2016年6月7日のブックマーク (10件)

  • 強引な新聞の勧誘に気をつけよう |関東経済産業局

    4月は進学や就職または転勤などで新しい生活がスタートするタイミングです。それに伴い新聞購読契約の相談も多く寄せられます。 今回は、強引な新聞の勧誘や新聞購読契約に関するトラブルについていくつか事例を紹介し、その対処法などをご紹介したいと思います。 【事例1】〈事業者名を名乗らない勧誘員〉 最近一人暮らしをはじめた。郵便局からの荷物を受け取るため自宅で待機していた。インターフォンが鳴ったので、「郵便局ですか」と訊くと、相手が「そうだ」と言ったので玄関先に出た。しかし、相手は郵便局でなく新聞の勧誘員であった。勧誘員は「最初の一ヶ月は無料にする。A新聞を3ヶ月購読しないか」と勧誘をしてきた。「A新聞は読まない」と言うと、「A新聞が嫌なら、B新聞でも、C新聞でも良い。どれか取らないか」と更に勧誘を続け、なかなか帰ってくれなかった。販売店に文句を言いたいが、身分証の提示がなかったのでどこの事業者であ

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    sessendo 2016/06/07
  • 野田俊作の補正項 2014/11/12

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    三枝充悳『初期仏教の思想』(レグルス文庫)
  • (152)「経」 織機にかけ渡した縦糸

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  • http://nehan.net/buddha-dharma/bukkyounyuumon3.pdf

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    最古層の経典の変遷 スッタニパータからサムユッタニカーヤへ/石手寺 加藤俊生
  • 『仏教の根本はどこにあるのか・初期仏教後の第六古層・サムユッタ・ニカーヤ5-12-11より苦楽中道』

    仏教の基は四諦(四つの真理・苦・集・滅・道)が通説だが、それ以前にも多くの経典が存在し、釈尊の実話はその部分に書かれる。 ①スッタパータの4章⑮は釈尊の生身の声(最古層) ↓ ②スッタパータの4章のその他の経は、直弟子の声(第二層) ↓ ③スッタパータの5章は、仏滅後の弟子の声(第三層) ↓ ④サムユッタ・ニカーヤの偈を有する有偈章やテーラーテーリー偈は多くの初期の弟子の声(第四層) ↓ ⑤それ以後の経典は、以上の生の声が整理されてできた経典(第五層以降) ↓ ⑥有部仏教・大乗経典・この後、これらは平行して説かれていった ↓ ⑦密教経典・阿弥陀経典・禅経典 相当雑であるが、このようになるであろうか。 面白いのは、どう考えても①②③は①→②→③であり、この順はまず間違いなく、④は釈尊在世のものが含まれると思われるから成立は遅いが、内容は早いものがある。①②③の内容は差異があり、時代を考えざ

    『仏教の根本はどこにあるのか・初期仏教後の第六古層・サムユッタ・ニカーヤ5-12-11より苦楽中道』
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  • 原始仏教 (広済寺ホームページ)

    原始仏教とは 原始仏教はお釈迦様が入滅されてから約100年くらいまでの、部派に分裂する前の仏教をいいます。 原始仏教の意義 ともかく、現在の仏教は無数の宗旨に分かれています。それぞれが違う主張をしていてどれが当なの?という疑問は古来多くの人々が感じてきたことです。たとえ同じ宗旨でも、歴代の先哲によって違う主張がなされたり、宗旨内で異見があったりするのは現在も昔もかわりありません。漢訳されたときの翻訳の誤差もあるでしょう。そのなかで、来お釈迦様はどのようのことを説かれたのかということを探るには、原始仏教の研究は欠かせません。現在に伝えられている経典のなかで最古層のものは何か、そこに説かれていることは何なのかを探ることで、お釈迦様在世から入滅直後の仏教を推察することができます。 原始仏教経典に比して、後の部派仏教(小乗)や、龍樹以後の大乗仏教は、煩瑣で難解なものとなり、碩学の専門家による碩

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    原始仏教とは。
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  • Forum21: 特集/竹入元委員長提訴と創価学会の歴史偽造

    「創共協定」壊しをめぐる新手の歴史偽造 誌編集部 竹入氏に「協定壊し」の責任を押しつける 竹入バッシングを利用する形で、創価学会による新手の歴史偽造が始まった。1974年12月の「創共協定」をめぐる事実の改竄である。「創価新報」5月17日付「青年部座談会」。「竹入(義勝・元公明党委員長)は共産党恐怖症だった」「『創共協定』にも嫉妬の難癖」の見出しで、こう述べている。 「昭和49年12月のことだ。作家の松清張氏の仲介で、池田名誉会長と共産党の宮議長(当時)が会談した」 「池田先生は『共産党との間に無用の摩擦を生じ、選挙のたびに学会員を過度の政争の手段にしてはならない』と判断され、率直に話し合われたんだ」 「当時、心ある識者はみな、絶賛していた」 「協定には『宗教と共産主義の共存』という文明史的な意義があった」 「ところが竹入など、協定を結んだ意義も、時代の流れも、まったく理解

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  • 日記:必要だから使うけれどもそれは捏造(フィクション)なのだと自覚して使うべきよ。あるいは。そんな捏造は必要ないかもしれない、という自覚。 - ujikenorio’s blog

    - −−隠喩の浄化というと、隠喩を排除することですか? そうとも言える。あるいは、隠喩に対する極度の懐疑とも言える。考えることによって隠喩はとても重要だけど、それを使うにあたっては信用しきってはならない。必要だから使うけれどもそれは捏造(フィクション)なのだと自覚して使うべきよ。あるいは。そんな捏造は必要ないかもしれない、という自覚。なんらかの暗在的な隠喩をいっさいもたない考えなんてあるのか。それは想像つかないけれど、隠喩でなりたっている考えがあることは事実で、すなわち、その考えには限界があるということなのよね。私がつねに魅了される言説はこのような懐疑を表明しているものだし、また、隠喩のさらに向こう側まで行って汚れなく透明な域に達するもの、つまり、バルトの言葉を使えば、零度の次元において書かれたもの。もちろん、まったく逆の方向へ行くこともできる、ジェイムズ・ジョイスのように。で、言語にでき

    日記:必要だから使うけれどもそれは捏造(フィクション)なのだと自覚して使うべきよ。あるいは。そんな捏造は必要ないかもしれない、という自覚。 - ujikenorio’s blog
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  • 鎌倉史跡碑事典 (日蓮上人祈雨旧跡)

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