伝承が残っています。 徳川家康がこ

                                              家康と武田が遠江掌握をかけ攻防を繰り広げた『高天神城』とは?ハイキングコースも! - sannigoのアラ還日記
                                            • 敗走の途中「小豆餅」を食い逃げした家康(笑)#小豆餅 - sannigoのアラ還日記

                                              🕖2023/04/07    🔄2024/03/18 こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 二十四節気の一つで第5番目にあたる「清明」も2日前でした。草や木、水などが清く明らかであり東南風の心地よい季節という意味で「清明」とされます。 「清浄明潔」の略でもあり、すべてのものが清々しく明るく美しい頃とされ、さまざまな花が咲き乱れ「お花見」にはもってこいのシーズン到来です。 「お花見」って感じでわざわざ遠くまで出かけなくても、そのへんを散歩するだけで桜はもちろん、道端でたくましく咲くたんぽぽや、川畔の浜大根の白い花も清々しく心を元気にしてくれます。 歴史好きな方なら誰もがご存知!若き徳川家康と戦国最強武田信玄の戦い『三方ヶ原の戦い』に関して地元に残されている伝承は数知れず、まんじゅうに栗、ソーメン、山椒、梅など、ちゃんと調べればまだまだあるでしょう。 そんな

                                                敗走の途中「小豆餅」を食い逃げした家康(笑)#小豆餅 - sannigoのアラ還日記
                                              • 家康ゆかりの街浜松の『西来院』と『太刀洗の池』で築山御前を偲ぶ - sannigoのアラ還日記

                                                🕖2022/11/11   🔄2023/06/19 こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 現在放映中のNHK大河ドラマ『どうする家康』では、これまでは有村架純さん演じる家康の正室築山殿は夫である家康を最も理解し、互いに助け合っている様子が微笑ましく描かれてきました。 ですが、第22回あたりから歩き巫女千代との接触が描かれ、ついに第23回では築山殿の内通を、長男信康の妻五徳(織田信長の娘)が父織田信長に涙ながらに密告してしまいました。 信長は、家康の実の叔父である水野信元が武田家と内通しているといいがかりをつけ、見せしめなのか?家康に処分を迫り、ついには、信元は家康家臣の平岩親吉の刀により息絶えてしまいます。 いよいよ築山殿と信康の悲劇への序章なのか、家康が侍女・於愛(広瀬アリス)に癒やされている間に、一方の信康は長篠の戦い以来心が乱れ、罪もない僧侶を手に

                                                  家康ゆかりの街浜松の『西来院』と『太刀洗の池』で築山御前を偲ぶ - sannigoのアラ還日記
                                                • 家康公ゆかりの地浜松での『三方ヶ原の合戦』はいったいどこが決戦地なの? - sannigoのアラ還日記

                                                  🕖2022/10/26    🔄2023/04/03 こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今年の大河ドラマ『どうする家康』放送前の準備といいますか、地元浜松に家康ゆかりの地が多い影響もあり、昨年から必死で戦国時代の小説などを読み漁っているこのごろです。 徳川家康の唯一の敗戦といわれる「三方ヶ原の戦い」から450年という年月が流れた昨年。 平和に暮らしているこの世の中は、コロナや異常気象、首相暗殺といろいろなことがあるとはいえ、戦(いくさ)に駆り出され数秒で槍で突き上げられるような戦国時代の生活に比べたら、どれだけ安穏と暮らせているかを実感しています。 平和な世の中が一番だと思いながらも、小説から武将たちの並々ならぬ戦略や戦法、忍びによる間諜網の凄さを知るたびにワクワクしてしまう自分が、なぜアラ還世代になるまで時代劇や時代小説などを通じて戦国時代に興味を

                                                    家康公ゆかりの地浜松での『三方ヶ原の合戦』はいったいどこが決戦地なの? - sannigoのアラ還日記
                                                  • 欲しがってはいけません。あの柿は「木守り柿」ですから - sannigoのアラ還日記

