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  • 韓国の総選挙、見事に古代の新羅と百済のような分断の様相を呈していた。

    韓国の総選挙の結果ではあるが、赤色🟥部分は所謂与党保守系(国民の力)が占める慶尚道(新羅)で、青色🟦部分は野党革新系(共に民主党)が全羅道(百済)をほぼ占めているのは地域差にも拠るのだろうか。 面積の大きい東側が小さい方に選挙の結果で負けているのは西側の方に人口が集中しているということになる。

      韓国の総選挙、見事に古代の新羅と百済のような分断の様相を呈していた。
    • 韓国のホテルといえば!ソウル新羅ホテル(Seoul Shilla Hotel) 宿泊記

      周辺情報 中腹に、新羅免税店があります。 観光バスがひっきりなしに行き来しており、観光客の方で溢れかえっています。 また、コンビニは坂を下って駅前まで行かないとありません。 事前に買い物したい場合は、あらかじめ済ませておいた方が便利だと思います。 最寄り駅は明洞(ミョンドン/명동)から2駅の場所ですので、明洞、東大門など、タクシーや電車で周辺の主要な観光地へアクセスが容易です。 一方で、徒歩圏には正直何もないなーと感じるところは、このホテル唯一の難点かな、と思います。 滞在記 この時は、我々はタクシーで行きました。 ロビーの装飾が煌びやかで高級感があります。 フォーブスの選ぶ5つ星ホテルに選定されています。 列に並ぼうとすると、スタッフの方がすぐに声をかけて下さいました。 名前を告げた所、今回はエグゼクティブラウンジが利用できるプランで予約をしているので、最上階の23階のラウンジでチェック

        韓国のホテルといえば!ソウル新羅ホテル(Seoul Shilla Hotel) 宿泊記
      • 新年1発目の宿泊!ソウル新羅ホテル(Seoul Shilla Hotel)

        周辺情報 新羅ホテルそのものは少し高台にあり、中腹に免税店、高台を下りきった駅前にコンビニが一軒あるくらいで、徒歩でのアクセスを考えると少し不便なロケーションです。 タクシーさえ使えば主要観光地へのアクセスは問題ありませんが、なにかちょっとコンビニで買い物したい、などがあれば、事前に買っておいた方が便利ではないかと思います。 滞在記 タクシーで直接向かいました。 ロビーのオブジェですが、マイナーチェンジで赤い色が差し色で入っていました。 素敵ですね。 初めて新羅ホテルのスイートルームを利用しました! こちらがリビングです。 ミニバーにはウイスキーの小瓶とワインが用意されていました。 冷蔵庫にはビール等入っていました。 入ってすぐ右手にお手洗いがありました。 お手洗いは部屋の奥にもあり、二つありました。 お手洗い二つあるスイートルーム初めてでした。 ベッドルームも、窓が広くとられた快適な作り

          新年1発目の宿泊!ソウル新羅ホテル(Seoul Shilla Hotel)
        • 新羅ホテルのお寿司屋さん!有明

          こんにちは。旦那です。 今年は年末年始に日本に帰るのが難しいのが分かっていたので、新羅ホテルを予約した際にホテルにある「有明」という日本料理を予約しました。 寿司カウンターでお寿司を頂いたのですが、とても美味しかったでご紹介致します! 観光客の方でお寿司を食べる方は少ないかもしれませんが、韓国で美味しいお寿司が食べたくなった際にはおすすめです! 目次 -アクセス情報 -メニュー情報 -写真 アクセス情報 新羅ホテルの3Fに位置します。 メニュー情報 お寿司コースと刺身コースがありました。 今回は寿司コースをチョイスしました、料金が205,000₩でした。 刺身コースの金額は聞きそびれてしまいました。 写真 正面入口です。 日本料理のテーブル席と寿司のカウンターに分かれており、今回は寿司のカウンターです。 店舗前のところではふぐを推してました。 カウンター席が12席(間をあけて6席になってま

            新羅ホテルのお寿司屋さん!有明
          • 新羅の都だった「壁のない美術館」 韓国の慶州市

            「壁のない美術館」というニックネームをもつ韓国南東部の慶州(キョンジュ)市。かつて新羅の都がおかれていたこの街には、素晴らしい遺跡が数多く残っている。

              新羅の都だった「壁のない美術館」 韓国の慶州市
            • ソウル新羅ホテル(Seoul Shilla Hotel) プレミアムスイートに宿泊!

