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2018年1月29日のブックマーク (6件)

  • 日露戦争後に朝鮮半島を訪れた荒川五郎の『最近朝鮮事情』を読む

    前回の記事で、この時期に朝鮮半島を訪れたイザベラ・バードが、この国には内部からみずからを改革する能力がなく、外部からの改革が必要であると書いたことや、米国も英国も日露戦争の後で韓国に関与するつもりはなく、日が保護国とすることを希望していたことを書いた。 ではこの時期に朝鮮半島を訪れた日人の記録はないのだろうかと思って探してみると、当時衆議院議員であった荒川五郎氏が朝鮮半島を訪れてレポートした、『最近朝鮮事情』というが明治39年(1906)5月に出版されていることがわかった。 Kindle版も出ているが『国会図書館デジタルコレクション』に公開されているので、PCやタブレットがあれば誰でも無料で全文を読むことが可能だ。このに書かれている韓国の状況を現在と比較すると、この国が今も基的に変わっていないと思うところがあって興味深い。 http://dl.ndl.go.jp/info:ndl

    日露戦争後に朝鮮半島を訪れた荒川五郎の『最近朝鮮事情』を読む
    shibayan1954
    shibayan1954 2018/01/29
    「彼等の事大根性というも、別に根底のある根性でも無く、ただ大国に頼って居れば自分の地位が安全であると云う所から、その時々の勢力ある、自分の都合のよいような方に頼るので、一定した主義では無い。」
  • 日露戦争の頃から日本軍に好意を示した韓国民衆がかなり存在した

    前回の記事で、わが国が日清戦争で勝利して清国勢力を朝鮮半島から追い出すと、今度はロシアが介入してきたのでわが国は日露戦争を戦って勝利し、ロシア勢力を朝鮮半島から排除したことを書いた。わが国は韓国を近代化させるために保護国化したのだが、その点について、アメリカやイギリスは干渉しなかったことは重要なポイントである。もしこのような大国の干渉があれば、今までと同様にこの国は強いと思った国に靡いていたことであろう。 日露戦争中の明治38年(1905)8月12日に、わが国はイギリスとの間で第二回日英同盟協約が締結されているが、その第三条で明確にイギリスはわが国の朝鮮半島保護国化をいち早く承認した。文中の「大不列顛國」とは、グレート・ブリテン国、すなわち英国のことである。 「第三條 日國ハ韓國ニ於テ政事上、軍事上及經濟上ノ卓絶ナル利益ヲ有スルヲ以テ大不列顛國ハ日國カ該利益ヲ擁護増進セムカ爲正當且必

    日露戦争の頃から日本軍に好意を示した韓国民衆がかなり存在した
    shibayan1954
    shibayan1954 2018/01/29
    わが国が日清・日露戦争で勝利し、ロシア勢力を朝鮮半島から排除したしたのち、わが国は韓国を近代化させるために保護国化したのだが、その点について英米両国ともこの国には関心がなく、わが国に干渉しなかった。
  • わが国はどういう経緯で朝鮮半島を統治することになったのか

    前回の記事で、第二次大戦後に韓国が、朝鮮半島に残したわが国の資産を没収したうえで巨額の賠償金を得ることを可能にするためには、わが国の統治がよほど酷かったという歴史を描いて交渉するしかなかったということを書いた。韓国は、戦勝国が描いた「日だけが悪かったとする歴史」に飛び付いたのだが、わが国を貶める目的で描かれた歴史叙述の殆んどは虚偽であり、鵜呑みすべきでないことは言うまでもない。 では実際の歴史はどうであったのかを振り返ることにしたい。 韓国では明治43年(1910)からはじまる日の朝鮮総督府時代のことを「日帝三十六年」と呼び、「韓国が有史以来、独立を失ったのは、後にも先にも日帝三十六年の時代だけで、それ以前はずっと独立・主権国家である」とよく主張するのだが、真実の歴史は李氏朝鮮は中国(清国)の属国にすぎず、独立国と呼べるものではなかった。 以前このブログで日清戦争のことを書いたのでこの

    わが国はどういう経緯で朝鮮半島を統治することになったのか
    shibayan1954
    shibayan1954 2018/01/29
    1904年2月9日の日露戦争の仁川沖海戦で日本が勝利すると韓国は親日に一変して、2月23日に日韓議定書を締結。そのおかげで我国は朝鮮半島から満州へ軍を進めることが可能となり、日露戦争勝利の大きな要因となった。
  • なぜ韓国はいつまでたっても「反日」をやめられないのか

