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批評に関するselimのブックマーク (15)

  • 日々雑感070225 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    昨日今日と、畏友みなせ丼といぬい君と一緒に温泉行ったり酒を呑んだりしてすごしていました。大変楽しかったのですが、何故か寝付けず非常に疲弊しております。胃腸も久しぶりの酒のおかげできわめて不調で、胃痛腹痛吐き気がまとめて来ているのでたまりません。ので、今日の更新はこれだけ。体調回復せねば。 ああそうだ。舞乙Zwei見たんだった。なんつーか、すごくずさんなつくりで酒を呑みながらですら疑問を覚えつつ、普通に萌えてました。ダメ人間ですねぼくは。 それはそうとして。 魔王さま(id:Erlkonig)方面と印象批評についての問答をしたのですが、そこでこぼしたことをメモ。 印象批評というのは「すでにそこにある」テクストに対して自己の「印象」を語り伝えるものであり、つまりそれはどれだけ深く独創的な印象をどれだけ説得力のあるレトリックで語るかという人間力の勝負です。テクストと「俺」との武器(批評理論)なき

    日々雑感070225 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
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    selim 2007/02/26
  • 七里の鼻の小皺 - チョコレート代わりに

    七里の鼻のnanariです。今日はね、ほんと、名前だけでも覚えて帰ってもらえればと思うんですけど。以前から予告していた、「大切な何か」をめぐるフィールドワークの第一回報告をします。「大切な何か」たちと、「対象を失った愛」という概念の結びつきが、しだいに明らかになってきました。そして、このサイト独自の用語が増え過ぎて、一見カルトくさくなってきました。こりん星バッヂやマンガの喫水線Tシャツ、あの女医さんのすすめてくれた眼鏡などのグッズ展開も考えるべきなのでしょうか。とはいえ、いくつかの言葉を選んだ以上、賭けは始まっているわけですから、そうした負荷も引き受けねばなりません。

    selim
    selim 2007/02/16
    >つまり、はてなの9割強は児戯に類する。
  • NaokiTakahashiの日記 - 「キャラ立ち」の問題

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    selim 2007/02/09
    >コンビニおでんほどの味の追求をお前らはしてるのかと。
  • ■ - Something Orange

    一昨日の記事の続き。 さて、たくさん寄せられたコメントやトラックバックを考えてみたところ、どうもあの記事の問題点は「鑑賞」と「批評」を混同しているところにある気がしてきた。 この場合の「鑑賞」とはリアルタイムで作品を楽しむこと、そして「批評」とはその内容を分析し評価すること、と受け取ってほしい。 ある作品を「鑑賞」するとき、そのひとのあたまのなかではいくつもの快楽性が同時に立ち上がる。それは物語の筋立てのおもしろさや音楽の美しさだったり、キャラの魅力だったり、あるいは文章の流麗さだったりする。 そのとき、そのなかのひとつの要素に意識が行きすぎて、ほかの要素への注目がおろそかになる、ということは考えられるだろう。つまり、あるキャラに惚れこんでそこに意識を集中するあまり、物語とか設定への配慮が薄くなってしまうことはありえる。 たぶん竹熊さんが言う「キャラを見て作品を見ていない」状態とはこのこと

    ■ - Something Orange
  • http://www.bmp69.net/mt/archives/2005/09/literary_theory.html

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    selim 2006/11/13
  • flowerwild.net − 蓮實重彦インタビュー──リアルタイム批評のすすめvol.1

    デジタルメディアの台頭とともに「あらゆる映画が見られる」ようになったといわれる今日、映画批評はどう変わったのか。その道はどこに求められるべきか。蓮實重彦氏に聞く。 (インタビュー/構成:三浦哲哉) 目次 1.データベース化の幻想 2.反復する顔、しない顔 3.70年代の映画批評 4.リアルタイム批評のすすめ──マイケル・マンか、ガス・ヴァン・サントか 1.データベース化の幻想 ──1994年に『シネティック』の関口良一さんがなされたインタビューの中で、蓮實先生は、あらゆるものが見られる状況になったことで、映画を巡る言説は多様化するのではなく、かえって単調なものになっている、と述べておられます[1]。それから約10年が過ぎましたが、大状況としてはこの発言を追認せざるをえないかと思います。今回のインタビューでは、まず先生が述べられたこの見解を念頭に置きつつ、映画批評における歴史性について、メ

