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連合艦隊司令長官がまさかの「戦死」…今からちょうど80年前、山本五十六「最期の瞬間」(神立 尚紀) @moneygendai
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連合艦隊司令長官がまさかの「戦死」…今からちょうど80年前、山本五十六「最期の瞬間」(神立 尚紀) @moneygendai
太平洋戦争にはいくつかの転機があるが、昭和17(1942)年8月にはじまったガダルカナル島をめぐる攻防戦... 太平洋戦争にはいくつかの転機があるが、昭和17(1942)年8月にはじまったガダルカナル島をめぐる攻防戦はまちがいなくそんな「転機」の一つだろう。 日本軍は昭和18年2月、ガダルカナル島から撤退するが、以後、ガダルカナル島を拠点に攻勢に出る米軍と、それを必死に防ぎ止めようとする日本軍のあいだで1年におよぶ激戦が繰り広げられた。そんなさなか、18年4月18日、連合艦隊司令長官・山本五十六大将が前線基地へ視察に赴く途中、乗機が米戦闘機に撃墜され戦死する。 ――あれから80年。山本の死はいったいなにを遺したのだろうか。 狙うは、大将機のみ 昭和18(1943)年4月14日早朝、日本側の無線を傍受、暗号を解読し、山本長官一行の詳細な視察計画を知った米太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将は、麾下のウィリアム・ハルゼー中将に連絡し、フランク・ノックス海軍長官とフランクリン・ルーズベルト大統領に山