                                                    こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今年はスーパーで柿を見掛ける時期が長くて、秋の夜長は毎晩のように柿をいただいている柿好きな私にとってはうれしい年になりました。 「今年は柿の”なりどし”だからね。去年の3倍も実がなっただよ」と近所の人が教えてくれました。 「木守り柿」と呼ばれる、柿の木に数個残された柿のようす 「木守り柿」 『どうする家康』ドラマ館のため 最後に 「木守り柿」 朝晩冷え込むようになったこの頃は、たわわに色鮮やかな実をつけた柿の木の姿が減り、物寂しい晩秋の景色になりつつあります。でも良く見ると、柿の実が一つ二つ、塀の向こう側に色つやの良い姿を見せてくれています。 これは来年もよく実るようにと、木に一つ二つ取り残しておく果実で、柿やみかん、柚子(ゆず)などでよく見られる光景です。 収穫後の木の上に、数個残っている柿のことを「木守り柿(きまもり

                                                      欲しがってはいけません。あの柿は「木守り柿」ですから - sannigoのアラ還日記
                                                    • 日本初の本格木造天守閣でその美しさから「東海の名城」とうたわれる掛川城 - sannigoのアラ還日記

                                                      こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 ついに、待ち望んだ大河ドラマ『どうする家康』の放送が昨日から始まりました。予想以上に人間らしい、優しく穏やかで夢見る乙女くらい怖がりなプリンスの登場にワクワクが止まりません。 ”静岡から浜松、そして岡﨑まで”家康公演じる松潤+杉野さん+山田さんが出陣式をリレーするという大人気のイベントには、前夜から最前列に並んだというツワモノまでいらっしゃると報道されていてさぞや寒かったのでは?と驚いています。 駿河(静岡県東部)・遠江(静岡県西部)・三河(愛知県西部)を治めていた今川義元が、1560年(永禄3年)の桶狭間の戦いで織田信長に討ち取られると、これらの地域は徳川氏と武田氏の激しい戦いの場となり、さまざまな城が築かれました。 これらのお城は当時の武田氏と家康の激しい攻防を物語り、特に最大の激戦地としてよく名前があがる『高天神城

                                                        日本初の本格木造天守閣でその美しさから「東海の名城」とうたわれる掛川城 - sannigoのアラ還日記
                                                      • 偶然家康くんと直虎ちゃんに出会いゴミ減量の秘密兵器ももらってしまった - sannigoのアラ還日記

                                                        こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 先週末いつものようにイオンへ1週間分の食料調達にでかけたら、偶然家康くんと直虎ちゃんに出会ってしまい大興奮のアラ還世代の2人。 私といつもこのブログに登場する同居人お互いにアラ還世代なのですが、これまで歴史にそれほど興味がなかったせいか、幼少時代に野口英世の本しか読んでいなかったせいか、社会の試験に歴史問題が出ようが、世の中に歴女ブームが巻き起ころうが、歴史についてなんも勉強せずに生きてきたのです。 が、ここ最近放送されている大河ドラマ『鎌倉殿の13人』から見事に開眼! 「なぜに戦国時代の大河ドラマを熱心に見ないのだ」「なぜ歴史の勉強に身を入れないのだ」と、あの頃の自分を叱りつけたい気持ちで日々暮らしています。 特に、2023年放送予定の大河ドラマ『どうする家康』は地元浜松ともゆかりの深い武将ということで、事前にいろんな

                                                          偶然家康くんと直虎ちゃんに出会いゴミ減量の秘密兵器ももらってしまった - sannigoのアラ還日記
                                                        • 『浜松家康の散歩道』を歩けば触れられる徳川家康公の魅力 - sannigoのアラ還日記

