並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

1 - 9 件 / 9件

新着順 人気順

鈴木亜久里の検索結果1 - 9 件 / 9件

  • もっと称えられるべき、佐藤琢磨の快挙。自身2度目のインディ500優勝!(辻野ヒロシ) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    インディ500で優勝し、伝統のミルクを浴びる佐藤琢磨(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ) コロナ禍で延期され、史上初めての無観客レースとなった「第104回・インディナポリス500マイルレース」(以下、インディ500)で、日本人として唯一参戦する佐藤琢磨(レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング/ホンダ)が2017年以来3年ぶりとなる2度目の優勝を達成した。 2度目のインディ500優勝は日本人としてはもちろん初めて。過去104 回の大会数を数えるインディ500の歴史で、20人目の「インディ500を複数回以上優勝したドライバー」になった。ちなみに今季インディカーシリーズに現役でフル参戦するドライバーの中で複数回以上の優勝経験者はおらず、佐藤琢磨がライバルに先駆けて達成した。これは快挙であり、凄まじい偉業である。 優勝の喜びを爆発させる佐藤琢磨【写真:INDYCAR】

      もっと称えられるべき、佐藤琢磨の快挙。自身2度目のインディ500優勝!(辻野ヒロシ) - エキスパート - Yahoo!ニュース
    • 私が選ぶBest5:1992年のF1マシン編 - おっさんのblogというブログ。

      如何お過ごしですか? 3回連続10cmです。 当ブログにお越しいただきありがとうございます。 いつも本当にありがとうございます。 さて、みなさま。 もう何も失う物はなく、かつ色に乾いた私がお送りする『私が選ぶBest5』。 私が好きなもの、嫌いなものなどありとあらゆるBest5を発表します。 本日は【第51弾】として1992年のF1世界選手権での出走マシンで攻めてみたいと思います。 1992年のF1世界選手権には以下の16チームが参戦しています。(見辛くて申し訳ありません、アレだったら見なくてもいいです) 1992年のF1世界選手権 - Wikipedia つまり、約16台のマシンがあります。 注)約としたのはシーズン途中にモデルチェンジする場合があるからです。 その中から私の好きな5台を選んでみます。 まあ、昔のF1マシンの写真でも見る感覚でみていただけたらありがたいです。 番外 次点

        私が選ぶBest5:1992年のF1マシン編 - おっさんのblogというブログ。
      • キーワードリンクの良いところ

        「サンドイッチ」を使えばサンドイッチについて語っている増田を見つけられるし、「ポリティカル・コレクトネス」を使えばポリティカル・コレクトネスについて語っている増田を見つけられるところなんだよね 「おはようございます」を使えば「おはようございます」って言う人に出会えて「おはようございます」って返すことができるし 「徳川慶喜」を使えば徳川慶喜に関心のある増田に出会えるんだよ。すごいよね。徳川慶喜について考えることなんて人生で2回くらいしかないのに 「神林長平」を含む日記をみるとこの人はSF小説が好きなんだな~!って増田に出会えるし たまに史上初のキーワードを書いてしまい前人未踏の気分を味わえるところもいいよね。「鈴木亜久里」を含む日記や「セトルメント」を含む日記のようにね 本当は自由キーワードを検索がしたいんだよ(自分の日記だとできるんだけど) もっともっといろんな増田に出会いたいんだよ 結局

          キーワードリンクの良いところ
        • (悲報)今年のF1日本GPは中止なのですー - テイルズ・オブ・シングルマン

          ★残念だけど仕方ないのです。 熱心なモータースポーツファンの方々であれば既にご存知の情報かと思いますが、今年のF1日本GP(鈴鹿サーキット)はコロナ感染拡大の影響で残念ながら中止になってしまいました。 (><) 引用元:鈴鹿サーキット公式サイトより ネット上では「五輪は良くて四輪はダメなの?」と書かれてますが、こればかりは致し方ないですね。 (でもなんだかうまいこと言ってるので笑ってしまいました) ( ̄▽ ̄;) 今年はホンダがF1から永久完全撤退する年であり、F1でホンダの勇姿が見られる最後の年だったりします。 90年代初頭アイルトン・セナが駆るホンダエンジンを搭載したマクラーレン・ホンダの黄金期にF1を知った自分としては、ホンダの鈴鹿サーキット・ラストランを目に焼き付けておきたかったものです。 。・°°・(>_<)・°°・。 引用元:motorsport.com 日本版より そして7年ぶ

            (悲報)今年のF1日本GPは中止なのですー - テイルズ・オブ・シングルマン
          • 【自動車】「女性活躍の時代に25キロのおもり。業界の課題」元F1ドライバーJujuの父指摘 - モータースポーツ : 日刊スポーツ