              初めての海外在住、ソウルに住む日本人夫婦。明るく楽しく元気よく! 旅行と食べることが大好きな私たちが、美味しかったお店・楽しかった観光地・ホテルなどを実体験交えてお伝えします!ガイドブックには載らない韓国在住ならではの情報をお届けします!

                ソウル新羅ホテル(Seoul Shilla Hotel) プレミアムスイートに宿泊!
              • 新羅ホテル☆有明 - life is short the word is great

                先月、日本料理店「有明」で、秋の味覚セットみたいなランチを食べました。 蟹の身の茶碗蒸し。 お刺身。 タラ、アワビ、白アスパラ。 海老とアスパラの天ぷら、牡蠣フライ。 すき焼き。 抹茶アイスとチョコ羊羹。 どの料理も日本のお味。

                  新羅ホテル☆有明 - life is short the word is great
                • 遣新羅使人の歌(34)・・・巻第15-3691~3693 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

                  訓読 >>> 3691 天地(あめつち)と 共にもがもと 思ひつつ ありけむものを はしけやし 家を離れて 波の上(うへ)ゆ なづさひ来(き)にて あらたまの 月日も来(き)経(へ)ぬ 雁(かり)がねも 継(つ)ぎて来鳴けば たらちねの 母も妻らも 朝露に 裳(も)の裾(すそ)ひづち 夕霧に 衣手(ころもで)濡れて 幸(さき)くしも あるらむごとく 出(い)で見つつ 待つらむものを 世の中の 人の嘆きは 相(あひ)思はぬ 君にあれやも 秋萩(あきはぎ)の 散らへる野辺(のへ)の 初尾花(はつをばな) 仮廬(かりほ)に葺(ふ)きて 雲離(くもばな)れ 遠き国辺(くにへ)の 露霜(つゆしも)の 寒き山辺(やまへ)に 宿(やど)りせるらむ 3692 はしけやし妻も子どもも高々(たかたか)に待つらむ君や島隠(しまがく)れぬる 3693 黄葉(もみちば)の散りなむ山に宿りぬる君を待つらむ人し悲しも

                    遣新羅使人の歌(34)・・・巻第15-3691~3693 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
                  • 遣新羅使人の歌(38)・・・巻第15-3704~3707 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

                    訓読 >>> 3704 黄葉(もみちば)の散らふ山辺(やまへ)ゆ漕ぐ船のにほひにめでて出(い)でて来(き)にけり 3705 竹敷(たかしき)の玉藻(たまも)靡(なび)かし漕ぎ出(で)なむ君がみ船をいつとか待たむ 3706 玉敷ける清き渚(なぎさ)を潮(しほ)満(み)てば飽(あ)かず我(わ)れ行く帰るさに見む 3707 秋山の黄葉(もみち)をかざし我(わ)が居(を)れば浦潮(うらしほ)満ち来(く)いまだ飽(あ)かなくに 要旨 >>> 〈3704〉黄葉がしきりに舞い散る山裾を漕いでくる船の、あまりに見事な色どりに心惹かれて、私は参上いたしました。 〈3705〉竹敷の玉藻を靡かせながら、新羅へと漕ぎ出して行かれるあなた様の御船、お帰りになるのはいつとお待ちしたらよいのでしょうか。 〈3706〉玉を敷きつめたような、こんなにきれいな渚なのに、潮が満ちたので心を残して私は行く。しかし、早く帰ってきて

                      遣新羅使人の歌(38)・・・巻第15-3704~3707 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
                    • 新羅仏を新発見 1000年超前の作か、対馬の市民持ち込み | 長崎新聞

