「後継ぎは優秀な人間がいい」とは限らない…徳川家康が「凡庸な三男・秀忠」を二代将軍に選んだ深い理由 凡庸だったからこそ、家康の統治を真似できた 常日頃から教訓を垂れていた家康 幸いなことに家康は、大の教え好きであった。重臣たちにはことあるごとに、政治のあり方について諭していた。たとえば、「徳川四天王」として有名な本多忠勝は、主君に教えてもらったことを子孫に書き残している。その『本多平八郎忠勝聞書』を意訳して紹介しよう。 「私は、若年から家康公のお側に仕え、幸い気に入られてずっと勤めていたので、まったく学問をする暇がなかった。ただ、文盲であるけれど、不断に主君の金言を聞いてきた。だから家を整え、国を治めることは、少しは心得ているつもりだ」 そう述べ、家康の教訓を次のように書き留めている。 「家康公は、人は天道(天地自然の摂理で至高の存在)に従って生きることが大事だとおっしゃった。天道は、われ
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