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ブックマーク / fujipon.hatenadiary.com (10)

  • 「決められる人」の強さ - 琥珀色の戯言

    「ねえ、今日どこにごはんべに行く?」 「どこでもいいよ」 「いや、僕は君が行きたいところに行くよ」 「私はどこでもいから、決めて」 「そんな遠慮しなくていいからさ」 「遠慮なんてしてないって」 「せっかく決めていいよって言ってるのに」 「だからこっちも好きにしていいよ、って言ってるじゃない!」 僕は優柔不断な人間なので、こういう会話をさんざんやってきました。 当に、人間って学ばない生き物ですよね。 とくに、「自分が良いことをしている」と思っている場合には。 夕の店を決めるときに、誰かと相談していて、なかなか店が決まらない。 こういうときの僕は「相手は何か希望を持っているのに、遠慮しているはず。心を引き出して、希望に沿ってあげなくては!」 と、勝手に考えていたのです。 相手の希望をきいてあげるのが「親切」であり、「紳士的な態度」なのだと。 でも、最近ようやくわかってきました。 こうい

    「決められる人」の強さ - 琥珀色の戯言
  • 2012-02-01 香山リカさんを「無能」と切り捨ててしまうことへの違和感 - 琥珀色の戯言

    参考リンク:いま、香山リカ女史の無能さがヤバい: やまもといちろうBLOG(ブログ) 僕もあの『朝まで生テレビ』を録画して観たのですけど、それはもう、胸がすくくらいの打ち負かされっぷりでした、香山さん。 なんかもう、「さんせいのはんたいは、はんたいなのだ!」って感じにも見えましたし。 でも、こういうネットでの香山さんへの厳しい反応をみていると、「そこまで言わなくても……」という気がしてくるんですよね。 1年ほど前、香山さんの自伝が新書として発売されました。 『「だましだまし生きる」のも悪くない』感想(琥珀色の戯言) この中で、香山さんは、こんなふうに語っておられます。 自分の半生について、語る。 なんとむずかしいことか。いや、複雑すぎてむずかしいわけではない。 私の場合、人生があまりに単純すぎて、語るべきことも何もないのだ。 「約半世紀前に生まれて、大きな病気もせず、これといって目立った業

    2012-02-01 香山リカさんを「無能」と切り捨ててしまうことへの違和感 - 琥珀色の戯言
  • 「きっと何者にもなれない」あなたへ - 琥珀色の戯言

    参考リンク:先日、twitterでこういう言葉を拾いました。「きっと何者にもなれないオタクに限って、写真…カメラ極めようとするよね。」なんとなく同意するところなんですが、ここで質問です。自分を何者だと考えますか?(ザ・インタビューズ) この参考リンクの記事を読んでから、ずっと「僕は何者なのか?」と考えていた。 いやそもそも、何者になりたかったのだろうか? 僕の父親は医者だったのだが、仕事を終えたあとは飲みに外に出ることが多かった。 それで酔っぱらって帰ってきて、酒臭い息で説教されるのも悲しかったのだが、仕事のことではなく、「飲み屋での自分の顔の広さ」を自慢するのがすごくイヤだった。 「あなたは、何者なのだ?」って。 医者というご立派な職業についたからには、もっと仕事を熱心にやって、その世界で認められようとするのがスジではないか。 にもかかわらず、夜の街でのこと、「あんな人と知り合いなんだ」

    「きっと何者にもなれない」あなたへ - 琥珀色の戯言
    shibuyan730
    shibuyan730 2011/10/02
    何者かになりたい病。
  • あなたが主張している「正論」は、「不安な人」には届かない。 - 琥珀色の戯言

