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岩崎弥太郎に関するshibayan1954のブックマーク (2)

  • 貧家に生まれた岩崎彌太郎が三菱財閥を創業した経緯

    「スリーダイヤ」の三菱のマークを知らない日人はほとんどいないと思うのだが、戦後GHQが財閥解体を行うまでは、三井財閥・三菱財閥・住友財閥は三大財閥と呼ばれていた。 三大財閥のうち三井、住友の両家はそれぞれ300年以上の商家としての歴史があり富の蓄積があるのに対し、三菱は明治期の動乱期に、創業者の岩崎彌太郎が政商として巨万の利益を得てその礎を築いたとされる。 三菱グループのホームページに『岩崎彌太郎物語』があり、そこには「土佐国、井ノ口村。貧しい村の貧しい家に生まれた。明治維新まで33年、1835(天保5)年のことである。」とある。 https://www.mitsubishi.com/j/history/series/yataro/yataro01.html 教科書などでは「海運事業は政府の保護のもとに、岩崎彌太郎の創立した三菱会社を中心に発達した。」(『もういちど読む 山川日史』p.

    貧家に生まれた岩崎彌太郎が三菱財閥を創業した経緯
    shibayan1954
    shibayan1954 2018/01/29
    三井、住友はそれぞれ3百年以上の歴史があり富の蓄積があるのに対し、三菱は明治期の動乱期に創業者の岩崎彌太郎が政商として巨万の利益を得てその礎を築いたが、なぜ貧家に生まれた岩崎にそれが可能であったのか。
  • 坂本龍馬の暗殺は誰がやったのか ~~その2

    前回は、坂龍馬暗殺の実行犯が京都見廻組の可能性が高いことと、黒幕がいるとする諸説の中で薩摩藩黒幕説について書いた。今回は別の黒幕説を書こう。 龍馬の出身である土佐藩にも、黒幕とされている人物がいる。良く名前が出てくるのは後藤象二郎だ。 大政奉還のアイデアは龍馬のものであることは今では多くの人が知っているが、当時土佐藩参政であった後藤象二郎は、龍馬が発案した策をそのまま受け入れて、藩主山内容堂の承認を得た後、慶応3年10月3日に、徳川慶喜公に進言した。1カ月後に土佐に戻り、山内容堂から破格の賞与を授かり家老格に抜擢されるのだが、当時は大政奉還の発案は後藤によるものと考えられており、龍馬によるものであることを知る人は少数であったらしいのだ。 後藤象二郎説は、龍馬のアイデアのパクリが山内容堂公らに発覚するのを恐れて龍馬を暗殺したという話なのだが、もしそのことが理由ならば、龍馬の発案であることを

    坂本龍馬の暗殺は誰がやったのか ~~その2
    shibayan1954
    shibayan1954 2017/11/04
    政治的な動機や個人的な動機ではなく、経済的動機で龍馬が殺されたと考える説もある。龍馬が暗殺されて巨額の富を手にした人物が臭いという考え方である。 「いろは丸」事件で巨富を手に入れたのは誰か。
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