                                                          🕖2022/07/21    🔄2023/04/21 こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 2023年放送を予定されてる大河ドラマ『どうする家康』は、実際に家康と関係の深い浜松という地に住んでいること、そして主役があの嵐の松潤というミーハー的な影響もあり現在興味津々な状態です。 じつは現在密かに、戦国時代を含む室町時代から、安土桃山時代、さらに江戸時代までの歴史を、小学生時代以降はじめて一生懸命勉強しているのです。 そこで、無謀にも熱中症アラートが出そうなほど急に暑くなった6月29日に、浜松城でいただいたパンフレットにある歩いて感じる『浜松家康の散歩道』の”城内・城下ルート”を歩いてみたら、歴史上の人物にちょっとだけ触れられたような気がして気分が良かったのです。 だから調子こいて、今度は梅雨の戻りかと思われるほど雨続きの日々の中で、唯一青空全開で晴れ渡っ

                                                            『浜松家康の散歩道』を歩けば触れられる徳川家康公の魅力 - sannigoのアラ還日記
                                                          • 浜松市天竜区にある徳川氏と武田氏が攻防を繰り返した二俣城址と鳥羽山城址 - sannigoのアラ還日記

                                                            🕖2022/11/17    🔄2023/03/22 こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 徳川家康が遠江に持っていた城は数多くあります。特に浜松城の支城として知られるのが二俣城と鳥羽山城です。武田信玄との間に2度、3度と大きな戦いを繰り返した城になります。 また、この二俣城は、1579年(天正10年)徳川家康の長男である岡崎三郎信康が、一説では、同盟を結んでいた織田信長から、信康の処断を命じられた父親である家康の命により切腹したといわれる場所としても知られています。最近は研究が進み、織田信長からの命令ではなかったとする説もあります。 二俣城と鳥羽山城は機能の違いがはっきりとした「別城一郭」といわれる戦国時代の城郭の姿を、今の時代に具体的に残すものとしての高い価値があります。 二俣城址の尾根つづきにある『清瀧寺』は、長男の信康を供養するために、山号を信康

                                                              浜松市天竜区にある徳川氏と武田氏が攻防を繰り返した二俣城址と鳥羽山城址 - sannigoのアラ還日記
                                                            • 車で浜松『家康の散歩道』合戦ルートを回ったら家康のしたことがわかる - sannigoのアラ還日記

                                                              🕖2022/07/27    🔄2022/09/13 こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 2023年放送予定の『どうする家康』で描かれる若い頃の家康は、居住地浜松で青壮年期の17年間を過ごしていることもあって現在放送中の『鎌倉殿の13人』以上に興味津々です。 『どうする家康『(作:古沢良太)では、主役の徳川家康を嵐のマツジュンこと松本潤が演じることで大きな話題になっているためか、地元では市内の小中学生にドラマ館の入場券をプレゼントする計画もあるほど盛り上がっています。 そこで、今回は「どうする家康」にちなみ、徳川家康にゆかりの深い地”浜松”の『家康の散歩道』《合戦ルート》を、アラ還世代の私が楽ちんに回れるように勝手にアレンジして実際に回ってみた《車を利用したルート》を詳しく解説していきます。 実際に合戦ルートを回ることで、これまで知らなかった家康のした

                                                                車で浜松『家康の散歩道』合戦ルートを回ったら家康のしたことがわかる - sannigoのアラ還日記
                                                              • 磐田の家康ゆかりのスポットも巡って『どうする家康』で盛り上がろう - sannigoのアラ還日記

                                                                🕖2022/10/27    🔄2023/05/18 こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 浜松と磐田は天竜川を境にしたお隣さん同士のため、天下人として歴史に名を残す徳川家康ゆかりのスポットが磐田にもけっこうあるそうです。 そんなことを聞いたら来年放送の大河ドラマ「どうする家康」に興味津々な人々はみんな、磐田に出かけたくなっちゃいますよね。 家康が関ケ原の戦いや大坂の陣の際に立ち寄ったといわれる『中泉御殿』、中泉御殿から移築したとされる門が残る『西光寺』と『西願寺(さいがんじ)』、武田軍の侵攻からの敗退戦で重臣の本多忠勝が活躍した『一言坂の戦いの古戦場跡』などをはじめとして、他にも松尾八王子神社や五十子での茶臼エピソードなど、磐田にも家康をしのばせる場所が多数残されているようです。 ということで、今回はウォーキングで回ってみた磐田の家康ゆかりのスポットを

