韓流アイドルに夢中になった学生時代。追っかけ先の韓国で、朝鮮籍の私はアイデンティティクライシスに陥った
財務省は報告書で、決裁文書の改ざんがあったと認めた。森友問題で国会審議で取り上げられたため、「質問に繋がり得る材料を極力少なくすること」が目的だったという。当時理財局長だった佐川宣寿前国税庁長官が主導し、中村稔・理財局総務課長が中核的な役割を担ったと認定した。 2017年2月に安倍晋三首相が国会で「私や妻が関係していたら総理大臣も国会議員も辞める」と答弁して以降、安倍昭恵氏(総理夫人)の名前が入った書類の存否の確認をしたり、政治家の問い合わせに関する記録などを廃棄した。国会議員団の国有地視察(2017年2月21日)の際、財務省側が森友学園側の弁護士に「(森友学園の籠池泰典)理事長らの発言次第では国会審議がさらに混乱しかねない」「理事長は出張で不在」「撤去費用は相当かかった気がする、トラック何千台も走った気もする」など、説明ぶりを提案した。近畿財務局の統括国有財産管理官の配下職員は、「改ざん
ハフポスト日本版ニュースエディター。 公衆衛生、ジェンダー、調査報道が関心領域。masako.kinkozan@huffpost.com
YouTubeで9万人以上のフォロワーを持つイギリス人のエル・ダービーさんが、アイルランドのホテルにタダで宿泊させてほしいとメールで依頼したことが、大きな騒ぎとなっている。 ダービーさんがアイルランドのホテル「The White Moose Cafe」に送ったメールは、自身のYouTubeとInstagramを通じてホテルの宣伝に協力するので、無料で宿泊させて欲しいという内容だった。 これに対し、ホテルのオーナーは激怒。「親愛なるソーシャルメディアインフルエンサー様」と題したコメントとともに、彼女のメールの画面キャプチャをFacebookに公開した。オーナーは「もしあなたを無料で泊めてしまったら、誰が人件費を払うのでしょう?」と記した。「今後も、ホテルに泊まる際には、他のお客様と同じように宿泊料を支払うことをオススメします。もしあなたの宣伝にありがたいと感じたら、あなたの部屋をスイートにア
2013年に大阪の「文の里(ふみのさと)商店街」で企画・制作された、化粧品店「ビューティーショップ ドリアン」のポスターがネット上で話題になっている。
「ボブ・ディラン氏は無礼で傲慢」ノーベル委員長が苦言 今年のノーベル文学賞の受賞が決まった米国のミュージシャン、ボブ・ディランさん(75)が沈黙を貫いていることについて、同賞を選考したノーベル委員長のペール・ベストベリィ氏が21日、「無礼で傲慢(ごうまん)だ。でもそれが彼ってものだ」と苦言を呈した。 スウェーデン公共放送SVTのインタビューに応じた。ベストベリィ氏は、ディランさんの公式ウェブサイトから「文学賞受賞」の文言が21日までに削除されたことも認識しているとして、「予想していなかったが、彼は気難しいようだから驚きはしなかった」と語った。 12月10日にストックホルムで開かれる授賞式前には、受賞者による記者会見や講演も予定される。だがディランさんが受賞するつもりがあるかも不明だ。授賞を発表したスウェーデン・アカデミーはディランさんに直接連絡することを断念している。「我々は待つ。彼
Syrian swimmer Yusra Mardini who fled to Germany with her family and who is currently training with a local swimming club attends a joint press conference of the International Olympic Committee (IOC) and the German Olympic Sports Confederation (DOSB) in Berlin, Germany, Friday, March 18, 2016. The IOC is supporting refugee athletes who could potentially qualify for the Olympic Games Rio de Janeiro
1946年、浜松市に修理工場を創業して以来、技術と若さを売り物にする社風をはぐくみ、戦後生まれの企業ながらソニーと並ぶ「世界のHONDA」に会社を躍進させた。1958年のC100から始まるオートバイ「スーパーカブ」は、今もなお世界中で親しまれている。自ら陣頭指揮し、59年からはオートバイの国際レースにホンダ車を出場させた。64年にはF1レースにも初めて参加、いずれも後に優勝した。 本田氏は、「人まねはするな」「役所には頼るな」「世界を目指せ」などのいわゆる「本田イズム」を徹底。「会社を一族のものにしてはいけない」が持論だった。73年に社長の座を当時45歳の河島喜好氏に譲ったあとは、会社経営にはほとんどタッチしなかった。今もなおその経営哲学は、多くのビジネスマンの指針となっている。
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