            アジア最高峰の自動車レース「全日本スーパーフォーミュラ(SF)選手権」に日本人女性として初参戦するJuju(本名・野田樹潤、18)の大きな挑戦が幕を開ける。 15日、4月に入学する日大(東京・世田谷区)で記者会見。3月9日開幕の第1戦(三重・鈴鹿サーキット)へ気合を入れた。世界3大レース「ルマン24時間」制覇経験を持つ小林可夢偉(37)らトップレーサーが名を連ねる舞台で、夢のF1参戦への第1歩を踏み出す。 ◇   ◇   ◇ 道しるべとなってきた父・野田英樹氏は、1歩引いて「TGMグランプリ」に属する娘を見守る。現行のSFルールは体重75キロのドライバーに合わせられており「彼女は50キロちょっとで、約25キロのおもりを(マシンに)積む。これがイコールか。女性が活躍する時代の新たな課題として、レース業界全体が考えないといけない」と提言した。幼少期から娘の意向を尊重しており「期待は全くない。自

              【自動車】「女性活躍の時代に25キロのおもり。業界の課題」元F1ドライバーJujuの父指摘 - モータースポーツ : 日刊スポーツ
            • 世界最高峰のモータースポーツ・F1グランプリとは?【コラムその162】 - スタ辞苑〜全国スタジアム観戦記〜

              言わずと知れたモータースポーツ世界最高峰の大会、それがF1グランプリです。 たとえモータースポーツに詳しくなくてもその名は高い知名度があり、日本では「〇-1グランプリ」の名が付く大会が数多あります(M-1グランプリなど)。 今回はそんなF1グランプリが一体どんな大会なのか、その歴史から紐解いてみたいと思います。 1.「F1グランプリ」とは? 2.F1グランプリのはじまり 3.F1ドライバーになるには 4.日本とF1グランプリ 5.まとめ 1.「F1グランプリ」とは? まず、「F1グランプリ」とはどういう意味なのでしょうか? その言葉の意味を解読していきましょう。 F1のFはフォーミュラの略で、「規格」を指します。 この規格とは、簡単に言えば「車輪とドライバーがむき出しになっていること」です。 その他にもタイヤやエンジンなど非常に細かく規格が決められていて、日本では基本的に公道を走れないほど

                世界最高峰のモータースポーツ・F1グランプリとは?【コラムその162】 - スタ辞苑〜全国スタジアム観戦記〜
              • 愛知県 新城市 全日本ラリー - ブログ名、捨てました

                神出鬼没、まっさんです。 皆さんは、自動車レースのラリーをご存知でしょうか? ラリー とは、法規上公道走行が可能な車両でタイムアタックをする自動車競技です。 運転をするドライバーと、道順を指示をするナビゲーターの2名1組が競技車に同乗 し、指定された区間を走行して、総合タイムの速さや指定タイムに対する正確性を競います。 このため、抜いたり抜かれたりすることはないです。 そして毎年、全日本ラリー選手権が開催されています。 日本最高峰のモータースポーツ選手権の1つになります。 ラリー選手権は全国各地で行われていて、レースが開催される市町村では、イベントが行われています。 しかしコロナ禍で現在は無観客での開催となっています。 過去の画像でご紹介致します。 新城ラリー 現在は、全日本ラリー選手権の初戦が愛知県の新城で行われています。 コロナ前に訪れた2018年当時は最終戦が新城でした。 スタート地

                  愛知県 新城市 全日本ラリー - ブログ名、捨てました
                • 小松礼雄 - Wikipedia

                  2016年、グロージャンのハースF1チーム移籍に伴い、自身も同行して創設から加入。同チームのチーフレースエンジニアとして、レース現場における技術責任者を務める[8]。2019年には技術部長(ディレクター オブ エンジニアリング)に昇格[9]。 2024年初頭、退任したギュンター・シュタイナーの後任としてチーム代表に就任[10]。まずは現時点で所有するリソースを使い切ってから結果を出し、その上でオーナー側に増資をリクエストする方針で進めた。結果、采配初年度の2024年シーズンは手腕を振るった改善点が好循環を生み出し、前年のコンストラクターズ最下位から7位に上昇させている[11]。 F1のチーム首脳陣では珍しい日本人であり、毎レースでサーキットに帯同するため、レース中継や専門誌等でコメントを求められることも多い。『オートスポーツ』等の雑誌でコラムも連載するなど、執筆活動も行っている。 前述の通

                  • 【世界一のタイヤブランドへ】ブリヂストンのF1挑戦の歴史が凄すぎる!|モーター天国

                    先日ブリヂストンがF1の次期タイヤサプライヤーの候補となったことが話題となりましたね。 最終的には、2011年からF1にタイヤをワンメイク供給するピレリが、2027年までのサプライヤー契約を更新しました。 しかし、ピレリがF1にタイヤをワンメイク供給する前の時代は、ブリヂストンのタイヤがF1で高い信頼を誇るタイヤを供給し続けていました。 今回は、そんなブリヂストンのF1活動の歴史を振り返ってみたいと思います。 1930年、日本足袋のタイヤ部門として誕生し、1931年に独立したブリヂストン。 1963年の第一回日本グランプリからレーシングタイヤを供給するなど、古くから国内モータースポーツに参入していました。 1971年には、F1で初めてスリックタイヤが導入された事を受け、国内レース向けに初めてスリックタイヤを導入、積極的に先進技術を投入し国内トップレベルのタイヤサプライヤーとして活動を続けて

                      【世界一のタイヤブランドへ】ブリヂストンのF1挑戦の歴史が凄すぎる!|モーター天国
                    1