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杉原千畝 命のビザの検索結果1 - 5 件 / 5件

  • 名曲「ZOO」歌手の激動すぎる38年の生涯、“命のビザ”杉原千畝との意外な繋がりも

    1966年静岡市生まれ。小学生時代に東京都へ。91年に早稲田大学法学部を卒業し、毎日新聞社に入社。西部本社整理部、佐賀、福岡、八王子、東京社会部、水戸、内部監査室委員、社会部編集委員、立川などでの勤務を経て、現在東京社会部記者。 ニュースな本 ビジネス・経済から、エンタメに教育、政治まで…。世の中には山のように書籍が存在する。その中から「読んでためになる」「成長できる」「思わずうなる」ような書籍を厳選し、その一部をお届けする連載。話題の新刊から埋もれた名著まで、きっと素敵な発見があるはずだ。気になる書籍があれば、ぜひ元の書籍を読んでほしい。 バックナンバー一覧 ユダヤ人6000人を救った「命のビザ」で知られる杉原千畝は、戦後、モスクワで働いていた。杉原の立ち合いのもとで結婚した日本人男性とロシア人女性の間に生まれたのが、ロック歌手の川村かおりだ。若い人でも、名曲「ZOO」を知っている人は多

      名曲「ZOO」歌手の激動すぎる38年の生涯、“命のビザ”杉原千畝との意外な繋がりも
    • 杉原千畝の「命のビザ」が救ったのは2500人だった ロシアの研究者、シベリア鉄道の乗車記録に着目:東京新聞 TOKYO Web

      第2次大戦中、ナチス・ドイツが迫る東欧リトアニアで、日本の外交官杉原千畝(ちうね)らが発給した「命のビザ」で救われたユダヤ人難民の数は約2500人だったとする研究結果を、ロシア国立人文大のイリヤ・アルトマン教授(68)がまとめた。難民が利用したソ連・シベリア鉄道の乗車記録に着目し、「命のビザは6000人を救った」とする従来の推論を退けた。モスクワで10日に開くシンポジウムで発表する。(カウナスで、小柳悠志、写真も) 日本外務省の記録によると、リトアニア・カウナスの領事館に勤務していた杉原は2139通のビザを発給。当時のビザは1通で子どもらの分も有効だったため、ソ連と日本を経由、第三国に逃れた難民の数はビザ発給数を大きく上回るとの期待があった。難民の多くはポーランド東部(現ベラルーシ)出身だった。 ただ、アルトマン氏がソ連国営旅行会社インツーリストや運輸当局に残る1940〜41年のシベリア鉄

        杉原千畝の「命のビザ」が救ったのは2500人だった ロシアの研究者、シベリア鉄道の乗車記録に着目:東京新聞 TOKYO Web
      • 中学生、高校生におススメ!!国の命令に背いて6000人の命を救った英雄! 【六千人の命のビザ】 杉原千畝 - いまさらオヤジのポイ活日記と雑記

        スティーブン  スピルバーグ監督の「シンドラーのリスト」という映画を観た方は多いのではないでしょうか。 オスカー・シンドラーはナチスに追われ、行き場をなくした多くのユダヤ人を救ったドイツの実業家です。 シンドラーと同じように、多くのユダヤ人を救い「東洋のシンドラー」と呼ばれた杉原千畝(ちうね)という日本人をご存知でしょうか。 2019年7月29日、グーグルドゥードゥルにも選ばれた杉原の人生をたどってみたいと思います。 1940年7月 生い立ち 千畝の決断 杉原一家のその後 ユダヤ難民との再会 1940年7月 リトアニアの首都カウナスにある日本領事館の領事代理である千畝が、ある朝目覚め外を見ると、領事館前に人だかりができていました。 話を聞くとナチス・ドイツのポーランド侵攻により、住むところを追われ避難してきたユダヤ人で、日本を通過するためのビザ発給を求めて来た人たちでした。 ヨーロッパの各

          中学生、高校生におススメ!!国の命令に背いて6000人の命を救った英雄! 【六千人の命のビザ】 杉原千畝 - いまさらオヤジのポイ活日記と雑記
        • 「命のビザ」発給後、被整理者に 杉原千畝の履歴書発見:朝日新聞デジタル

          第2次世界大戦中にナチスの迫害を受けるユダヤ人に「命のビザ」を発給した外交官・杉原千畝(ちうね)氏(1900~86)の履歴書が新たに見つかった。帰国後に外務省を辞め、参院事務局の職員に転職したことが判明。外務省は杉原氏の退職理由を「不明」としており、ビザ発給後の杉原氏に関する史実解明につながる可能性がある。 発見されたのは杉原氏が参院に提出した履歴書と、勤務実績を示す人事記録の計2枚。参院事務局が7月下旬に見つけ、遺族や関係者でつくる「杉原千畝記念財団」が21日公表した。 杉原氏は1940年、赴任先のリトアニアで日本の通過ビザを多数発給することでユダヤ人約6千人を助けたとされる。47年4月の帰国後は、NHKや商社などの職を転々としたが、49年2~10月に参院資料課で主事として勤務したことが新たに判明した。 履歴書では外務省の退職理由を依願退職としつつ、「(47年)3月の行政整理に際し被整理

            「命のビザ」発給後、被整理者に 杉原千畝の履歴書発見:朝日新聞デジタル
          • 杉原千畝の「命のビザ」と日本酒が結ぶ、ユダヤと日本の絆

            コーシャ認証を取得した舩坂酒造の「深山菊」を手に笑顔のエドリー(中央左)と有巣(中央右) COURTESY OF BINYOMIN Y. EDERY <「日本のシンドラー」杉原の功績で岐阜はユダヤ人観光客にとって特別な土地に、地元も「コーシャ認証」の日本酒で彼らを歓待する> 岐阜県高山市。市場の裏手にある居心地のいい酒場で、筆者は舩坂酒造店の有巣弘城社長(36)と一緒にグラスを掲げた。つがれているのは、ユダヤ教の戒律に基づく食の規定「コーシャ」の認証を得た特別な日本酒だ。 「カンパイ!」。こちらが日本語で言うと、有巣は目を丸くして、満足そうにヘブライ語で応じた。 「ルハイム!」 よき酒があれば言葉の壁も文化の壁もどこへやら。そんな光景と言えなくもないが、実はこの乾杯は、「日本のシンドラー」と呼ばれた杉原千畝の功績に由来する。 時は第2次大戦中、1940年のこと。リトアニアの日本領事館領事代

              杉原千畝の「命のビザ」と日本酒が結ぶ、ユダヤと日本の絆
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