特定アジアのプロパガンダをいつまで信じていたかなんていうのは他愛のない世間話にもならないくらいどうでもいい話だが、 それでも南京大虐殺なんていう想像上の捏造話を信じていたかというと確信を持って言えるが、最初から信じてなどいなかった。 左翼系集会のイベントに現れる証言者は偽証言者だと理解していたし、20万人しか人口が居なかった南京で30万人も虐殺できるのはおかしいと感じていた賢しい俺なのだが、 はてさて強制連行やハングル弾圧や創始改名や竹島や日本海やパクリなどのそれらにともなう反日的な中国人や韓国人や朝鮮人がこの世に本当に存在していると気付いたのは相当後になってからだった。 いや知りたくなかっただけなのだ 俺は心の底から親日的な中国人や韓国人や朝鮮人が、現実世界にフラリと出て来てくれることを望んでいたのだ。 しかし現実ってのは意外と厳しい マスコミの報道がうまく捏造されることに感心しつつ、テ
さて、西洋哲学研究者の私がなぜ、靖国の問題を論じるのか。不思議に思った方もおられるのではないでしょうか。しかし、私の中ではまったく違和感はありません。 私の専門は、西洋哲学、特に20世紀のヨーロッパにおける哲学思想研究です。なかでも最も影響を受けたのが「脱構築」で知られるジャック・デリダ(今週のキーワード参照)ですが、哲学というのは過去にだれかが構築した思想を研究するのではなく、自分自身で探求するのが本来の姿のはずです。その点において、日本に暮らす私が日本固有の問題について哲学的に論じることは、まったく不自然なことではないのですね。 そもそも西洋における哲学自体も、政治や国家、戦争、歴史をテーマとしてきたわけで、私が靖国神社という日本の歴史を扱うことについても、そうした哲学の伝統と無縁であるわけではない。例えば、西洋哲学の祖といわれるプラトンの代表作である『国家』は、どんな国家のあ
湿度の高いジメジメした天気が続いている。連日、ワールドカップの試合中継をみているので、寝不足が続いている。国会閉会中だからこそ、積み残しになっていた各省庁からのヒアリングや取材対応、そして資料整理とあいかわらずあわただしい。「本来は国会を緊急に開催すべきだ」という要求を社民党内部でまとめ、土曜日の野党4党の幹事長・党首会談となった。訪米を控える小泉総理に議論すべきテーマを提示し、正々堂々と受けて立つべしと促したが、官邸は「多忙」を理由に逃げ切るつもりだ。 自民党総裁選も、誰が出馬するのか判然としない状況は、8・15まで続く。小泉政権が「国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑」の拡充を指示したというのは、ポスト小泉の靖国問題を占うひとつのサインだと見ていい。国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、3年前まで荒れ放題だった。私は、遺族会の直訴を受けて、南方やシベリアから遺骨収拾団の持ち帰った遺骨が、納骨堂に収容されるずに「
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