城山三郎『辛酸』は、宗三郎が準備した野天風呂に入るために「真裸になった」田中正造が、「ほおっ、ほおう、と吠えるような声を立て」る場面から始まる。なぜこんな場面から書き始めるのか、最初は首をひねったが、やがてそれが、家屋を強制破壊されて、ほとんどホームレスに近い状態に置かれた谷中村の残留民たちの苛酷な暮らしぶりを鮮明に浮かび上がらせる巧みな導入部であることがわかる。やがて雨が降り始めると、萱(かや)で編んだ網代(あじろ)を屋根代りにかぶせただけの穴ぐらに住む宗三郎の六人家族は、雨漏りを避けるため、一本しかない傘の下に一家六人が頭を突っ込まなければならない。そして正造は、素裸のまま風呂から出てきて、同じような境遇にある残留民たちの安否を心配し、蓑(みの)を借りて廃村の残留民を一戸一戸訪ねて廻るのである。 そこには、ユーモラスなようでいてどこか厳粛なものがあり、過酷な条件下にありながら意外に飄々