関東大震災(1923年9月1日)と1924年1月の2度の大地震の際に小出川沿いの水田から7本の木柱が出現した。その後の発掘により地中になお3本あるのが発見された。沼田頼輔博士は1924年1月20日に現地を訪れ、地上に現れた7本のほかに、地面が盛り上がった2カ所があるのを見て、土中を竿でつついて調査した[4]。沼田は『吾妻鏡』に基づいて鎌倉時代の相模川の橋脚と考証し、源頼朝の家臣であった稲毛重成が亡き妻(頼朝の妻であった北条政子の妹)の供養のために相模川に架けた大橋であると鑑定した。中世橋梁遺構として高く評価されている。 大正15年(1926年)10月20日に国の史跡に指定された[1]。 近くに工場用地を所有していた武藤工業(現:MUTOHホールディングス)は1965年に費用を負担して池を改修したほか、地元の青年団もこの頃、防腐剤を塗るなどのボランティアで保護活動を行なった[4]。 関東大震