                      Published 2020/10/12 23:41 (JST) Updated 2020/10/14 18:45 (JST) 長崎県対馬市内の民家に、8~9世紀の統一新羅(しらぎ)時代に造られたとみられる渡来仏1体があることが11日、対馬の仏像に関する九州国立博物館(九博)の研究員を招いた市民向けフィールドワーク中に分かった。 フィールドワークは対馬観光物産協会主催。同市厳原町の主婦(71)が、自宅から持ち込んだ仏像を九博研究員の大澤信さん(34)=専門・仏教彫刻史=に見せ判明した。大澤さんは鑑定後「よくぞ千年以上にわたり受け継がれてきた。大切になさってください」と語り掛け、主婦は「渡来仏と聞いてびっくりした。大事にしていきたい」と驚きの声を上げた。 九博によると、対馬で発見された渡来仏は約130体あり、中国や朝鮮半島で5~17世紀に造られたとみられている。このうち朝鮮半島で統一政権が成

                        新羅仏を新発見 1000年超前の作か、対馬の市民持ち込み | 長崎新聞
                      • 柿本人麻呂 没後1300年 ゆかりの地巡り 江津・大田エリア ③韓神新羅神社 - fwssのえっさんブログ

                        柿本人麻呂 没後1300年 年が明け、ある紙面に載っていた「柿本人麻呂 没後1300年」というタイトルへ目がいきました。「石見の万葉ゆかりの地を巡ろう」とも書かれてありました。 石見地方の2つのモデルコース その石見地方のモデルコースは、2つ記されていて、1つ目のコースで、「益田・浜田エリア(モデルコース)」については、既にアップが終了しました。 2つ目のコースは、江津・大田エリア 2つ目の、「江津・大田エリア(モデルコース)」も紙面には、4箇所ずつ写真付きで掲載してありました。 その4箇所とは、①大崎鼻 ②高角山公園 ③韓神新羅神社 ④浮布の池 です。前回、①の高角山公園(2)を、アップしました。 今回は ③韓神新羅神社(大田市) 今回は、 ③韓神新羅神社  です。目にした紙面には、以下のように記されていました。なお、韓神新羅神社の読み方は、からかみしらぎじんじゃです。 神話と人麻呂の歌

                          柿本人麻呂 没後1300年 ゆかりの地巡り 江津・大田エリア ③韓神新羅神社 - fwssのえっさんブログ
                        • 遣新羅使人の歌(37)・・・巻第15-3700~3703 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

                          訓読 >>> 3700 あしひきの山下(やました)光る黄葉(もみちば)の散りの乱(まが)ひは今日(けふ)にもあるかも 3701 竹敷(たかしき)の黄葉(もみち)を見れば我妹子(わぎもこ)が待たむと言ひし時そ来にける 3702 竹敷(たかしき)の浦廻(うらみ)の黄葉(もみち)我(わ)れ行きて帰り来(く)るまで散りこすなゆめ 3703 竹敷(たかしき)の宇敝可多山(うへかたやま)は紅(くれなゐ)の八(や)しほの色になりにけるかも 要旨 >>> 〈3700〉もみじ葉が山裾の方まで照り映えており、その散り乱れる真っ盛りは、まさに今日のこの日なのだろう。 〈3701〉竹敷のもみじを見ると、愛しい私の妻が帰りを待っていますと言った、約束の時はもう来てしまったのだな。 〈3702〉竹敷の浦辺に色づく黄葉よ。我らが新羅に行って帰ってくるまで、散らないでおくれ、決して。 〈3703〉竹敷の宇敝可多山(うえか

                            遣新羅使人の歌(37)・・・巻第15-3700~3703 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
                          • 遣新羅使人の歌(36)・・・巻第15-3697~3699 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