    もしあなたが「なんとなく体調が悪くて不安」だったとしよう。 あなたは総合病院を受診し、不安を訴える。 診察室で、医者はあなたの訴えをパソコンのディスプレイを見たまま聞き流し、「じゃあ検査しましょう」と言う。 そして、血液検査やレントゲン検査を受けて、診察室に戻ってきたあなたに、医者はこんな態度をとるのだ。 「ああ、検査したけど、異常値は出てないし、レントゲンも問題ない。あなたの症状は、気のせいですよ。とにかく、検査で異常がないからだいじょうぶ、じゃあ次の人!」 さて、あなたはこれで「満足」できるだろうか? 「検査で異常がない」でも、あなたには「症状」がある。「不安」だ。 たぶん、「近くの病院でこんな対応をされた」ことを誰かがネットに書けば、そこには、同情の声が集まるはずだ。 いま、ネット上での「正論」の多くは、まさに、こういう「冷たい態度の医者」そっくりだと僕には思われる。 彼らは、「不安

    あなたが主張している「正論」は、「不安な人」には届かない。 - 琥珀色の戯言
  • 自分の運の良さを「正しさ」だと勘違いしている人たちへ - 琥珀色の戯言

    先週の金曜日、飲み会帰りのタクシーで60歳くらいの運転手さんと、熊の3歳の女の子が20歳の大学生に命を奪われた事件の話になった。 「あれは親にも責任がありますよ。まだ3歳なんだから、親も目を離したらいかんですよ。トイレに行かせるのだって、ちゃんと遠くからでも見ておかないと」 大概の場合、僕はこういうときに「そうですねえ」とか曖昧に頷いてやり過ごしてしまうのだけれど、お酒が入っていたこともあり、「そんなふうに常に見張っておけっていうのはおかしいし、どんな親にだって、『ちょっと油断してしまう瞬間』はあると思います。それで責めるのはあんまりでしょう」と反論して、車内はやや気まずい空気になってしまった。 「人生の先輩」として、「そういうときでも、ちゃんと見ているのが親ってもんでしょう?」というのは、確かに「正論」のようにも思えるけれど、僕はそこまで完璧に自分の子どもを見張っておくことができるだろ

    自分の運の良さを「正しさ」だと勘違いしている人たちへ - 琥珀色の戯言
    shibuyan730
    shibuyan730 2011/03/06
    どれだけ注意してても誰しも犯罪被害者になりうるし犯罪にあう隙も誰しも持ち合わせているのでそんなに被害者の不注意を責めないでくださいという話。そりゃそうだ
  • 個人ブログの現在、そして、たぶん未来 - 琥珀色の戯言

    これを書いているのは、2011年の1月5日です。 いまの時点では、「ホームページ・ビルダー」を使って作られたような「個人サイト」は、もうほとんど死滅してしまっていて、その後隆盛を極めた「個人ブログ」も、すっかり斜陽コンテンツになってしまいました。 5年前くらいのブログ黎明期には、一般の雑誌にも「あなたもブログをつくって、友達作り! お金も稼げるかも!」というような記事がたくさん載っていたのですが、いまでは、「個人ブログ」を薦める声はかなり小さくなり、『mixi』などのソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)や『twitter』が「個人がネット上に発信する機会」の主役となりつつあります。 個人サイトから、個人ブログになって、「更新しやすさ」や「他人とのつながりやすさ」は、格段にアップしましたし、「ネット上で何かを発信するための敷居」も大きく下がりました。それは、とても喜ばしいことだと思う

    個人ブログの現在、そして、たぶん未来 - 琥珀色の戯言
    shibuyan730
    shibuyan730 2011/01/06
    自分もブログを全く更新しなくなって久しい。
  • インターネット時代の「孤独」 - 琥珀色の戯言

