2009年9月24日のブックマーク (3件)

  • 何を科学リテラシーとするか? - 発声練習

    科学リテラシーが何かはさておき、科学リテラシーが低いことで我々にとってどんな不利益があるかというと、専門家が正しいことをしようとしても我々自身がそれを阻んでしまうということが起こりえるというのが一番の不利益だと思う。世論のバックアップがなければ、専門家が科学的知見に基づいて正しいことをしようとしたとしてもそれを成し遂げることはできない。「自分が望んでいることなんだから、どんな不利益がでても良いじゃないか」という意見もあろうが、帰結を理解していて不利益をこうむるのと、利益があると誤解していて不利益をこうむるのでは話が違うと思うのが人情。 典型例が新型インフルエンザーへの対処、品偽装問題への反応、BSE問題での反応など。 一方で、何を持って科学リテラシーとするかといえば、社会の状況や生活環境においてどの科学的事実を「常識」として知っておいたほうが便利であるかというのは異なると思う。なので、考

    何を科学リテラシーとするか? - 発声練習
    semi
    semi 2009/09/24
  • 神奈川では存在感が抜群の政子さん。: 落合学(落合道人 Ochiai-Dojin)

    新宿の下落合や(城)下町の人々を中心に、街角の物語を想いにまかせて綴っています。主題は「わたしの落合町誌」。記事の利用については一報いただければ幸いです。無断使用はご遠慮ください。 わたしが15歳まですごした神奈川県の海っぺりでは、北条政子Click!の存在感がきわめて大きい。源頼朝よりも、地元でははるかに“有名人”かもしれない。湘南の中央に平塚という街があるが、政子さん(たぐい稀な存在なので、つい「さん」付けで呼んでしまうクセがある)が死去したとき、巨大な墓塚が築かれたのだけれど、もともと砂丘地帯だったために風化で平らになってしまい、それ以来「平塚」と呼ばれるようになった・・・などという、まことしやかな伝承がある。もちろん、江戸期あたりに作られた出来の悪い付会だろう。政子さんの伝承やエピソードは、学校の授業や資料にもたびたび登場した。それだけ彼女の存在感が神奈川の、ことに南部では大きいの

    神奈川では存在感が抜群の政子さん。: 落合学(落合道人 Ochiai-Dojin)
    semi
    semi 2009/09/24
  • The Japanese Gallery of Psychiatric Art 精神科薬広告図像集

    the american gallery of psychiatric artというサイトがある(あった。残念ながら今はもうない)。1960年代から現在に至るまでのアメリカの精神科薬の広告アート集である。どういうわけかアメリカの広告アーティストたちは、精神科の薬の広告では、患者の感じている恐怖感や抑うつ感といったものを表現せねばならぬ、と思いこんでいたらしく、ぎりぎりと歯をいしばる男やら闇の中にうずくまる女やら、見ているだけで不安にかられてきそうなほどおどろおどろしい図案ばかり。なんと、笑顔の絵柄が登場するのはようやく90年代になってからである。どうやら、薬が効いて楽になった状態を描いてもいいのかも、とアメリカ人もやっと気づいたらしい。 さて、同じようなサイトの日版ができないものかと思い、医学図書館にあった古い精神医学雑誌をぱらぱらとめくっては、薬の広告(薬ではないものもあるが)を集め