                            訓読 >>> 3697 百船(ももふね)の泊(は)つる対馬(つしま)の浅茅山(あさぢやま)しぐれの雨にもみたひにけり 3698 天離(あまざか)る鄙(ひな)にも月は照れれども妹(いも)ぞ遠くは別れ来(き)にける 3699 秋されば置く露霜(つゆしも)にあへずして都の山は色づきぬらむ 要旨 >>> 〈3697〉多くの船が停泊する津、その対馬の浅茅山は、しぐれの雨で色づいてきた。 〈3698〉都から遠く離れたこの辺境の地にも、月は皎々と照っているけれども、思えば、家の妻とは遠く離れてやって来たものだ。 〈3699〉秋になると降りてくる露霜に堪えきれず、都の山々はすっかり色づいてることだろう。 鑑賞 >>> 一行は筑紫を出て壱岐に寄り、対馬の浅茅(あさじ)湾に入ったものの、順風が得られず、湾に臨む竹敷(たかしき)に5日間泊まることとなりました。ここの歌は、当地の景色を眺めてそれぞれの辛い思いを述

                              遣新羅使人の歌(36)・・・巻第15-3697~3699 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
                            • 遣新羅使人の歌(21)・・・巻第15-3648~3651 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

                              訓読 >>> 3648 海原(うなはら)の沖辺(おきへ)に灯(とも)し漁(いざ)る火は明かして灯(とも)せ大和島(やまとしま)見む 3649 鴨(かも)じもの浮寝(うきね)をすれば蜷(みな)の腸(わた)か黒(ぐろ)き髪に露そ置きにける 3650 ひさかたの天(あま)照る月は見つれども我(あ)が思(も)ふ妹(いも)に逢はぬころか 3651 ぬばたまの夜(よ)渡る月は早も出(い)でぬかも海原(うなはら)の八十島(やそしま)の上(うへ)ゆ妹(いも)があたり見む 要旨 >>> 〈3648〉海原の沖にともる漁船の火よ、もっと明々とともせ。その光で遠くに大和の山々が見えるだろうから。 〈3649〉まるで鴨のように波に漂う船で眠れば、黒々とした私の髪が夜露に濡れてしま ったことだ。 〈3650〉はるかな空に照り輝く月は見えたけれども 私が恋しく思う妻に逢えない日々が続くなあ。 〈3651〉夜空を渡る月が

                                遣新羅使人の歌(21)・・・巻第15-3648~3651 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
                              • 遣新羅使人の歌(26)・・・巻第15-3665~3667 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

                                訓読 >>> 3665 妹を(いも)思ひ寐(い)の寝(ね)らえぬに暁(あかとき)の朝霧(あさぎり)隠(ごも)り雁(かり)がねぞ鳴く 3666 夕(ゆふ)されば秋風寒し我妹子(わぎもこ)が解洗衣(ときあらひごろも)行きて早(はや)着む 3667 我(わ)が旅は久しくあらしこの我(あ)が着る妹(いも)が衣(ころも)の垢(あか)つく見れば 要旨 >>> 〈3665〉妻を思ってよく寝られないでいると、明け方の朝霧に包まれて雁が鳴いている。 〈3666〉夕方になると秋風が寒い。いとしい妻が私の着物を脱がせて洗ってくれたものだが、その着物を早く帰って着たいものだ。 〈3667〉我らの旅はもうずいぶん長くなったようだ。私が着ている妻の下着に垢が付いているのを見ると。 鑑賞 >>> 題詞に「海辺にして月を望みて作る歌九首」とあるうちの3首。ただし、これら9首に月の歌はなく、月見の宴は催したものの月は見られ

                                  遣新羅使人の歌(26)・・・巻第15-3665~3667 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
                                • 遣新羅使人の歌(3)・・・巻第15-3584~3585 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

