【ニューヨーク=吉形祐司】第2次世界大戦中の1942年4月、フィリピン・ルソン島のバターン半島を攻略した日本軍が、米軍やフィリピン軍の捕虜を炎天下で100キロ歩かせて多数の死者を出したとされる「バターン死の行進」の写真について、配信元のAP通信は、数週間後の遺体埋葬の写真だったとして65年ぶりに写真説明を訂正した。 写真は米軍が日本軍から押収し、45年に「『バターン死の行進』で同僚の捕虜に運ばれる死傷者」との写真説明で配信された。歴史的な1枚として繰り返し使用されてきたが、ニューメキシコ州に住む生存者の元米兵が昨年8月、地元紙に掲載された写真を見て間違いを指摘。AP通信が国立公文書館の資料などと照合した結果、捕虜収容所で撮影された写真だとわかった。 AP通信は、写真説明を「『バターン死の行進』後に捕虜収容所で行われた埋葬の模様」と訂正した。通信社が、歴史的な写真について訂正を出すのは異例だ