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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/matsuiism (4)

  • 田中正造について - heuristic ways

    城山三郎『辛酸』は、宗三郎が準備した野天風呂に入るために「真裸になった」田中正造が、「ほおっ、ほおう、と吠えるような声を立て」る場面から始まる。なぜこんな場面から書き始めるのか、最初は首をひねったが、やがてそれが、家屋を強制破壊されて、ほとんどホームレスに近い状態に置かれた谷中村の残留民たちの苛酷な暮らしぶりを鮮明に浮かび上がらせる巧みな導入部であることがわかる。やがて雨が降り始めると、萱(かや)で編んだ網代(あじろ)を屋根代りにかぶせただけの穴ぐらに住む宗三郎の六人家族は、雨漏りを避けるため、一しかない傘の下に一家六人が頭を突っ込まなければならない。そして正造は、素裸のまま風呂から出てきて、同じような境遇にある残留民たちの安否を心配し、蓑(みの)を借りて廃村の残留民を一戸一戸訪ねて廻るのである。 そこには、ユーモラスなようでいてどこか厳粛なものがあり、過酷な条件下にありながら意外に飄々

    shidehira
    shidehira 2011/12/14
    ふとこの前思ったんだけど、田中圭一『百姓の江戸時代』等の農村観を踏まえると、田中正造の人物像の捉え方も違ってきそう。
  • 荒畑寒村『谷中村滅亡史』など - heuristic ways

    G.K.チェスタートンのブラウン神父シリーズのある有名作品(1911年発表)に、「木を隠すなら森の中へ」云々という有名な言葉がある。正確には、次のようなセリフらしい(某サイトより引用)。「賢い人は葉をどこへ隠す? 森の中だ。森がない時は、自分で森を作る。一枚の枯れ葉を隠したいと願う者は、枯れ葉の林をこしらえあげるだろう。死体を隠したいと思う者は、死体の山をこしらえてそれを隠すだろう」  足尾銅山の経営者はまず、「銅山の廃棄物(捨石)を隠すには川の中へ」と考え、それを実行したわけだが、川に大洪水が起きると、そのためにかえって近隣の地域と住民に鉱毒の被害が拡大してしまった。では、鉱毒の被害を隠すためには? 荒畑寒村『谷中村滅亡史』を読むと、奇想天外なまでに大掛かりで、ポウの「盗まれた手紙」の大臣を思わせるほどに大胆不敵な犯行の手口(トリック)が、フィクションではなく、現実に組織的に実行されたと

    shidehira
    shidehira 2011/12/13
    ちくまは「田中正造―二一世紀への思想人」http://amzn.to/veY3bsを文庫化しないかなぁ。
  • 太平天国と奇兵隊 - heuristic ways

    小島晋治『近代日中関係史断章』(岩波現代文庫、2008年)を読んでいたら、第2章「太平天国と日――「明治百年」によせて」(初出1967年)の中で、高杉晋作の奇兵隊が、アヘン戦争のときの林則徐の発想や、太平天国軍の英仏軍に対する抵抗からヒントを得ているという指摘があって、「あ!」と思うところがあった。 一八六三年外国艦隊が攘夷に対する返礼として行なった下関砲撃事件の過程で、武士階級の無力が暴露される中で、彼(高杉晋作)は奇兵隊結成にのりだす。そこには広東の水夫、漁師、または地主勢力の指導下に農民を武装させ、これをその指揮下においてイギリス軍とたたかおうとした林則徐の発想と多分に共通するものを見ることができる。また民衆を主体とする太平天国軍の英仏軍に対する頑強な抵抗を知ったことも、この着想の一因になっていたのではないかと思われる。  以前、加藤周一氏の『吉田松陰と現代』(かもがわブックレット

  • 小林英夫『日中戦争――殲滅戦から消耗戦へ』 - heuristic ways

    これはちょっと目からウロコが落ちるようなだった。自衛隊の人や政治家はこういうをこそ読むべきではないかと思ったりした。日中戦争において「なぜいかにして日中国に負けたのか」という問題を、両国の戦略構想の面から把握・分析しようとした書は、たんに過去の失敗を直視し、その敗因を突き止めるというだけでなく、ハードパワー(軍事力・産業力)重視とソフトパワー(政治・外交力、文化的魅力、国際世論の支持)軽視という、今日に至るまで続いている指導的な政策・戦略構想の限界を指摘しているからである。  以前私は、「指摘する人はたぶん少なくないだろうが、実感として、私たちは「アメリカに負けた」とは思っていても、「中国に負けた」とは思っていない」と書いたことがある(2005-08-16 「「戦争」の記憶・認識」)。私はなんとなく日軍が中国の広大な土地での「泥沼戦」(民衆の抵抗を含む)に引きずり込まれて、次第

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