                                  訓読 >>> 3584 別れなばうら悲(がな)しけむ我(あ)が衣 下(した)にを着(き)ませ直(ただ)に逢ふまでに 3585 我妹子(わぎもこ)が下(した)にも着よと贈りたる衣の紐(ひも)を我(あ)れ解(と)かめやも 要旨 >>> 〈3584〉お別れしたら、さぞもの悲しいことでしょう。私のこの着物を肌身に着ていらしてください、直接お逢い出来る日が来るまで。 〈3585〉愛しいお前が、肌身離さずといって贈ってくれたこの着物の紐、それを解くことなどありましょうか。 鑑賞 >>> 3584が妻の歌。3585が夫の歌。「衣の紐を我れ解かめやも」と、貞操を守ることを誓っています。 天平8年(736年)夏6月に新羅へ派遣された使者たちは、秋には帰国する予定でしたが、途上で暴風にあい、また疫病で仲間を失い、さらには新羅との交渉も不調に終わるなど、散々な旅となり、ようやく帰国できたのは翌年の春でした。 遣

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                                  • 遣新羅使人の歌(4)・・・巻第15-3635,3671 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

                                    訓読 >>> 3635 妹(いも)が家路(いへぢ)近くありせば見れど飽かぬ麻里布(まりふ)の浦を見せましものを 3671 ぬばたまの夜(よ)渡る月にあらませば家なる妹(いも)に逢ひて来(こ)ましを 要旨 >>> 〈3635〉もしも妻がいる家への道が近くにあったなら、見ても見飽きることのない麻里布の浦を見せてやりたいものを。 〈3671〉夜空を自由に行き来できる月であったなら。家にいる妻に逢って、またここに戻ってくるものを。 鑑賞 >>> 新羅に向かう使者たちが、海路の途上で詠んだ歌です。3635の「麻里布の浦」は、山口県岩国市付近の海で、岩国市内には麻里布という地名があります。まだ海を知らない妻に見せてやりたいと言っています。3636は、筑前国(福岡県)の海浜で月を眺めながら、我が家が近くにあること、わが身を月になすことを空想しています。 これらの歌の「・・・せば・・・まし(もの)を」の表

                                      遣新羅使人の歌(4)・・・巻第15-3635,3671 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
                                    • 遣新羅使人の歌(8)・・・巻第15-3595~3599 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

                                      訓読 >>> 3595 朝開(あさびら)き漕ぎ出(で)て来れば武庫(むこ)の浦の潮干(しほひ)の潟(かた)に鶴(たづ)が声すも 3596 我妹子(わぎもこ)が形見(かたみ)に見むを印南都麻(いなみつま)白波(しらなみ)高み外(よそ)にかも見む 3597 わたつみの沖つ白波立ち来(く)らし海人娘子(あまをとめ)ども島隠(しまがく)る見ゆ 3598 ぬばたまの夜(よ)は明けぬらし玉の浦にあさりする鶴(たづ)鳴き渡るなり 3599 月読(つくよみ)の光を清み神島(かみしま)の磯廻(いそみ)の浦ゆ船出(ふなで)す我(わ)れは 要旨 >>> 〈3595〉朝早くに船を漕ぎ出してきたら、武庫川の河口あたりの干潟に、鶴の鳴く声がしていた。 〈3596〉妻を偲ぶよすがと思って印南都麻の方向を見ようとしたが、白波が高くて、遠くからではよく見えない。 〈3597〉海の神が沖に白波を立てている。折しも、海人乙女ら

                                        遣新羅使人の歌(8)・・・巻第15-3595~3599 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
                                      • 遣新羅使人の歌(3)・・・巻第15-3582~3583 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

                                        訓読 >>> 3582 大船(おほふね)を荒海(あるみ)に出(い)だしいます君(きみ)障(つつ)むことなく早(はや)帰りませ 3583 真幸(まさき)くて妹(いも)が斎(いは)はば沖つ波(なみ)千重(ちへ)に立つとも障(さは)りあらめやも 要旨 >>> 〈3582〉大船を荒海に出して旅行きなさろうするあなた。どうか何の禍もなく、早くお帰りなさいませ。 〈3583〉あなたが無事でいてくれて、身を清めて神に祈っていてくれれば、沖の波がどれほど激しく立とうとも、旅の支障は何もないことよ。 鑑賞 >>> 3582は、妻が夫の道中の無事を祈った歌、3583は、夫がそれに答えた歌。3582の「荒海(あるみ)」は「あらうみ」の約。「います」は「行く」の敬語。「障む」は、障害があること。「帰りませ」の「ませ」は、敬語の助動詞の命令形。3583の「真幸くて」の「真」は、真にの意の接頭語。「幸くて」は、無事で

