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法成寺の検索結果1 - 3 件 / 3件

  • 法成寺を建てた藤原道長  欠けることのない満月  - こうへいブログ 京都案内と文章研究について

    酒の席での戯言 平安時代最高の権力者といわれる藤原道長。 大勢の公卿を自宅に招いた宴の席で「私は欠けることのない満月だ。この世界は私のためにある」という趣旨の和歌を詠み、その場を凍りつかせました。 その慢心に聞こえる自画自賛は「酒の席での戯言でしょ」と流されることもなく、1000年たった今でも語りつがれることになるのです。 寛仁4(1020)年、九体阿弥陀を安置する法成寺(ほうじょうじ)は、道長によって洛中に建立されます。 天喜6(1058)年に堂々伽藍が悉く炎上するまで、現在の京都御所と賀茂川の間に位置し、巨大な規模を誇っていました。 その大きさは方二町、240メートル×240メートルで一万七千坪。平安京官寺の東寺・西寺と同じ規模です。 造営には受領はもちろん公卿や僧侶も協力し、諸国から工人や仏師なども駆けつけ、5000人近い人夫が召集されました。 寝殿造にみられる築山・池泉などが構えら

      法成寺を建てた藤原道長  欠けることのない満月  - こうへいブログ 京都案内と文章研究について  
    • 藤原道長ゆかりの法成寺跡から鮮やかな緑釉瓦、遺構の出土は初 思いはせる「光る君へ」の世界

      平安時代に権勢を振るい、今年の大河ドラマ「光る君へ」に主人公の紫式部とともに登場する藤原道長が創建した寺院「法成寺(ほうじょうじ)」跡(京都市上京区)から、当時の井戸跡と鮮やかな色彩の緑釉(りょくゆう)瓦の破片が出土し、市考古資料館が16日発表した。法成寺の遺構が出土したのは初めて。 法成寺は道長が寛仁3(1019)年の出家後に建てた寺院で、鎌倉時代末期の14世紀前半に廃絶した。その後、度重なる鴨川の氾濫で寺跡は流され遺構も見つかることもなく、未解明の部分が多かった。 京都御苑東隣に建つ梨木神社境内でのマンション建設に伴い、民間調査団体「古代文化調査会」が寺跡の北西角の約500平方メートルを発掘調査。井戸跡(直径2・2メートル、深さ1・75メートル)と寺域の北限を示す東西溝が出土した。いずれも一緒に出土した土器などから道長時代の遺構と判明した。 法成寺の北西角から出土した井戸跡。寺の遺構と

        藤原道長ゆかりの法成寺跡から鮮やかな緑釉瓦、遺構の出土は初 思いはせる「光る君へ」の世界 
      • 土井の塚古墳 広島県福山市駅家町法成寺 - 墳丘からの眺め

        今回も福山市の駅家町の古墳。町名は、奈良時代に山陽道が通っていて宿駅が設けられていたことに由来するそうですが、古墳が多い町でした。 土井の塚古墳は掛迫第6号古墳の400mほど東の、こちらは集落内です。 裏庭(?)にピンが立つお宅の前へ行くと幸運にも、前庭で作業中の家主の方がおられて見学の許可がいただくことができました。ありがとうございました! ガレージをを通り抜けた先に、土嚢で保護された墳丘が。 大きな開口部です。 開口部から先は玄室。 スマホ広角で。明るく暮らしやすそうな(?)、素敵な石室です。 奥壁は平滑な一枚岩。若干赤色が残っているようです。 奥壁を背にして。 フラッシュで。開口部地面の石は、倒れた側壁石のようでした。 開口部から先の眺め。

          土井の塚古墳 広島県福山市駅家町法成寺 - 墳丘からの眺め
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