ブックマーク / blog.szk.cc (13)

  • 2021年の音楽を振り返る

    再開されたからこその苦しみ 2021年も、昨年に引き続きコロナに翻弄された音楽業界だったと思う。昨年よりはリリースも増えたものの、多くの曲の歌詞に「延期」や「中止」といった言葉が直接的、比喩的に盛り込まれ、リスナーに届けるエンターテイメントというよりも、アーティスト、あるいは業界全体の苦しみを共有したいという思いがあちこちで見られた。 実際、去年よりは今年の方が苦しかったという印象はぬぐえない。ライブは再開され、大規模イベントも、様々な制約の中で開催されるようになった。だがそうやってボールが主催者、アーティスト側に投げられたことで「どこまでが許されるのか」を考えることも、彼らの役割になったのだ。緊急事態、自宅療養、アーティストへの感染などの話題が続き、「ギリギリまで悩んだのですが」というツイートを何度も目にした。何年も好きだったアーティストが、何組も活動を休止した。 だからこそ、というわけ

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    shiba-710 2022/01/01
  • 日常化された欲望

    44歳の誕生日を、こんな形で迎えることになるとは思ってもみなかった。 もともと誕生日を祝いたいタイプではないし、歳を重ねるごとに、人生の残りの蝋燭が目減りしているのを自覚しようという日になりがちだった。それが今年は、死を覚悟し、もしも当にそうなったら、ということを想定しながら生活し、働いている。たとえばそれは「万一、学期の途中で授業を続行することができなくなったら」という想定で、科目の設計を行っているなんてこと。 世の中の多くの人が、修羅場というか鉄火場というか、そういう状況に直面している。今年は学部執行部のメンバーでもあるので、ほんとうに深夜まで多数の連絡が飛び交い、ものすごい速さで色んなことが変化し、判断され、実行されている。ベンチャー時代を思い出すというか、むしろスタートアップに放り込まれたと思って行動するのが、もっとも理にかなっているとすら思う。 「ハイテンションな自己啓発」とい

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    shiba-710 2020/04/23
  • 「傷ついた人たち」の自己受容 « SOUL for SALE

    オンラインにあふれかえる悲鳴 2018年も、そろそろ振り返りの時期に入った。今年後半はブログも書かずに、なんならネットも見ないで過ごしていたせいで、すっかり世相からは離れてしまった感があるのだけれど、その背景には、オンラインで白熱する議論や対立に、心苦しいものを感じてしまったからだと思う。 政権に対する批判であれ、ヘイトスピーチへの糾弾であれ、あるいはジェンダーを巡る意見や立場の対立であれ、内容としては考えさせられることや、勉強になる部分は多い。それはある面では、ヒートアップしたり炎上したりしたそれぞれの言論の主たる作用なのだと思う。でも、そこで大きな声を上げる人たちの「言い分」の方に、僕の意識は引っ張られてしまった。みな、「私はその言論によって傷ついた」ということを主張したり暗に示唆したりしている、そんな風に見える。私を分かってほしい、という悲鳴のような感情に、冷静な「議論」の仮面が被せ

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    shiba-710 2018/12/18
  • 「みんなで盛り上がる」音楽 « SOUL for SALE

    Image from Unsplash 始まる前にはいろいろと議論のあったサッカーW杯。蓋を開けてみれば、学生たちは寝不足になりつつも試合に見入っていたようだし、内容的にもポジティブな話題が多かったように思う。僕に関して言えば今回、開会前後に複数のメディアから「また若者は渋谷で盛り上がりますか」という内容の取材依頼をいただいたのだけれど、ごく初期のものと、知人の番組を除いてすべての取材をお断りした。理由のほとんどは「スケジュールが合わないから」ということだけれど、そもそも東京に住んでいるわけでもなく、またサッカーの専門家というわけでもないので、よほど自分の専門に寄せた話ができるのでなければ、的はずれなことしか言わないだろうと思ったのもある。あとテレビに関しては、発言の内容と自分の見た目が重ね合わせられて誤解を生みそうだなあと思ったとかも。 それなりに考えていることはあった。大きな動向として

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    shiba-710 2018/07/05
  • 選択肢を理解する――経産省、若手・次官プロジェクト資料について