                                          遣新羅使人の歌(3)・・・巻第15-3582~3583 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
                                        • 遣新羅使人の歌(28)-3671~3673 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

                                          訓読 >>> 3671 ぬばたまの夜(よ)渡る月にあらませば家なる妹(いも)に逢ひて来(こ)ましを 3672 ひさかたの月は照りたり暇(いとま)なく海人(あま)の漁(いざ)りは灯(とも)し合へり見(み)ゆ 3673 風吹けば沖つ白波(しらなみ)畏(かしこ)みと能許(のこ)の亭(とまり)にあまた夜(よ)ぞ寝(ぬ)る 要旨 >>> 〈3671〉私が夜空を渡っていく月であったならば、家にいる妻に逢いに行き、またここに帰ってくるものを。 〈3672〉月が皎々と照っている。片や、絶え間もなく、漁師たちの漁火が、海の上で灯し合っている。 〈3673〉風が吹いていて、沖の白波が恐ろしさに、能許の停泊地で幾夜も過ごしている。 鑑賞 >>> 筑前国志麻郡の韓亭(からとまり)に停泊した時の歌首のうちの3首。「韓亭」は、福岡市西区宮浦唐泊とされ、唐泊の港は、かつては遣新羅使や遣隋使、遣唐使などの航路の中継港とし

                                            遣新羅使人の歌(28)-3671~3673 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
                                          • 安芸武田氏ゆかりの神社、新羅神社、訪ねました。 - 広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

                                            昨日(6月27日日曜日)、 緊急事態宣言が解除されて1週間、驚くほどの車の多さに驚いてしまいました。 祇園イオンモールの駐車場辺りから臨む武田山です。 広島経済大学の煉瓦色の校舎の下にこんもりと深緑の杜があります。 今日は、どこへ行こうかしらなんて考えながら歩いていましたら、この杜が眼に入りました。 新羅神社のある杜です。 以前に訪ねたときは彼岸花が咲いていた頃でした。 新羅神社は、 創建は、1200年(正安2年)に安芸の国の守護職でした武田信宗によって甲斐の国から勧請されました。 清和源氏武田氏の先祖の新羅三郎が祀られ安芸武田氏の守護神として崇拝されました。 鎌倉時代に積まれた石段でしょうか、少し上りづらいとはいえ、一歩一歩と踏みしめると足首からふくらはぎに暖かいものが伝わってくるような不思議なパワーを感じます。 以前来たときと一緒で、とても綺麗にされていて地元の人に慕われているのが 伝

                                              安芸武田氏ゆかりの神社、新羅神社、訪ねました。 - 広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね
                                            • 朝鮮三国の高句麗・百済・新羅とは?

                                              高句麗(こうくり)高句麗(こうくり)は、朝鮮半島北部に存在した古代の国家であり、紀元前37年から紀元668年まで続いた歴史を持つ王国です。 起源と建国高句麗は紀元前37年に建国されました。伝説によれば、東夷の首領である朱蒙(チュモン)が高句麗を建国し、首都を平壌(ピョンヤン)に定めました。初期の高句麗は、農耕や畜牧、狩猟を中心とする文化を持ちながらも、周辺の勢力との争いが続きました。 領土の拡大高句麗は次第に領土を拡大し、周辺地域を征服しました。特に3世紀から5世紀にかけて、高句麗は勢力を拡大し、中国東北部や朝鮮半島南部の一部を支配下に置きました。この時期には、日本との交流も行われ、高句麗文化が日本にも影響を与えました。 政治と社会高句麗は王制を採用し、王が絶対的な権力を握っていました。王権は家族の血統によって継承され、王家は神聖視されていました。また、貴族や士族などの社会的な階層も存在し