                                                                  磐田の家康ゆかりのスポットも巡って『どうする家康』で盛り上がろう - sannigoのアラ還日記
                                                                • 三ケ野坂を上り大日堂がある高台で本多忠勝のように武田軍が布陣した木原をながめてみた - sannigoのアラ還日記

                                                                  こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 1568年(永禄11年)、三河から遠江に進出した家康は、遠江の中心だった見付を手に入れようと、城之崎築城を始めたり、人心掌握のための様々な工作を行ったと伝わります。 見付の住人たちも家康に従い、馬で運んだ荷物の移動などの軍務に参加し、遠江支配に協力したといいます。家康は見付に築城し始めた城之崎城を拠点とする予定だったようですが、一説では織田信長の反対され、浜松を居城としました。 それでも、家康は見付をはじめとして磐田の各所に何度も足を運び、多くの足跡や伝承を残しています。1572年(元亀3年)、三方ヶ原の戦いに先立ち、遠江の各所で徳川家康と武田信玄の戦が行われました。 中でも、上洛を目指す甲斐の武田方が遠江に進出し、袋井の木原に本陣を置くと、これを迎え撃つため徳川勢は浜松城を出て、見付に布陣します。三ケ野に偵察に出た徳川

                                                                    三ケ野坂を上り大日堂がある高台で本多忠勝のように武田軍が布陣した木原をながめてみた - sannigoのアラ還日記
                                                                  • 家康公ゆかりの地浜松のパワースポット『浜松元城町東照宮(引馬城跡)』 - sannigoのアラ還日記

                                                                    こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 みなさんは浜松城天守閣や市観光インフォメーションセンター、各区役所などでいただける『家康公ゆかりの地 出世の街浜松 家康の散歩道』という冊子を御存知でしょうか? 全長6.34キロ、徒歩で約1時間30分(見学時間は除く)で家康公が居城とした浜松城とその城下町を巡るルート《城内・城下ルート》、さらに全長5.8キロ、徒歩で約1時間15分(見学時間は除く)で三方ヶ原の戦いや武田氏との内通を疑われた築山御前ゆかりの地を巡る《合戦ルート》を紹介されている冊子です。 ゆかりの地の名称や解説、周る順番や所要時間に料金、駐車場やトイレの有無まで、さらに家康公の年表から相関図まで網羅し、家康公のゆかりの地を巡ってみたいと考えている方には絶対に役に立つと思われます。 かくいう私も、こちらの冊子を手がかりに何日かかけて、20ヶ所をめぐり尽くすこ

                                                                      家康公ゆかりの地浜松のパワースポット『浜松元城町東照宮(引馬城跡)』 - sannigoのアラ還日記
                                                                    • <お城へぶらり5>信玄最後の西上作戦 遠江の要 二俣城へ集まれ! - 歴史ぶらり1人旅

                                                                      こんにちは、rekikakkunです。 静岡県、愛知県東部で探訪しましたお城を、 元亀3年、武田信玄の最後の決戦、 西上作戦につなげて綴っています。 てか最初から表題、西上作戦で良かったじゃん(・・? 何で今頃? って自分でも分からん(*'▽') 思い付きで書いてるブログの正体が明らかに(@_@;) 前回では、西上作戦の別動隊山県昌景軍が 奥三河の山家三方衆(田峰、作手亀山、長篠城)を 接収したところまで話が進みました。 さて、今回はいよいよ信玄本隊の登場です。 先日犀ケ崖資料館(浜松)に行ってきましたら、 ここでも信玄の侵攻ルートは駿河に なっていました。 少しネットでもルート確認しましたが、 ちと複雑そうですね~。 自分はどちらが正しそうか分からないので、 このまま青崩峠から信玄本隊がやって来た 仮定で進めますね✨。 そうすると最初に出てくるお城は 犬居城になるのかな? 元亀3年(15

