タグ

ブックマーク / sei-fuchi.hatenadiary.org (7)

  • 森林療法の専門性 - 森の内 森の外

    はじめに 森林技術NO.819(2010.6)の論壇に、U氏が「森林療法とは何か」の表題で論説している。森林療法の対象は健常者 罹病者 障害者であり、その目的はリハビリテーション、風致作用の享受、心理的な癒し 作業療法 環境形成であり、その森林の場所、時間は、多様な地形、面積、散策路を持つ、針葉樹、広葉樹、混交林の不定期あるいは季節によるもので、レクリエーション、作業、休養、カウンセリング活動におけるリハビリテーション、保健休養、心理的効果、障害者療育の効果が得られるものとしている。 一方、放置され病んだ森林を手入れすることは、生命体の集合である森林を健康とし、その手入れの作業は人間に生きる力を感じさせることによって健康とするとして、森林療養の大きな目標としている。最後に、森林療法は揺籃期であり、多くの問題が解決されていない点で、自分は専門性の立場から取り組みたいと述べている。 論説の最後

    森林療法の専門性 - 森の内 森の外
  • 庭の千草と山野草の悲しい物神性 - 森の内 森の外

    はじめに 超訳「資論」は身の回りの事象に多くの示唆を持つ。山近くに住む人の庭に、珍しい山野草が植えられている庭がある。一方で、どこかで買ってきた園芸種で彩り豊かな花壇の庭もある。花壇の庭はおばあさんが、山野草の庭はおじいさんのものである場合が多いと考えている。草花や山野草を愛する山村の人の心情はほほえましい。しかし、山野草に高額の値段がつき、安易に山村の花壇の草花の種類が入れ替わる点に悲しい物神性を見出す。 庭の千草から 花壇の草花は、都会の庭と違って、庭の千草と歌われたような懐かしい種類が見られることに一層愛しさが感じられる。山村の人はなかなか、園芸種を購入できる機会が少なかったのであろう。山村には珍しい園芸種の草花から種子を取って繁殖し、人に分けて広まり、長く受け継がれたから、懐かしい草花が山村で生き残っているのだ。イギリスのオールドローズが山村の庭から再発見されて復元された話がある

    庭の千草と山野草の悲しい物神性 - 森の内 森の外
    shichimin
    shichimin 2010/04/20
  • 山村生活の交換価値から使用価値へ - 森の内 森の外

    はじめに 資論の全貌を早く分かりたいと、的場昭弘:超訳「資論」を読みかけている。商品の価値は、交換価値にあり、交換価値の中に使用価値が含まれている。商品を購入して成立する消費生活は、生活における使用価値の実現といえる。消費に関わらない生活上の使用価値は、商品ではない点で、交換経済の領域を離れている。交換経済を離れた自給的生活は、資主義経済の影響を受けないで済むといえるのかもしれない。山村の孤立した生活は、経済社会とどれだけ無関係でありうるか、は山村住民の生活方法に関係しているといえる。経済社会から離脱するためには、山村の自然環境を資源として確保し、自給のための資材に利用することである。山村に進出した商品の度合いは、自給的生活の反面的な目安である。 自給経済が交換経済に飲み込まれていくのが、あたかも必然的な変化であるかのように、進展した。戦後の山村の過疎に至る過程はそれを示している。こ

    山村生活の交換価値から使用価値へ - 森の内 森の外
    shichimin
    shichimin 2010/04/20
  • ザーリッシュの森林景観 - 森の内 森の外