                                                朝鮮三国の高句麗・百済・新羅とは?
                                              • 遣新羅使人の歌(5)・・・巻第15-3586~3588 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

                                                訓読 >>> 3586 我(わ)が故(ゆゑ)に思ひな痩(や)せそ秋風の吹かむその月(つき)逢はむもの故(ゆゑ) 3587 栲衾(たくぶすま)新羅(しらき)へいます君が目を今日(けふ)か明日(あす)かと斎(いは)ひて待たむ 3588 はろはろに思ほゆるかも然(しか)れども異(け)しき心を我(あ)が思はなくに 要旨 >>> 〈3586〉私のために思い悩んで痩せたりなどしないでおくれ。秋風が吹き始めるその月には、きっと逢えるのだから。 〈3587〉はるばる新羅の国へお出かけになるあなたにお逢いできる日を、今日か明日かと、身を清めてはずっとお待ちしています。 〈3588〉遙か遠くにいらっしゃると思われるけれども、移り心などを抱こうなどとは、私は決して思いません。 鑑賞 >>> 3586は、妻を慰めて安んじさせようとする夫の歌。「な痩せそ」の「な~そ」は、禁止。「秋風の」とあるのは、帰朝は秋になると

                                                  遣新羅使人の歌(5)・・・巻第15-3586~3588 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
                                                • 遣新羅使人の歌(19)・・・巻第15-3638~3643 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

                                                  訓読 >>> 3638 これやこの名に負(お)ふ鳴門(なると)のうづ潮(しほ)に玉藻(たまも)刈るとふ海人娘子(あまをとめ)ども 3639 波の上に浮寝(うきね)せし宵(よひ)あど思(も)へか心悲しく夢(いめ)に見えつる 3640 都辺(みやこへ)に行かむ船もが刈(か)り薦(こも)の乱れて思ふ言(こと)告(つ)げやらむ 3641 暁(あかとき)の家恋しきに浦廻(うらみ)より楫(かぢ)の音(おと)するは海人娘子(あまをとめ)かも 3642 沖辺(おきへ)より潮(しほ)満ち来(く)らし可良(から)の浦にあさりする鶴(たづ)鳴きて騒(さは)きぬ 3643 沖辺(おきへ)より船人(ふなびと)上(のぼ)る呼び寄せていざ告げ遣(や)らむ旅の宿(やど)りを 要旨 >>> 〈3638〉これがあの有名な鳴門のうず潮と、玉藻を刈っているという海人娘子たちなのだな。 〈3639〉波の上で浮寝をした夜、何と思って

                                                    遣新羅使人の歌(19)・・・巻第15-3638~3643 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
                                                  • 新羅の王子が技術集団を連れて来朝し集落を形成した【源義経元服の地】と【鏡神社】@滋賀2023 - うめじろうのええじゃないか!

                                                    滋賀県蒲生郡竜王町に「鏡」という土地があります ここはかの源義経が「元服した地」として伝わっており、その際にここに宿泊したという石碑が建っていました。 今は住宅地の一角が小さな空き地(公園?)になっていて、そこになかなか立派な碑が建立されておりました。 目の前は現在の国道8号線、旧中山道が今の国道より西側に通っていたと思うのですが、この辺りでは今の国道と被っているのでしょうか・・・ 「義経宿泊の館跡」碑が建つ空き地に隣接するように、かつての本陣跡等の立て札が並んでいました。 ここはかつて沢弥伝という長者の屋敷があった場所だそうで、「駅長」(うまやのおさ)とも呼ばれていた沢の屋敷は「白木屋」という名であったそうです。 そう聞いて現代人としては居酒屋を連想せずにはいられませんね・・^^; 江戸時代になって「中山道」になったのでしょうか・・このあたりはよく知らないので街道にお詳しい方おられました

