(小学館P+D BOOKS・770円) 形にならない心へと向かう 私小説の鬼才、木山捷平(しょうへい)(一九〇四―一九六八)の短編集。一九三三年から一九五七年まで四半世紀の制作。敗戦時の満州で、ほんの少しのロシア語で窮地を脱する「耳学問」、子どものときの思い出「尋三の春」が表題。傑作ではなく、ちょっと並みの作品かなあと思われるものも、いい。 前記「尋三の春」は尋常科三年のことなので読み方は「じんさんのはる」。尋常の六年間に五人の先生に習ったが、大倉先生もその一人だと。そのあと。「そうだ、あれは明治四十五年のことであるから、もう二十何年も昔のことだ」。この「そうだ、」がいい。すなおに、思い出したまま書いているのだ。ぼくはこれを見て、びっくりした。小説とは思えない、文章の呼吸が楽しい。心地よい。