人口、世帯の数だけの住宅があり、あるいは人口、世帯数以上の住宅がある(住宅統計はあとで調べるとして)。そうした住宅を居住形式として社会的、階層的な構造が歴史的に展開した概念図を示したのが西山卯三であった。その俯瞰のもとには近代的な戸建住宅は、中産階級の増大に伴うものであり、大正、昭和初期の郊外住宅地開発は中産階級の居住形式に対応するものだったと考えられる。当時の生活改善運動、田園都市の構想の影響などがこれに反映し、住宅需要に即応して電鉄資本による住宅地開発が展開していった。郊外住宅地開発の過程はいくつかの著作を見出す。 こうした住宅に対する庭園はどのように考えられたのだろうか、以前より興味を持つところである。こうした社会的需要によって大都市の郊外発展と中産階級の住宅地が形成され、一定の居住形式とともに庭園の形態が形成されたと考えられる。そして、戦後に継続するともに拡大再生産される住宅地開発