    はじめに 小池先生より「Waldaestetik」の著者のStoelb氏の発行しているカレンダーを送っていただいた。 この表紙の写真は11月、トウヒであろうか?保残木作業によって林床からトウヒの稚樹が生育しているのだろうか。下層に見られる紅葉した木はナラなのであろうか。霧がかった大気に保残されたトウヒの樹形が浮かび上がって美しい。小池先生はStoelb氏に直接会って教示を得たそうである。ザーリッシュの「Forstaesthetik」のForstはWaldに置き換わっていることによって施業林から天然林に森林美も変わってしまったとの印象を受けていた。 しかし、来年のカレンダーは施業林の写真がほとんどであり、ステルブ氏のWaldはForstを包含しているようである。ドイツの森林から百年前ザーリッシュが森林美を問題とした施業林が厳然と存続し続け、この施業林は、全く、日の森林景観に似ていることに驚

    ザーリッシュの森林景観 - 森の内 森の外
    shichimin
    shichimin 2009/12/22
  • 森林風致 風景の抽出 - 森の内 森の外

    森林風致は、林内の多様な環境、環境要因の相互関係の作用にによって生まれる知覚と知覚を通じての認知作用によって生まれるものであることを、清水の研究論文が明らかにしている。単純な感覚、視覚単独によって森林風景を判断することとは相違している。そこで、安易に固定的なイメージを持って森林に手を加えることは、森林風致を損なうことになる。 密生した森林、藪となった林床が、森の中に人が入っていくことを、妨げることから、遊歩道を作るだけに我慢できずに、無方針に、森の姿を、除伐による疎林や林床を刈り払って、変えてしまうことがある。一方、風景を配慮することに固執して、草地に樹木の点在する牧場風景、シラカバ林や海岸の松林、雑木林、風景式庭園のような樹木の配置などが、固定的イメージとして取り上げられることがある。こうした風景は牧場や山林火災の跡地や海岸や薪炭林や庭園や公園でこそ成立しうるものである。突然に森林が姿を

    森林風致 風景の抽出 - 森の内 森の外
  • 風致を造園する方法論Ⅱ(住宅庭) - 森の内 森の外

    人口、世帯の数だけの住宅があり、あるいは人口、世帯数以上の住宅がある(住宅統計はあとで調べるとして)。そうした住宅を居住形式として社会的、階層的な構造が歴史的に展開した概念図を示したのが西山卯三であった。その俯瞰のもとには近代的な戸建住宅は、中産階級の増大に伴うものであり、大正、昭和初期の郊外住宅地開発は中産階級の居住形式に対応するものだったと考えられる。当時の生活改善運動、田園都市の構想の影響などがこれに反映し、住宅需要に即応して電鉄資による住宅地開発が展開していった。郊外住宅地開発の過程はいくつかの著作を見出す。 こうした住宅に対する庭園はどのように考えられたのだろうか、以前より興味を持つところである。こうした社会的需要によって大都市の郊外発展と中産階級の住宅地が形成され、一定の居住形式とともに庭園の形態が形成されたと考えられる。そして、戦後に継続するともに拡大再生産される住宅地開発

    風致を造園する方法論Ⅱ(住宅庭) - 森の内 森の外
  • 風致を造園する方法論Ⅰ(概念) - 森の内 森の外

    人は生活するために住居が必要である。原初的に安全な住居は洞窟であった。閉鎖され、内部空間と外部へは入口だけであるような洞窟は確かに安全であったに違いない。しかし、自然環境の中で洞窟が存在するのは崖壁のある場所であるから、めったに存在するものではない。これはかって西山先生の講義を聞いた疑問だった。確かに人類は洞窟に代わる住居として建築を必要としたことは理解できる。 近代の工業文明で都市生活が展開し、市民の立場が確立してくると、自然環境、田園環境から隔絶した都市生活に庭園の自然の価値を認識するようになった。これに対応した造園家がラウドンであったことを中村先生が取り上げている。そして、市民階層の庭園デザインとして表現したのがジャキール女史であった。モリスのアーツ&クラフツ運動を端緒とする機能主義は、庭園における戸外室の考えに到達したが、日には田村先生によって造園学の基礎として西洋庭園、近代庭園

    風致を造園する方法論Ⅰ(概念) - 森の内 森の外
  • 1