    前回の記事でわが国政府や民間企業が、朝鮮半島の近代化のために莫大な投資を行ってきたことを書いた。そして敗戦後、わが国はこれらの投資に対する一切の請求権を放棄させられた上に巨額の資金支援を要求されることになったのだが、普通に考えれば、戦勝国でもない韓国がわが国に対して賠償請求できるとは思えないし、また、わが国が朝鮮半島に残した資産の対価を一切請求できないということもおかしなことである。 わが国では、両国の交渉経緯についてはあまり知らされていない現状にあるのだが、その経緯に触れる前に、わが国と民間企業が朝鮮半島にどれくらい投資したのかをまとめておこう。 【日統治前のソウル 東大門通り】 次のURLに、GHQ資料などを基に産経新聞が試算した、昭和20年8月15日時点でわが国が朝鮮半島に残した資産の推定値が出ている。この記事ではこの記事では891.2億円で、平成13年時点での現在価値として16兆

    なぜ韓国はいつまでたっても「反日」をやめられないのか
    shibayan1954
    shibayan1954 2018/01/29
    1950年の韓国の歳入規模は1ドルが360円として19億円程度。終戦時にわが国の朝鮮半島に残した資産が891.2億円程度あり、韓国はこの歳入規模では資産の対価ところか金利も支払えないことは明らかであった。
  • 日本統治時代に近代国家に生まれ変わった韓国

    日露戦争ロシアに勝利した5年後の明治43年(1910)にわが国は韓国を併合したのだが、この経緯について一般的な教科書である『もういちど読む 山川の日史』にはこのように記されている。 「日露戦争のおわりごろ、三民主義をとなえる孫文を指導者として、清朝打倒の革命をめざす中国同盟会が東京で発足したことに象徴されるように、それはアジアの民族運動の高まりに大きな影響をおよぼした。 しかし日は、列強の植民地政策をまねて、東アジアにおいて勢力拡大をはかった。日露戦争中から戦後にかけて、3次にわたる日韓協約をむすんだ日は、韓国を保護国として統監をおき、韓国の外交・内政・軍事の実権をつぎつぎと手中におさめていった。 韓国では、韓国軍の解放に反対して義兵運動を展開するなどはげしく日に抵抗したが、日は軍隊を出動させて鎮圧した。1909(明治42)年には、前韓国総監伊藤博文がハルビンで韓国の民族運動家

    日本統治時代に近代国家に生まれ変わった韓国
    shibayan1954
    shibayan1954 2018/01/29
    次のURLに当時の李氏朝鮮の写真が紹介されているが、このいくつかを見ればこの国がいかに貧しく、日韓併合後に近代都市に生まれ変わったことを瞬時に理解できる。 http://www.geocities.jp/hiromiyuki1002/cyousenrekishi.html
  • 貧家に生まれた岩崎彌太郎が三菱財閥を創業した経緯

    「スリーダイヤ」の三菱のマークを知らない日人はほとんどいないと思うのだが、戦後GHQが財閥解体を行うまでは、三井財閥・三菱財閥・住友財閥は三大財閥と呼ばれていた。 三大財閥のうち三井、住友の両家はそれぞれ300年以上の商家としての歴史があり富の蓄積があるのに対し、三菱は明治期の動乱期に、創業者の岩崎彌太郎が政商として巨万の利益を得てその礎を築いたとされる。 三菱グループのホームページに『岩崎彌太郎物語』があり、そこには「土佐国、井ノ口村。貧しい村の貧しい家に生まれた。明治維新まで33年、1835(天保5)年のことである。」とある。 https://www.mitsubishi.com/j/history/series/yataro/yataro01.html 教科書などでは「海運事業は政府の保護のもとに、岩崎彌太郎の創立した三菱会社を中心に発達した。」(『もういちど読む 山川日史』p.

    貧家に生まれた岩崎彌太郎が三菱財閥を創業した経緯
    shibayan1954
    shibayan1954 2018/01/29
    三井、住友はそれぞれ3百年以上の歴史があり富の蓄積があるのに対し、三菱は明治期の動乱期に創業者の岩崎彌太郎が政商として巨万の利益を得てその礎を築いたが、なぜ貧家に生まれた岩崎にそれが可能であったのか。