タグ

ブックマーク / www.wayto1945.sakura.ne.jp (2)

  • 資料:南方占領地行政実施要領

    1941年11月20日 大営政府連絡会議決定 原文閲覧: 国立公文書館アジア歴史資料センター Ref. C12120152100 開戦直前に、侵攻地占領後の処理方針を指示した文書です。 何がしたくて攻め込む事にしたのか、この文書をみればはっきりします。 ひとまず占領体制を固めた後に出てくるのは国防資源確保の話です。「要領」のニから五まで、ほぼ資源確保と輸送の話で占められています。 七では「民生に及ぼさるるを得ざる重圧は之を忍ばしめ」と言い、資源確保や占領軍の”自活”(占領軍の糧等を占領地で調達・徴発する事)のため現地住民の生活に及ぼす苦痛は我慢させろと指示しています。 八では「現住土民(ママ)…の独立運動は過早に誘発せしむることを避くるものとす」、即ち独立運動は当面抑えろと言っています。 戦争目的が資源の確保収奪であり、音では「アジアの解放」なんか何の関係もなかった事が、この史料では

  • 朝鮮は植民地ではなかった説について:データで見る植民地朝鮮史

    言葉の意味をすり替えて言論を破壊しごまかすのは、「いつものやり口」です。 まとめ ① 当時の日政府当局も植民地として扱った ② 定義上も植民地である ③ 学問の世界において通説である 2015年、愛知県のさる大学で行われた司書講習において、講師が「日による朝鮮の植民地支配」にふれたところ、休憩時間中に聴講者の誰かが横車なクレームを入れたらしく、次の時間でその講師が「正しくは併合でした、植民地だったと間違った事を言って申し訳ありません」と言わされる事故がありました。 間違ってなどいません。植民地期の朝鮮は、日の植民地でした。 が、よりによって大学という場所で、このような馬鹿馬鹿しいほど誤ったクレームがまかり通る事態は深刻です。 「あれは植民地支配だった」と自信をもって貫き、お馬鹿なネトウヨクレームは軽く一蹴できるよう、ざっくり材料を揃えてみることにします。 1、当時の日政府当局も植民

    朝鮮は植民地ではなかった説について:データで見る植民地朝鮮史
  • 1