    5月20日に公開された、経産省の「次官・若手プロジェクト」なるチームがまとめた「不安な個人、立ちすくむ国家 ~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~」という資料が話題だ。最初にウェブで見かけた反応は好意的なものだったが、次第に反論・批判・不満が噴出するようになっている。そのうち、「言い古されたことばかり」「パワーポイントがインチキ臭い」といった具体的でない批判を除くと、その中でも興味深かったのは以下の議論だろうか。 経産省「次官・若手ペーパー」に対する元同僚からの応答 – HIROKIM BLOG / 望月優大の日記 「時代遅れのエリートが作ったゴミ」発言者に訊く!若手経産官僚のペーパーに感じた違和感とは。 | 一般社団法人ユースデモクラシー推進機構 経産省「次官・若手ペーパー」に対するある一つの「擬似的な批判」をめぐって – HIROKIM BLOG / 望月優大の日記 一連の流れのよ

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    shiba-710 2017/05/23
  • 2016年の音楽を偏った形で振り返る

    あちこちで言及してきたように、今年はひたすらライブハウス通いを続けた1年だった。ワンマンライブをできるかどうかギリギリというレベルのバンドをたくさん追いかけ、若い女性が中心のお客さんに混じって拳を上げ、イベントライブ後の物販に並ぶメンバーとお話をするなんて、40過ぎてやることかと言われると恥ずかしいけど、いままでもそうだったように、自分がやってみたいと思ったことは、ゼロの気持ちで、そこに来ている人と同じ感覚で参加してみたいので、結果的にライブハウスに行き始めたばかりの高校生みたいなことばかりしてたかもしれない。 とはいえ、そうやって同じ目線で参加してみて、ああこういうことかと分かることもたくさんある。そのすべてを体系的に説明することはできないけど、たとえば今のシーンでソーシャルメディアがどう使われているかとか、関東と関西では微妙にウケている曲の傾向に差があるとか、それらが組み合わさって地方

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    shiba-710 2016/12/31
    鈴木謙介さんによる、Halo at 四畳半、The Cheserasera、PELICAN FANCLUB、ハルカトミユキの的確かつ愛情深い批評。
  • 体感消費とは何か

    消費というものに着目したときに、この数年の間に起きている現象はとても興味深いものが多い。一方に目をやれば訪日外国人の旺盛な消費意欲やハロウィンなどのイベント消費があり、他方では「若者の消費離れ」だとか「ミニマリスト」のように、消費しないことが現代の特徴に挙がる場合もある。もちろんどちらも現代のいち側面を表しているのだろうけれど、消費するにせよしないにせよ、その背後にどのようなメカニズムがあるのかは、あまり取り上げられることがない。 自分自身はこの数年、消費社会論を軸にしながらテーマパークやショッピングセンター、観光、といった対象を扱ってきた。こうした消費は、近年「コト消費」などと呼ばれ、モノの消費ではなくて体験が消費価値の中心になっていると言われている。僕としてはその背景に、ネットで情報があふれるようになったことで、行かないと分からない、体験しないと分からないことを消費するマインドが顕在

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    shiba-710 2016/12/29
  • すきなら、すきと

    ここ数日、右から左から同じ話の朗読が聞こえてきて、そのたびに泣いている。自分で読んでも泣いちゃうけど。 初めてこのお話を聞かされたのは高校生の頃で、そのときもデート中のファーストフードで泣いてしまったのだった。でも考えてみれば自分の児童書との出会いは、おそらく親の関心もあって、自立だったり、あるいは人は死して残るものの方に価値があり、最期は一人で旅立つほかないものなのだという死生観、言い換えれば「残る側」ではなく「残す側」としてどう生きるかというものが多かったように思う。『ぼくを探しに』とかも、僕にとってはそっちだなあ。 こうした「縮約的問題設定」(個別の出来事には、それを超えた大きな意味がある)による世界解釈は、他者を巻き込むとすぐ「大義のために死ぬ」ことをよしとする社会、もっと小さなレベルではブラック労働を呼び出す(参照)ので、なるたけ自分以外には適用しないようにつとめているのだけど、

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    shiba-710 2016/12/25
  • 『君の名は。』と「蝶々結び」――結びの物語