                                                                        <お城へぶらり5>信玄最後の西上作戦 遠江の要 二俣城へ集まれ! - 歴史ぶらり1人旅
                                                                      • 今も三方ヶ原合戦を伝える、戦没者を葬った「精鎮塚」が 残されている『三寶山本乗寺』 - sannigoのアラ還日記

                                                                        こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回の徳川家康ゆかりの寺は、三方ヶ原合戦の戦没者の墓が残されている『三寶山本乗寺』です。 境内には「精鎮塚」と記された1573年(元亀3年)に行なわれた『三方ヶ原の合戦』の戦没者を葬った墓が残されており、合戦後に当時の有力者により建立されたと伝わります。 『三寶山本乗寺』のきれいな本堂 『三寶山本乗寺』 《アクセス》 最後に 『三寶山本乗寺』 日蓮宗(総本山・身延山久遠寺)1895年(明治28年)泰妙上人開山。 三方ヶ原の合戦の戦死者を葬った「精鎮塚」は、元は徳川の本陣の場所と伝えられる「権七」(信号機あり)近くの畑の中にあったといいますが、現在は三方原の一番古い寺である『三寶山本乗寺』の境内に移されています。 場所:浜松市北区三方原町637 《アクセス》 電車・バス:浜松駅よりバス[奥山行き⑮番線]→35分→[三方原]

                                                                          今も三方ヶ原合戦を伝える、戦没者を葬った「精鎮塚」が 残されている『三寶山本乗寺』 - sannigoのアラ還日記
                                                                        • 観覧車が目立つ舘山寺遊園地パルパルは『堀江城跡』の地に立つ - sannigoのアラ還日記

                                                                          こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 春休みも終わり、そろそろ給食やお弁当のランチ付きの本格的な授業も始まったと思われる、小学生、中学生諸君。 君たちが大好きであろう『浜名湖遊園地パルパル』は、もともとはお城だったことをご存知だろうか?観覧車の下にひっそりと佇む堀江城の案内板に気付いていますか? 鎌倉時代に名門大沢家によって築城されたと伝わる『堀江城』は、江戸時代には堀江陣屋と称され高家旗本大沢家の陣屋となった場所です。 また、戦国時代の「三方ヶ原の戦い」で、『堀江城』は開戦の鍵を握ったとされます。が、明治の激変に翻弄され第20代・大沢基寿による「万石事件」によって、いよいよ大沢家は没落していきます。 小さい頃から遊園地だった場所が、戦国時代には「戦」が行なわれていた『堀江城』の跡地だったとは・・・。 しかも、あの家康の長男である悲劇の信康が、自刃する二俣城

                                                                            観覧車が目立つ舘山寺遊園地パルパルは『堀江城跡』の地に立つ - sannigoのアラ還日記
                                                                          • <お城へぶらり7>信玄最後の西上作戦(完) 決戦三方ヶ原と信玄の最後 - 歴史ぶらり1人旅

                                                                            こんにちは、rekikakkunです。 信玄の西上作戦も今回で最後になります。 本当ですよー🙄 元亀3年(1572年)10月19日に 二俣城を落とした武田軍は10月22日、 進軍を開始しました。 前々回掲載しましたが、二俣城と天竜川 下の、犀が崖(さいががけ)資料館の 進路地図を見ると、 二俣城から南方向に向かい、 浜松城に届く前に西に進路を向け、 三方ヶ原に入り、北西に進んでいます。 武田軍進路(犀が崖資料館) (二俣城からは、中央天竜川の左側を南に進んでます) 三方ヶ原台地を少し確認してみますと、 浜名湖と天竜川間の洪積台地となってます。 国土地理院の地図でざっくり図示してみますと、 ・赤丸が二俣城 ・青丸が浜松城 ・緑色の囲んだ部分が三方ヶ原台地 です。 (ざっくりの範囲と思ってください) 三方ヶ原台地と武田軍進路 浜松城は三方ヶ原台地の南東角付近に 築城されており、台地の高低差を