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    selim 2006/11/12
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かししてを読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…

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    selim 2006/11/12
  • 愛・蔵太の少し調べて書く日記 - 本や映画の批評は知識のない「自分語り」レベルじゃ単なる「感想」だよ

    アカデミズムの人たちが映画について語っているテキストはなぜかたいてい退屈で、それは高校生ぐらいまでのときはぼくの頭が悪いせいなんだろうと思っていたんですが、小林信彦とか石川喬司とか双葉十三郎とか和田誠といった人たちの作品レビューを読んで、「アカデミズムな人は、数少ない読んだで自分語りをしたいだけなんだ」ということがわかりました*1。狭い穴(深いことは深いけれども)と少ない素材(素材的には美しかったり新しかったりするけれども)で、自分たちの知識の乏しさを隠している。ぼくは人の話を心のこもらないやりかたで聞くのは嫌いではないのですが、十分な知識と斬新な見方で何かを言ってくれる人のほうが興味深いわけです。 ええと、あんまりいい例が思い浮かばないんだけど、SFマガジンという、今では日でひとつしかないSF*2雑誌がありまして、1960年代は福島正実という人が編集長でした。小松左京や筒井康隆

    愛・蔵太の少し調べて書く日記 - 本や映画の批評は知識のない「自分語り」レベルじゃ単なる「感想」だよ
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    selim 2006/11/09
  • 良い本を立て続け書いて、自分の能力を過信していた時の東浩紀に憧れる - モノーキー

    オタクが東浩紀へ抱く憎しみは、時代を代表する批評家か哲学家になりうるんじゃないかと言われてた頃の東浩紀への嫉妬ではないか? 言い換えると、幸せ太りする前のイケメン東浩紀へのルサンチマンともいえる。 結局みんな「動物化するポストモダン」出した直後の東浩紀の幼稚性を嫌ってるけど、あの頃の立ち位置に憧れてたりするよね。 ああいう文章はイヤだけど、ああいう仕事はしたい。ああいう立ち位置に立ちたいみたいな。 だから、みんな東浩紀の劣化みたいな文章しか垂れ流せない。俺もか。 「動物化するポストモダン」を出すまでは、確かに凄い文章を書いたって偉い人たちに持て囃されてて実際それだけの価値があったので、見誤るみたいなのはあるんだろうけれど。 ようするに、ギャルゲ論壇の人って「動物化するポストモダン」を出す前の東浩紀になりたいような気がする。 今まで自身の仕事の結果から己の実力を過信してたお陰

  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知
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    selim 2006/11/07
  • 作り手は「自分」の話を聴いてほしいが、客は原則として面白ければ誰でもいい。 - モノーキー

    ■『君』の話は聴きたくない、面白い話だけ聞かせてくれ。 アイドルや作家ですぐ消える人がでるのは客は面白さを優先して、作り手の固有性(作家性、もしくはテーマと呼ばれるもの)はあまり優先されないから 逆を言えば、面白さを評価されるようになってから作家性だの作家のメッセージや主張だの作品のテーマだのが大真面目に語られるようになるって話。 ま、テーマ(テーマって言葉は大嫌いだけど、判りやすいので)や作家性も面白さの要素の一つではあるけれど、目立って語られるようになるのは面白いと思われてからなんだよな。 面白い作品だと認識されて、読み手に初めて作家の主張や思想を意識してもらえる。 逆を言えば作家の主張や思想(テーマと呼ばれるモノ)は面白い部分でありつつも、どちらかというと邪魔というかクサくて、カッコつけててウザい部分と認識されるともいえる。 自意識が張り出してる部分だから。 作家性とは