    これまでも新海作品には触れてきたし、そこで描かれる作品構造についてもいろいろと考えてきた自分としては、『君の名は。』が事前評判通りに大ヒットしていると聞いては見ないわけにいかないだろうということで、公開二週目の週末に鑑賞してきた。梅田の映画館は満席で、上映後にはあちこちからすすり泣きの声が聴こえるという状態。数字という面だけでなく、質的にも大ヒットと言っていいだろう。 僕の中で新海誠の作品は、いつも「セカイ系」という名前でくくられていたように思う。あえて雑な見方を提示するなら、ここで「セカイ系」は、「きみとぼくの物語が世界の危機に直結されており、二人の関係が成就することで世界もまた救われる」という構造を持つ一連の作品を指す。また、そうしたミクロなセカイの幸せがマクロな世界を救うという楽観的な発想も、ときに批判の対象となる。そこで新海作品は、『ほしのこえ』がそうであったように「設定としてあり

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    shiba-710 2016/09/04
    “瀧と三葉の二人が出会えた理由は「ふたりがともに同じだけの力で出会おうとしたから」”
  • 希望の時代の中で―『シン・ゴジラ』雑感

    少なくとも周囲では話題だし、期待もしていたのでさっそく『シン・ゴジラ』を鑑賞してきた。「館長庵野秀明 特撮博物館」にも何度か足を運び、「巨神兵東京に現わる」を会場で何度もリピートした経験があったからか、この映画を通してしたかったこと、撮りたかった絵に対する切実さがすごく伝わるものだった。たぶんあのカットやこのカットがスクリーンに投影されていれば満足という向きもあると思うので「考察」みたいな無粋な真似はするべきじゃないと思うのだけど、他方で真面目に「社会派映画」として見る向きがあることも確かなので、その点も含めややネタバレを含む感想を。注意しておくとストーリーなどの詳細な解説はしないので、見に行くかどうか迷ってこの記事にたどり着いた人には、未見の人はマジで劇場に足を運んだ方がいいと思うってことは伝えておきたい。 さて、作品を見ながら真っ先に思い出していたのは『パトレイバー the Movie

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    shiba-710 2016/08/02
  • 神と天才とユートピア 第二部 パフォーマティブ労働の時代 (1)底辺の競争

    痛ましい事件が起きると、僕らの心はひどく動揺する。自分の目の前で起きたことならもちろん、メディアで報じられる事件、事故、災害といったニュースにも僕らはこころをかき乱され、現場に花を手向けたり、少しでも何かの役に立てばと寄付をしたりする。それじたいは単なる僕らの心理の問題でしかない。行動経済学においてはこうしたメカニズムを、いわゆる経済学的な「合理性」に対して、僕たちの「非合理」なマインドの特性として扱うらしいのだけど、社会学という学問においてはもう100年以上、それが人の中でどのような合理性を伴った行動なのかということを論じてきたわけで、殊更に目新しい話のようには思えない(もちろん、それが実験によって検証されているということが新しいのだが)。 さて、そういう社会学的な立場からすると、悲惨な事件に対してあれやこれやとウェブ上で「論じる」という行為も、その内容以前に、事件による動揺を鎮め、「

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    shiba-710 2016/05/23
  • 反抗なきロックの時代

    若い時分、僕の周囲にはロックミュージシャンしかいなかった。アマチュアからベテランまでたくさんの人たちと関わって、たとえば「ミュージシャン」と「芸能人」の間にある微妙な差だとか、フリーランスの演奏家として生きていく彼らの職業意識だとか、そういうものを学ばせてもらっていた。概して彼らは低姿勢だったけど時によっては「ロック」な立ち居振る舞いで、彼らの語る70年代や80年代の武勇伝を聞きながら、さすがにビール瓶で頭を殴られて流血こそしなかったものの、これでも時代はマシになった方なのだろうな、と感じていたものだ。 いいとか悪いとかの話ではなく、それはある環境が生み出した生き方だったのだと思う。そして、産業化され、大きな市場になっていた90年代の音楽シーンにおいては、衝動的な自己表現が溢れた結果としてのロックの居場所は、かつてよりは小さくなっていた。「マス」という存在を意識できる演奏家たちは、その変化

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    shiba-710 2016/01/27
  • 2014年の音楽を振り返る

    毎年恒例の年間音楽レビュー。今年は音楽的にはとても充実した一年で、新曲だけでも200曲くらい聴いたのだけど、通観してみるとやはり「2014年」という共通の何かが見えてくるわけで、毎年やってることとはいえ、今年はいつもより多めに振り返りをやってみたいと思う。

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    shiba-710 2014/12/29
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