                                                      新羅の王子が技術集団を連れて来朝し集落を形成した【源義経元服の地】と【鏡神社】@滋賀2023 - うめじろうのええじゃないか!
                                                    • 遣新羅使人の歌(23)・・・巻第15-3656~3658 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

                                                      訓読 >>> 3656 秋萩(あきはぎ)ににほへる我(わ)が裳(も)濡(ぬ)れぬとも君が御船(みふね)の綱(つな)し取りてば 3657 年(とし)にありて一夜(ひとよ)妹(いも)に逢ふ彦星(ひこほし)も我(わ)れにまさりて思ふらめやも 3658 夕月夜(ゆふづくよ)影立ち寄り合ひ天(あま)の川(がは)漕ぐ舟人(ふなびと)を見るが羨(とも)しさ 要旨 >>> 〈3656〉秋萩に美しく染まった私の裳が濡れようとも、川を渡って来られたあなた様(牽牛)の御船の綱を手に取って岸に繋ぐことができたら。 〈3657〉一年にただ一夜だけ妻に逢う彦星も、この私以上にせつない思いをしているとは思えない。 〈3658〉夕月夜に、彦星と織女の影がしだいに寄り合い、天の川を舟を漕いで渡っていく彦星を見ると羨ましくなる。 鑑賞 >>> 題詞に「七夕に天漢(あまのがは)を仰ぎ觀て各(おのおの)思ひを陳(の)べて作る歌三

                                                        遣新羅使人の歌(23)・・・巻第15-3656~3658 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
                                                      • 遣新羅使人の歌(2)・・・巻第15-3580~3581 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

                                                        訓読 >>> 3580 君が行く海辺(うみへ)の宿(やど)に霧(きり)立たば我(あ)が立ち嘆く息(いき)と知りませ 3581 秋さらば相見(あひみ)むものを何(なに)しかも霧に立つべく嘆きしまさむ 要旨 >>> 〈3580〉旅の途上の海辺の宿に霧が立ち込めたなら、私が門に立ち出てはため息をついていると気づいて下さい。 〈3581〉秋になったら必ず逢えるのに、どうして霧となって立ち込めるほどに嘆くのか。 鑑賞 >>> 3580は、遣新羅使として旅立つ夫を送り出す妻の歌、3581は、それに答えた夫の歌。3580の「宿」は、夜は船を海岸に繋ぎ、上陸して宿るときに建てる仮小屋。「知りませ」の「ませ」は、敬語の助動詞「ます」の命令形。3581の「秋さらば」は、秋になったら。当初の予定では、秋には帰朝できるものとされていたことによります。「何しかも」の「し」は強意、「かも」は疑問の係助詞で、どうして~

                                                          遣新羅使人の歌(2)・・・巻第15-3580~3581 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
                                                        • 安芸武田氏ゆかりの神社、新羅神社の御神木「夫婦ひのき」です。 - 広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

                                                          安芸武田氏ゆかりの神社、 新羅神社にお参りしますと、祠のすぐそばにあります御神木の「夫婦ひのき」です。 二股に分かれ、寄り添うようにまっすぐ伸びた夫婦ひのき、なんて素敵でしょう。 家に帰ってから、 檜について調べていましたら、 日本書紀でスサノオノミコトが胸毛を抜いて空中に放つと「ひのき」となり、 とありました。 「火の木」とも「霊の木」とも「日の木」とも言われています。 今でも高級建築資材です。 神の宿る木ひのきが、夫婦ひのきとして仲睦まじく真っ直ぐにお日様に向かって伸びています。 パワー頂けたですかね。 散歩に出かける前に、朝から植木枝切りしていました主人部屋でゴロンと横になっていましたので、 帰り道に寄ったコンビニでグリコのパピコを買って帰り、主人と半分こしました。 定番のチョココーヒー味です。 グリコ パピコ チョココーヒー160ml(80ml×2本)× 20入 北海道沖縄離島は配

                                                            安芸武田氏ゆかりの神社、新羅神社の御神木「夫婦ひのき」です。 - 広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね
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