    昨夜のニュースで観た、秋葉原の事件の犯人の「動機」 「現実で大きな事件を起こせば、ネットで無視したやつらを見返せると思った」 鴻上尚史さんが、『SPA!』に連載中の「ドン・キホーテのピアス」に、こんなことを書かれていた。 インターネットの時代になって、自意識が数値化されるようになりました。僕の二十代、否定だけを居酒屋で語り続ける奴は、周りからただ無視されたり嫌われたりしましたが、現在のように「コメント(0)」とか、一日のヒット数が表示されるなんていう、「数字によって冷酷に知らされる孤独」なんてものがありませんでした。えらいこってす。 たぶん、「インターネットによって癒される孤独」というのは、確実にあるのだと思う。 でも、その一方で、「インターネットによって思い知らされる孤独」っていうのもあるのだろう。 そして、ネットが「一般的なもの」になるにつれ、現実社会での「コミュニケーション上手」が、

    インターネット時代の「孤独」 - 琥珀色の戯言
  • ブロガーという病 - 琥珀色の戯言

    先日、某有名ブログを見ていて、「えっ?」と困惑してしまった。 あるエントリで、喪服を着た女性が俯いて悲しそうな表情をした画像と「会葬御礼」の手紙の画像がアップされていたのだが、そこに添えられていた文章は「血の繋がりのない遠い親戚のお通夜に行ってきた。よく知らない人なんだけど、やっぱり人の死は悲しいものだ。『死ね』ってブログに書いてくる人は、こういうのを望んでいるの?」というものだった。 このエントリ、言いたいことはとてもよくわかる。お通夜で人の「死」を目の当たりにして、「そんなお気軽に『死ね』とか書いてもいいの?」と問いかけたくなるのは、ものすごく自然な感情だと思う。 ただ、その一方で、僕はこのエントリで喪服をまとって悲しい顔をしながら自分にカメラを向けた(あるいは、誰かに写真を撮ってもらった)ときのことや会葬御礼の写真を撮ったときの様子を想像すると、正直すごくイヤな感じがしたのだ。 「こ

    ブロガーという病 - 琥珀色の戯言
  • 『はてな』はサービス業失格 - 琥珀色の戯言

    ネット規制よりもユーザーによる制裁を(池田信夫 blog) ↑のエントリや、このエントリのブックマークをあたってみると、池田先生の主張全般には賛同しがたいです。しかしながら、池田先生の抗議に対する「はてな」の対応を読んで、僕は驚いてしまいました。 「はてな」を運営している人たちは、自分たちが「サービス業」であるという認識が決定的に欠けているのではないか、と。 以下は池田先生のblogからの引用です。 私も「死ねばいいのに」というタグを執拗につけてくるはてなユーザーがいるので、はてなに抗議したところ、「来の意味から申しますと好ましい表現ではありませんが、実際には、慣用句的に使われている場合も多くみられる」ので何の対応もしないという回答が来た。しかしそのユーザーはその後も同様のコメントを繰り返し、12/8には こういう自称「厳しい」連中には激しい殺意が沸く。 と私を殺害する意図を表明するコメ

    『はてな』はサービス業失格 - 琥珀色の戯言
  • ブログ「炎上力」と「政治的に正しいオールナイトニッポン」 - 琥珀色の戯言

    ZAKZAK - 周りがセリフ教えた?倖田來未、涙の謝罪 「夕刊フジ」の記事を真面目に語ってもしょうがないとは思うのですけど、↑の記事のなかで、ちょっと考えさせられたところがあったのです。それは、芸能評論家の肥留間正明氏(この名前は、「麻生千晶」とともに、「記事を書いている記者が自分の言いたいことを有識者が言っているように偽装したいときに使う固有名詞)だと言われています)のこんな言葉。 倖田の失言そのものについて、肥留間氏は「影響力を自覚しないといけないのに、浅はかだった」としたうえで、過剰なバッシングへの違和感を隠さない。 「倖田はいわば、元気のいい“世間知らずのお姉ちゃん”だし、オールナイトニッポンは来、やりたい放題が人気を集めた番組。かつてはビートたけしの毒舌などがウケた。なのに、今は文化人でもない倖田がここまで叩かれる。自由な発言ができなくなる“言論統制”のこわさも感じますね」

    ブログ「炎上力」と「政治的に正しいオールナイトニッポン」 - 琥珀色の戯言
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