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司令長官の検索結果1 - 3 件 / 3件

  • 「1人で死ね!」玉音放送を聴いたにもかかわらず特攻機に乗り込んだ司令長官…見送る兵士たちの“悲痛すぎる叫び” | 文春オンライン

    8月15日の特攻命令 作戦の決行を控えた昭和20(1945)年8月15日、終戦によりすべては終わったはずであった。しかし第三航空艦隊長官の寺岡謹平中将はこの日、指揮下の残存航空機すべてに対し、関東沖の米機動部隊に対する特攻を命じた。この日、木更津から出撃した神風特別攻撃隊第七御盾隊第四次流星隊の「流星」艦爆2機のうち1機を操縦していた小瀬本國雄飛行兵曹長によれば、寺岡長官は、「攻撃目標は、房総沖の敵機動部隊である。諸氏の必中を祈る」と訓示し、「君たちだけを死なせはしない、私も必ず後から行く」と明言した。 小瀬本ら2機の「流星」艦爆が800キロ爆弾を抱いて発進したのは午前10時50分、終戦の1時間10分前であった。このことを小瀬本ら特攻隊員は知らなかった。 また寺岡長官は、指揮下の全飛行機に対し、15日の午前中に特攻することを命じており、護衛の零戦にも、戻ってきたら爆装して再度突っ込むよう命

      「1人で死ね!」玉音放送を聴いたにもかかわらず特攻機に乗り込んだ司令長官…見送る兵士たちの“悲痛すぎる叫び” | 文春オンライン
    • ロシア黒海艦隊司令長官ソコロフ氏は生きている?[死んでいる?]

      9月22日に特殊部隊に空爆され死亡したとウクライナメディアが発表したロシア黒海艦隊のソコロフ司令官。本当であればロシアにはかなりの痛手ですが、ロシアは次々とソコロフ司令官の生存の様子を伝えています。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテンツ制作責任者 おとぼけ(田畑 雄貴) PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨

        ロシア黒海艦隊司令長官ソコロフ氏は生きている?[死んでいる?]
      • 連合艦隊司令長官がまさかの「戦死」…今からちょうど80年前、山本五十六「最期の瞬間」(神立 尚紀) @moneygendai

        太平洋戦争にはいくつかの転機があるが、昭和17(1942)年8月にはじまったガダルカナル島をめぐる攻防戦はまちがいなくそんな「転機」の一つだろう。 日本軍は昭和18年2月、ガダルカナル島から撤退するが、以後、ガダルカナル島を拠点に攻勢に出る米軍と、それを必死に防ぎ止めようとする日本軍のあいだで1年におよぶ激戦が繰り広げられた。そんなさなか、18年4月18日、連合艦隊司令長官・山本五十六大将が前線基地へ視察に赴く途中、乗機が米戦闘機に撃墜され戦死する。 ――あれから80年。山本の死はいったいなにを遺したのだろうか。 狙うは、大将機のみ 昭和18(1943)年4月14日早朝、日本側の無線を傍受、暗号を解読し、山本長官一行の詳細な視察計画を知った米太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将は、麾下のウィリアム・ハルゼー中将に連絡し、フランク・ノックス海軍長官とフランクリン・ルーズベルト大統領に山

          連合艦隊司令長官がまさかの「戦死」…今からちょうど80年前、山本五十六「最期の瞬間」(神立 尚紀) @moneygendai
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