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CMと文化に関するshichiminのブックマーク (2)

  • 80年代CM黄金期、3人の天才は何を見通したか

    「『プロジェクトX』を作っているとき、日を支えてきたハードのインフラは1960年代、70年代に作られたと実感しました」 そう話すのはNHK-BSプレミアム『アナザーストーリーズ』のプロデューサー、久保健一だ。 「黒四ダム、東京タワー、霞が関ビル、全部、そうです。一方で、ソフト、いわゆる文化は、その後の80年代につくられて、それが今につながっているような気がしています。必要不可欠なものが手に入った後、そういった文化の礎が生まれたのは、必然だったのでしょう」 沢田研二のシングル その80年代の幕開けとなる1980年1月1日、沢田研二のシングル『TOKIO』が発売された。作詞をしたのはコピーライターの糸井重里、B面の『I am I』の作詞はやはりコピーライターの仲畑貴志だった。 その後1982年に、糸井は「おいしい生活。」、仲畑は「おしりだって、洗ってほしい。」というコピーを披露。耳に残るコピ

    80年代CM黄金期、3人の天才は何を見通したか
  • 「出前一丁♪」も…CMテープ9000本発見 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    シャープや日清品といった関西の大手企業をはじめ350を超える会社や団体のテレビ、ラジオCMなどのテープ類約9000が、大阪市内の倉庫で見つかった。 CMテープは放送後に廃棄している例が多く、調査した大阪市立大の土屋礼子教授は「メディア文化の発展を研究する上で貴重だ」としている。 大阪社のあった広告会社「萬年社」が制作にかかわった資料で、約4000テレビCMなど画像テープ、約3700がラジオCMを含む音源テープ。1970年から90年代のものが中心だ。 先行調査したラジオCMには、「育って育ってべ盛り」と歌手の大滝詠一さんがCMソングを歌う日清品の即席めん「出前一丁」、歌手のピンクレディーが声の出演をする「日清焼そばU.F.O.」など懐かしいものが目立つ。 99年に萬年社が自己破産した際、散逸を防ぐため経済人らが買い取り、資料類を大阪市に寄贈していた。

    shichimin
    shichimin 2010/01/05
    大阪市に寄贈されていたCMテープ類が市内倉庫で再発見されたってこと?まさに死蔵じゃん。ちゃんと保存して欲しいよな。
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