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    selim 2006/09/15
  • 2005-11-07 - 七里の鼻の小皺

    ■[ネット]テキストサイト批評のための序 11月の旅I〜(静粛に  君達はセックスという概念を知っているか?) 血だらけのまな板を拭いていると、当にある時期を境に面白いサイトが激減した気がした。今や、このブログの乾いたアンテナをみてもらえば分かるとおりで、僕はもうほとんどネットをみていない。アンテナにのせているものが面白いことを書いているのか否かも、実はよく知らないでいる。 巨乳でもねぇくせに記憶力のない私の言うことではないが(榎加奈子の発言参照)、これは残るだろうなと思わせるテキストにネットで会えなくなったのは残念なことだ。最近のサイトで、ログを保存しておこうと思わせるものって、ある? 知り合い(と思われる人)のを除いて。ネット上で面白いマンガ批評なんて、もう長らく読んでいない。アシュタサポテが2001年の『ちょびっツ』分析で書いた、「……いやあ、不毛な作業だなあ(満面の笑顔)」な

  • 【インフォシーク】Infoseek : 楽天が運営するポータルサイト

    日頃より楽天のサービスをご利用いただきましてありがとうございます。 サービスをご利用いただいておりますところ大変申し訳ございませんが、現在、緊急メンテナンスを行わせていただいております。 お客様には、緊急のメンテナンスにより、ご迷惑をおかけしており、誠に申し訳ございません。 メンテナンスが終了次第、サービスを復旧いたしますので、 今しばらくお待ちいただけますよう、お願い申し上げます。

  • アニメ化で人気再燃するも、失われたモノも大きい「時をかける少女」 - SSMGの人の日記

    http://ameblo.jp/sinobi/entry-10016391801.html 作品の背景(監督の作品履歴とかマスコミの広告戦略とか上映館数とか)から「ゲド戦記」へのカウンターとしての神輿に持ち上げられているのはその通り。原作(というかこの場合大林版?)の大事な要素を削って、別物に仕上げてるのもその通り。あえて言うなら、絶賛が多いんじゃなくてネガティブ評の少なさから人気が良好に見えるように思うのだけど、そこら辺は自分の中では解決済みの問題なので、どうでもいいです。気になったのは、 SFとしては詰めが甘く、ジュヴナイルとしても中途半端なこの作品が 絶賛されているのは、明朗闊達な主人公、紺野真琴のルックスや言動が いわゆるアキバ系な方々にとってロイヤルストレートフラッシュ並に ツボの揃った好物件だから、というのがかなり大きなウエイトを占めている気がする。 貞義行のキャラクターに

    アニメ化で人気再燃するも、失われたモノも大きい「時をかける少女」 - SSMGの人の日記
  • がんすり - 旧tototo

    世界系とか言ってるのうざいです。 この種の新語、造語を使うと反論が封じられるというのがまずある。<教養小説>であるとか<シュールレアリスム>であるとかなら、面倒見のいいツッコミ役が「来の意味」なり「評論用語としての文脈」なりを参照してツッコミを入れてくれる可能性もあるけれど、造語は「俺の中でこうだから」で完結してしまう。あるいは、ネットの言葉を鵜呑みにしてどっか別の飲みの席で「○○は教養小説として…」と思わず言ってしまっても「いや、それ意味わかんねえし。教養小説って○○って意味じゃねえの?」といったストッパーがあることも期待できるが、造語は期待できない。 次。定義が雑。 社会てナニ。近代国家? 脱近代? ならそう書けって。 手法の稚拙さを指摘したそうに見えるわりには、どの作品のどの手法のどの部分がどう稚拙なのかを具体的に指摘しない。数学の問題を解くときに法学は参照しないし、逆もまた然り。

    がんすり - 旧tototo
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