そうか。カウンターカルチャーがサブカルへと「脱色」していったわけか。盛田さんの感想は実感がこもっている。78年と言えば「ぴあ」の編集部は駿河台の崖下にあった頃じゃないかな。「ぴあ」のページの端っこの1行を読むのが好きだった。自主映画や小劇場はちと怖くって近づけなかったの。
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そうか。カウンターカルチャーがサブカルへと「脱色」していったわけか。盛田さんの感想は実感がこもっている。78年と言えば「ぴあ」の編集部は駿河台の崖下にあった頃じゃないかな。「ぴあ」のページの端っこの1行を読むのが好きだった。自主映画や小劇場はちと怖くって近づけなかったの。
日経ビジネスオンラインの「日刊新書レビュー」にて、霜月たかなか『コミックマーケット創世記』(朝日新書)をとりあげた(ここから読めます)。 レビューでとりあげた以外にも、本書には興味深い記述がいくつもあった。たとえば、批評集団「迷宮'75」結成にあたり「運動理論」を論議する場で著者が書き残した〈我々は、主体的にマンガに関わりかつ、コミュニケートを求める者にその場を解放する!!〉という走り書き(この文はレビューでも引用したが)。こうしたアジ演説めいた文面について著者は次のように説明している。 まるで学生運動の立て看板のような文面と思われるかもしれないが、実際はくだけた会話をしていても文字にするとこうなってしまうのは、何か行動を起こす時の方法論として学生運動のなかで確立されたそれが、それなりに使い勝手がよく、有効だったためである。 1970年代という時代のなかで僕も亜庭じゅんも米やん(米澤嘉博―
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