YouTube でお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。
2月27日(土)20時よりレコ発LIVE【YouTubeチャンネルにて】クジラ夜の街 ワンマンLIVE無料配信 “透視” 開催1st Full Album『海と歌詞入り瓶』🌟配信 https://lnk.to/tHSHQqAY🌟CD https://www.rocket-exp.com/qujila_band...
また夏を思い出している。一年振りの八月朔ユウリです。すっかり夏ですね!!(9月)色々な事情があってこの1年ほとんど曲を作れていなかったので、2年前に書いた曲を投稿します。(葵と同時期に書きました)夏の終わりにこんな歌は如何でしょう。歌:初音ミク作詞・作曲:八月朔ユウリイラスト: 栞音(@shion_08_)前:踏...
担当していた「新人小説月評」の末尾が削除されるという事件を経て、2月8日、『文學界』編集長から「最低限必要な寄稿者と編集部との信頼関係が失われた」という理由で月評からの降板が命じられた。とりあえず、担当編集者と決して多くないだろう拙評読者に感謝したい。 私が執筆できたのは2月号と3月号の計2回。最初の話では一年間=12回分を依頼されていたため、いささか不本意な退場となった。改めて確認するまでもなく、私は私の主張がいまなお正しいと思い、『文學界』編集部は明確に道義に反していると思う。とはいえ、人の愚かさには際限がなく、たんに様々なことを間違えるだけでなく、間違いを間違いと認知できない二重の間違いすら犯しがちなことを考えれば、あまりに自己を過信するのも危険なことだろう。 というわけで、以下、私に決定的な落ち度があったとしても通用可能なメッセージを『文學界』編集部に贈りたい。道は二つに分岐する。
読書界で大きな話題になっている江永泉、木澤佐登志、ひでシス、役所暁『闇の自己啓発』(早川書房)。その魅力を作家の大滝瓶太氏が語った。 自己啓発本を手に取る瞬間 そこそこにトガった読書好きならだれでも(?)自己啓発本をバカにした経験はあるだろうし、ぼくはその時期を乗り越えて本格的にバカにしつつある。むしろ憎悪をもって滅ぼそうとする勢いですらあるわけだけど、人生で一度だけ書店の自己啓発本の棚に長時間立ったことがある。会社員1年目の夏だ。 当時、ぼくは大学院の博士課程を単位取得中退し、博士論文も書けず職業作家にもなれず専門とはほど遠い商売の中小企業に営業職として入れてもらった。そこでは社内のひとも顧客も、これまでじぶんが付き合ってきたタイプの人間とはまるでちがっていた。「人間力」ということばに代表される反知性的な人間信仰のようなものが蔓延(はびこ)っていて、かつ営業成績も全然ダメで、年次がひとつ
これはラッコさんによる樋口の書評への批判への応答である。 ラッコさんへ 丁寧なご批判ありがとうございます。ラッコさんのお考えはよくわかりました。互いが前提とする論点や目的にはズレがあるのですが、それは互いのバックグラウンドや理想とするものが異なるので仕方なく、ここですり合わせる気はありません。僕がラッコさんの考えを変えられるとは思わないし、ラッコさんもまた僕の考えを変えようとはしていないでしょう。またその必要もありません。僕はここで、互いの差異がよりよく見えるようにするべく、お返事を書きたいと思います。 ラッコさんの発言を「・」で、樋口のお返事を「→(太字)」で記載します。 1. はじめに ・樋口書評を土台に、これから論を展開します。 →はい。了解です。 2. まずは些末な事実認識から:私は『闇の自己啓発』読んでから批判しているよ ・大滝瓶太さんの書評だけ読んで『闇の自己啓発』を腐していた
「『闇の自己啓発』とは、自己啓発の言葉を文字通りに実践することで、自己啓発の枠組みを、半ば自動的に破壊してしまった、過剰性の書物である」——SF作家の樋口恭介氏による書評=思想をお届けする。 正常としての異常な世界を生きること、 あるいは異常者=正常者のためのセルフヘルプ 樋口恭介 世界とはさまざまな症候の総体であり、その症候をもたらす病いが人間と混合される。文学とは、そうなってくると、一つの健康の企てであると映る。――ジル・ドゥルーズ『批評と臨床』 0 一つの巨大な健康ではなく、無数の小さな健康を。 あるいは想像可能なすべてのセルフヘルプを探索するために。 1 木澤佐登志の論考に、「生に抗って生きること : 断章と覚書」というものがある。そこに、「生はその本来性において、どこまでも無根拠、すなわち無底である」という文がある。本稿は『闇の自己啓発』の書評として書かれているが、ひとまずこの引
0. 本記事公開後、樋口さんからの応答2021/02/12 15:05 ラッコさんによる樋口の書評への批判への応答 経緯など: https://twitter.com/rrr_kgknk/status/1360102246785028098 1. はじめに作家の樋口恭介さんから、"挑戦状"を叩きつけられました。名誉なことです。よし、受けて立とうじゃないか。という気力もないのですが、私の考えを説明した記事です。時間がない人は、「13. 最後に」だけ読んでください。3秒で読めますし、そこに本質の99%を込めました。 2021/02/22 13:00追記:【この記事までの経緯】/ 闇の自己啓発界隈vs経済学101(?)界隈 https://togetter.com/li/1666697 樋口さんは、自らの『闇の自己啓発』書評記事「正常としての異常な世界を生きること、あるいは異常者=正常者のための
1983年生まれの私は168cmの女である。日本の成人女性の平均身長は約158cmだそうだから、高身長の部類だ。実際、日本女性の身長を調べて「158」という数字が出てきた時、「それな!」と声を張り上げそうになった。 死ぬほど憧れた「158/48/23.5」 デカめの女として30年余を生きてきた自分は、かつて「158/48/23.5」に死ぬほど憧れた。周りのかわいい女の子は皆おおよそ、「身長158cm/体重48kg/足長23.5cm」だった。かたや自分は「168/58/24.5」。なにもかもが他の子より一回り大きく、重い。プリクラや写真を見る度、デカい自分を忌々しく感じた。 保育園の頃。右から3番目が筆者。右手の二人は同い年なので、その差がわかる。 はじまりから大きめだった。共に昭和30年生まれの父母は175cmと164cmで、兄は190cm。サイズ感は遺伝だろう。実家に小柄な友人が遊びに来
外見がかっこ悪い云々以前に、チビ男はコンプの塊で性格歪みまくってるのがデフォだから。 DV加害者に背の低い男が多いっていう統計も出てるし。 身長のせいで女にモテなくて、男として見てもらえなかった反動か… もう本当に修正不可能ってほど性格歪んでる奴ばっかり。 私の女友達で長身の子(169cm)がいるんだけど、その子と一緒に街を歩いててすれ違いざまに「デカッ!!」ってわざとらしく罵声浴びせてくるのも見事にチビ男ばっかり。 長身の人を見たらコンプ刺激されて悔しくて、でも長身の男には力で負けそうで怖いから長身の女に八つ当たりしてるんだろうね。ほんとに醜い。 私はチビだからチビ男に言い寄られることが多いんだけど、中には「○○(私)ならヒール履いても俺の身長を追い越さないから」って平然と言ってきた奴もいた。 そんな男の見栄みたいなくだらない理由で言い寄られる身にもなってみろ。 だからチビ男って大嫌い。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く