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2017年11月7日のブックマーク (4件)

  • 軍部が情報を握りつぶした「昭和東南海地震」

    真珠湾の奇襲攻撃に成功してからほぼ3年が経過した昭和19年(1944)12月7日午後1時36分に、M7.9の巨大地震が起っている。地震の震源は和歌山県新宮市付近で、断層の破壊は北東方向に進んで浜名湖付近まで達したという。 内閣府『防災情報のページ』にはこう記されている。 「…海洋プレートの沈み込みに伴い発生したマグニチュード7.9の地震で、授業・勤務時間帯に重なったこともあり、学校や軍需工場等を中心に死者1,223人の被害が発生した。…震度6弱相当以上となった範囲は、三重県から静岡県の御前崎までの沿岸域の一部にまで及び、津波は伊豆半島から紀伊半島までを襲った。」 http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1944-tounankaiJISHIN/ 三重県津市や四日市市、静岡県御前崎市、長野県諏訪市で震度6を記録し、

    軍部が情報を握りつぶした「昭和東南海地震」
    shibayan1954
    shibayan1954 2017/11/07
    昭和19年(1944)12月7日の昼過ぎに、和歌山県新宮市付近を震源とするM7.9の巨大地震(昭和東南海地震)が起こり、死者1,223人の被害が出たのだが、戦意高揚に逆行するためこの地震の情報を軍部が握りつぶしている。
  • 『明暦の大火』の火元の謎を追う

    明暦3年1月18日(1657年3月2日)から1月20日(3月4日)にかけて、猛烈な火が江戸を襲い、江戸市街の約6割が焼け、特に江戸開府以来の古い市街地はほぼすべてが焼失し、焼死者が十万人余を数えたという大火災が発生した。世に言う「明暦の大火」である。 この大火の様子が『むさしあぶみ』という当時の書物に詳細に記載されている。 作家隆慶太郎氏が、自らの歴史小説で参考にした史料をHPの「文献資料室」で公開しておられて、『むさしあぶみ』の「明暦の大火」の記述の一部を原文で読むことができる。 http://yoshiok26.p1.bindsite.jp/bunken/cn14/pg146.html そこには、 「…去年霜月の比より今日にいたるまて。既に八十日ばかり雨一滴もふらて乾切たる家のうへに。火のこ(粉)おちかゝりはげしき風に吹たてられて。車輪のごとくなる猛火地にほとはしり。町中に引出し火急を

    『明暦の大火』の火元の謎を追う
    shibayan1954
    shibayan1954 2017/11/07
    明暦3年1月18日から1月20日にかけて、江戸市街の約6割が焼けた『明暦の大火』の火元は本郷丸山町の本妙寺と言われているが、その本妙寺のHPには「幕府の要請により(本妙寺が)火元の汚名をかぶった」と書かれている。
  • 国宝の明通寺本堂・三重塔から紅葉名所・萬徳寺などの古刹を訪ねて~~若狭カニ旅行2

    前回は「お水送り」の神事を行う若狭神宮寺のことを中心に書いたが、今回はほかのお寺のことを書くことにする。小浜には歴史のある素晴らしいお寺がいくつもあり、とても一日では巡りきれないくらいだ。 福井県の建築物で国宝あるいは重要文化財に指定されているものは26棟あるのだが、このうち小浜市に7棟が存在する。うち2棟は国宝で、福井県の国宝はこの2棟しかない。また彫刻では46躯のうち24躯が小浜市に存在しその大半が仏像だ。 http://info.pref.fukui.jp/bunka/bunkazai/sitei/itiran.html 旅行から帰ってから見つけたのだが、若狭おばま観光案内所作成のデジタルパンフレットは、非常によくできている。小浜の古刹の素晴らしい仏像の画像とマップとを古刹の由来と住所・電話番号が記載されており、小浜の古刹巡りは、このファイルを印刷しておけば、自転車で巡るにせよ、カー

    国宝の明通寺本堂・三重塔から紅葉名所・萬徳寺などの古刹を訪ねて~~若狭カニ旅行2
    shibayan1954
    shibayan1954 2017/11/07
    福井県の建築物で国宝あるいは重要文化財に指定されているものは26棟あり、このうち小浜市に7棟が存在する。うち2棟は国宝で、福井県の国宝はこの2棟だけだ。彫刻では46躯のうち24躯が小浜市に存在しその大半が仏像だ。
  • 東大寺二月堂に向け毎年「お水送り」神事を行う若狭神宮寺を訪ねて~~若狭カニ旅行1

    東大寺の有名な「お水取り」は修二会(しゅにえ)と呼ばれ、天平勝宝4年(752)東大寺開山良弁(ろうべん)僧上の高弟、実忠和尚によってはじめられた春を迎える法会で、尊の十一面観音の前で、11人の僧侶(練行衆)たちが、全ての人の罪を背負って懺悔をし、全ての人に代わって祈る法会である。 この行事は過去一度も途絶えることなく続けられて今年は1260回目の「お水取り」が行われたことになる。 この「お水取り」という行事の前に「お水送り」という神事があり、それが福井県小浜市にある古刹で、毎年行われていることに興味を覚えて、「お水送り」の舞台となる若狭神宮寺や鵜の瀬(うのせ)を訪ねてきた。 上の画像はネットで検索した毎年3月2日に行われる「お水送り」の画像だが、白い装束で身を包んだ僧侶や神人が松明を掲げて鵜の瀬に進み、若狭神宮寺の住職が東大寺の「若狭井」に向かって送水文を読み上げ、邪気払いをしたのち後御

    東大寺二月堂に向け毎年「お水送り」神事を行う若狭神宮寺を訪ねて~~若狭カニ旅行1
    shibayan1954
    shibayan1954 2017/11/07
    若狭神宮寺は今も神仏混淆の伝統を​継いでいる寺で、東大寺の二月堂のお水取りに先立って、お​水送りの神事を奈良・平安の時代から続けている古刹である。ここから平安京、平城京、飛鳥、熊野はほぼ直線上にある。