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  • 如来蔵思想 (広済寺ホームページ)

    如来蔵思想の成立 如来蔵思想は2~3世紀頃にインドで成立した大乗仏教の思想の一つであり。『阿弥陀経』『般若経(初期)』『法華経』などの初期大乗仏教に対して、こちらは中期大乗仏教と分類される。 初期大乗を『般若経』の空をもとに体系化したのは中観仏教の龍樹(150-250年頃)である。その龍樹と同じころに如来蔵思想が成立した。 如来蔵思想とは 如来蔵の原語(サンスクリット)は tathagata-garbha で 如来を胎児として宿すもの という意味である。すべての衆生は如来を胎児として蔵(やど)しているという主張である。 如来蔵思想は『如来蔵経』に始まり『不増不減経』『勝鬘経』によって継承され、『宝性論』にいたって組織体系化されたとされる。また、大乗の『涅槃経』では如来蔵を仏性ということばで表現し、その「一切衆生悉有仏性」の経文は有名。 これらの思想は、後の密教の成立に大いに寄与し、また中国

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    sessendo 2022/10/26
  • 法華経の成立 (広済寺ホームページ)

    法華経の成立した時代 法華経は初期(第一期)大乗仏教の時代に成立した経典であると仏教学者は考えている。初期大乗でも、阿弥陀経、般若経(小品系)の次に成立した。法華経が成立した時代は紀元50年から150年あたりにかけて成立したと考えられるそうだ。 竺法護が『正法華経』を漢訳したのが、286年である。それ以前には中国あるいは中国西域(シルクロード)に法華経が伝わっていたと考えられる。 法華経の成立した場所 法華経がインド圏で成立したことは論を待たないであろう。サンスクリットの写が、ガンダーラ、ネパール、中央アジアで多数発見されているし、インド圏の論書に法華経の引用もある。 ただ、インドのどこで成立したかについては、インドのカースト制度の及ばない辺境地域ということが言われることがある。その理由として『妙法蓮華経信解品第四』の「長者窮子の喩」がとりあげられる。窮子がトイレ掃除から始まり、財産の管

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    sessendo 2017/05/14
  • 原始仏教 (広済寺ホームページ)

    原始仏教とは 原始仏教はお釈迦様が入滅されてから約100年くらいまでの、部派に分裂する前の仏教をいいます。 原始仏教の意義 ともかく、現在の仏教は無数の宗旨に分かれています。それぞれが違う主張をしていてどれが当なの?という疑問は古来多くの人々が感じてきたことです。たとえ同じ宗旨でも、歴代の先哲によって違う主張がなされたり、宗旨内で異見があったりするのは現在も昔もかわりありません。漢訳されたときの翻訳の誤差もあるでしょう。そのなかで、来お釈迦様はどのようのことを説かれたのかということを探るには、原始仏教の研究は欠かせません。現在に伝えられている経典のなかで最古層のものは何か、そこに説かれていることは何なのかを探ることで、お釈迦様在世から入滅直後の仏教を推察することができます。 原始仏教経典に比して、後の部派仏教(小乗)や、龍樹以後の大乗仏教は、煩瑣で難解なものとなり、碩学の専門家による碩

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    sessendo 2016/06/07
    原始仏教とは。
  • 日蓮 (タイトル)

    ●中古天台覚思想と日蓮聖人 「覚」「無作」という言葉は中古天台覚思想を語るうえで不可欠な用語である。しかし、日蓮聖人の御妙判(御遺文)を検索してみると次の事実が明らかとなる。 ・「覚」「無作」といった用語が使われている御妙判は、真跡や真跡曽存といった信頼しうるものが皆無に等しい。 ・「覚」「無作」といった用語のある御妙判には、偽書やその疑いのある不確かなものが多い。 ・「覚」「無作」といった用語は『如来滅後五五百歳始観心尊抄』『開目鈔』『立正安国論』『撰時抄』『報恩抄』といった、日蓮聖人の「三大部」や「五大部」といわれる代表作には出現しない。 これは日蓮聖人における中古天台覚思想を考察する上で大きな手掛りとなろう。下記の表を参照して頂きたい。 日蓮聖人御妙判にみる覚論用語出現数

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    sessendo 2016/05/09
  • 中国仏教 (広済寺ホームページ)

    地理的文化的障壁 インドから中国に仏教が伝わるときに二つのおおきな障壁がある。 その一つは地理的な障壁で、インドと中国の間にはヒマラヤ山脈とチベット高原という大きな山脈と、容易に踏破できない距離がある。シルクロードを経由しても、カラコルム山脈やタクラマカン砂漠、ゴビ砂漠が障壁となる。 もう一つは文化的な障壁である。両地域は太古から高度な文明が栄えた先進地域であり、独自の思想や文化が発展していた。特に中国中華思想というプライドを持っていた。東夷、西戎、南蛮、北狄などと周辺諸国をよんだ国である。 そんな中国に他国の宗教であり思想である仏教が伝来し受容されたことは、仏教の普遍性と素晴らしさの証左であるだけでなく、奇跡的なことではないだろうか。 仏法東漸 ともかく、仏教が中国に伝来したのは西暦紀元前後である。 伝播した経路は、ガンダーラ(現在のパキスタンやアフガニスタン)からカラコルム山脈を越え

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    sessendo 2013/05/07
    中国仏教 (広済寺ホームページ)
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