                                                                              <お城へぶらり7>信玄最後の西上作戦(完) 決戦三方ヶ原と信玄の最後 - 歴史ぶらり1人旅
                                                                            • 家康が初めて手掛けた磐田見付の『城之崎城』ところが幻の城に!どうしたらええんじゃ~ - sannigoのアラ還日記

                                                                              🕖2023/3/15    🔄2023/05/18 こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 岡崎で生まれた徳川家康、幼少時代は今川家の人質として駿府で過ごし人質生活を終えた19歳の時に岡崎に戻ります。 今川家の衰退をきっかけに尾張の織田信長と同盟を結び、三河での一向一揆が治まると、浜松のある遠江地方の領土化を進めます。そのため浜松に入り、その後17年間45歳までを浜松で過ごすことになります。 現在放送中の大河ドラマ『どうする家康』に登場するかは不明ですが、もしかしたら家康が岡崎から移った城は浜松ではなく、磐田の見付だったかもしれないというお話をご存知でしょうか? 確かに磐田の見付は奈良時代から遠江の政治・経済の中心地として栄えていましたし、遠江国の国府・守護なども磐田の見付に置かれました。 北には東海道見付宿、南には今之浦の低湿地が広がるこの地は交通の要所

                                                                                家康が初めて手掛けた磐田見付の『城之崎城』ところが幻の城に!どうしたらええんじゃ~ - sannigoのアラ還日記
                                                                              • <お城へぶらり6>信玄最後の西上作戦 遠江の要 二俣城の攻略 - 歴史ぶらり1人旅

                                                                                こんにちは、rekikakkunです。 ちょっと関西の方にぶらり旅、 行って来ましたので、間が空きました。 さて、元亀3年(1572年)、 武田信玄の西上作戦もメインイベント、 二俣城攻防戦と三方ヶ原合戦 へと続きます。 10月14日、一言坂の戦い 勝利後、 武田軍は、天竜川の東岸に伸びている、 磐田原台地(いわたはらだいち)の 北端、合代島(ごうだいじま)に 本陣を設置しました。 磐田原台地は天竜川を挟み、西側の 三方ヶ原台地と同時期に隆起運動で 形成された、洪積台地だそうです。 (下地図の④と③の間の緑色の部分です) また並行して遠江北部の要 二俣城を包囲します。 下の地図の④が合代島、 ⑧が二俣城、⑨が浜松城です。 (地図の番号をクリックすると出てきます) ここから今回ブログで探訪した箇所のみ 地図を拡大し、番号を振り直します。 ①合代島、亀井戸城 ②神増坂 ③社山城 ④二俣城(地図

                                                                                  <お城へぶらり6>信玄最後の西上作戦 遠江の要 二俣城の攻略 - 歴史ぶらり1人旅
                                                                                • ちょこんと座った姿がかわいらしい石像が目印の磐田御殿遺跡公園、御殿の門が移築された西光寺、西願寺 - sannigoのアラ還日記

                                                                                  🕖2023/05/13    🔄2023/06/14 こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回の家康ゆかりの地は、JJR磐田駅から南へ100mほど離れた、コンビニの裏にある小さな公園『磐田御殿(ごてん)遺跡公園』と、中泉御殿の門が移築された西光寺、西願寺です。 『磐田御殿遺跡公園』家康公の石像としては珍しい、ちょこんと座った姿がかわいらしい石像が目印になっています。園内は大きくは歩道と石張り舗装がされたスペースと、遺跡の柱跡を表現した芝生のスペースとに分かれており、コンクリートの位置と大きさは柱跡を示しているそうです。 また、こちらにも徳川家康お手植えの蜜柑が植えられています。これはもう静岡県の史跡や名所の定番なので、覚えておいてください(笑) 現在は市街地に没している、徳川家康が鷹狩りのおりに休憩・宿泊施設として築いた「中泉御殿」の表門は西光寺に、裏

                                                                                    ちょこんと座った姿がかわいらしい石像が目印の磐田御殿遺跡公園、御殿の門が移築された西光寺、西願寺 - sannigoのアラ還日記