左側が私がiPadのくまぬりえと言うアプリで右側のゴッホの絵を模写したものです。 右側の絵は自宅の玄関に飾ってあるものなのですが ゴッホ作と言われなければ何の変哲もない絵画です。 当然、当家に来る来客の誰も見向きもしないのですが (しないと思っていますがwww) 私にとって人生の輝き、幸せの色を教えてくれた絵なんです。 私がこのゴッホの絵に出会ったのは今から2年半前 国立新美術館で行われた「没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」 でのことです 東京に上司の仕事の付き添いで行ったのですが 東京の仕事もひと段落してから 行き当たりばったりで調べて行った先がこのゴッホ展でした。 この作品「サン=レミの治療院の庭」は公開作品の中でも最後の方に展示してあったのですが 作品をみたときの木々の輝き、生命の息吹が聞こえてくるかのような作品の迫力に ただただ時を忘れて見入ってしまいました。 ゴ
人ごととはいえない孤独死 いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関を標榜する長周新聞の記事だということに留意してご一読を。 死後数カ月たって見つかるケースが増えていることについて、夫婦共働きが増えてほとんど家にいない親が増えていることや、市の予算削減で、市営住宅に管理人をおかなくなったり、自治会のお祭りや行事が極端に減ったことで地域のつながりが希薄になっていることなどが語られ、社会保障費を切り捨てる「自己責任」政策の結果と語られている。 地域のつながりが希薄化したのは、つながりたくない人が増えたから。お祭りや行事の減少はその結果として起きたが、希薄化に拍車をかけたのも事実だろう。 2人の小学生の子どもを持つ30代の母親は、「パートで老人施設に働きに出ているが、そこでも親族もお金もない老人は悲惨だ。亡くなったあとも病院には引き取り手のないお骨が放置してある状態。わたしの母も年金5万円で
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