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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (4)

  • 地方オタクの歳の取り方と、首都圏の人脈について - シロクマの屑籠

    以下に書き散らす内容は、私自身が実際に観てきたものと、他の地方在住オタクな人達から聞いた話をもとにした、ひとつの推測とあらかじめ断っておく。 90年代のある時期、それこそウィンドウズやインターネットが地方の学生オタクにも手の届くものになった頃ぐらいから、地方でオタクをやるのは難しくなくなった、とされている。少なくとも、首都圏で“おたくエリート”が頑張っていた頃よりは、そうだろう。コンテンツに手が届きやすくなったし、マスボリュームが大きくなって友達も探しやすくなった。漫画やアニメやゲーム好きの多く集まる学校に進んだ高校生なら、同好の士をある程度は見つけられたに違いない。 問題はここから。 じゃあ、地方でアニメやゲームをいつまでも愛好し続けるのも同じぐらい簡単か、となると、これが結構難しいようにみえる。オタクオタクでい続けるための難易度・しんどさは、首都圏と地方県庁所在地、中小の地方都市や過

    地方オタクの歳の取り方と、首都圏の人脈について - シロクマの屑籠
  • 素人が増えただけで仕事を失うプロなんて、淘汰されるしかあるまい - シロクマの屑籠

    ネットによって文章を書くようになった人たちは消費者でもなくクリエイターでもなかった - Togetterまとめ 上記のまとめを読んでいると、なんとなく、「うんうん、その通りだね。プロの社会的価値を下落させる何者かを、“あるべき顧客の姿”に戻さないといけないね」と頷きたくなる。しかし少し真面目に考えてみれば、他業種・他分野では到底通用しない考え方だと気づかざるを得ない。 他業種・他分野では、“プロの社会的価値を下落させ、顧客を喪失させる何か”の実例はいくらでもある。 例えばマイカーの普及は、馬車の御者や人力車といったプロの仕事を奪い、後にはローカル鉄道や路線バスの採算性をも破綻させた。人々が欲しかったのは、馬車でも人力車でもなく「素早く目的地に到達すること」だった。だから「素早く目的地に到達すること」がマイカーで達成されるようになれば、馬車や人力車やローカル鉄道にお金を払いたいとは誰も思わな

    素人が増えただけで仕事を失うプロなんて、淘汰されるしかあるまい - シロクマの屑籠
  • 「ファミコンが日本を駄目にした」論 について - シロクマの屑籠

    ファミリーコンピュータ 体 出版社/メーカー: 任天堂発売日: 1983/07/01メディア: Video Game クリック: 43回この商品を含むブログ (12件) を見る 私が小学生ぐらいの頃、周囲の大人達は以下のような事をよく言っていた。 「任天堂は、ファミコンで日の将来を駄目にするだろう」 もちろん私はファミコンが大好きな小学生だったので、こうした大人達の言葉が面白く無かったし、「任天堂がなくなってもセガが頑張るから結果は同じだ」と反論していた。この「ファミコンが日の将来を駄目にする」論に限らず、その後も“テレビゲームの悪影響”は手を変え品を変え、指摘され続けてきた。例えば『ゲーム脳の恐怖』といった具合に。 あれから二十年以上の時が流れた。 セガはともかく、任天堂は世界を代表するゲーム会社の一つとなり、“プライベートな空間でゲームを楽しむ”という文化習俗をもたらした*1。任

    「ファミコンが日本を駄目にした」論 について - シロクマの屑籠
  • 日本人が失ったのは「寛容」ではなく「身内」では? - シ口クマの屑籠(汎適所属)

    「最近日から寛容さが失われている」のは何故か - Togetterまとめ 新幹線の車内ではしゃいでいる子どもや、夜遅くまで騒いでいる大学生に対し、私達はどれだけ寛容な気持ちを保っていられるだろうか?次世代を担う子ども達の、年齢相応の振る舞いに対してさえも、寛容よりも非難が勝る人が増えているのではないだろうか? 寛容さとは正反対の、きわめて自己中心的な人達もよく見かけるようになった。自分の意に沿わない相手に攻撃的な人間や、他人に際限なく要求する人間が、モンスター○○などと呼ばれて問題視される時代でもある。*1 これらを踏まえて「昔の日人が寛容」で「現代の日人は寛容じゃなくなった」と結論づける人は多そうだ。少なくとも、見かけ上、日から寛容さが失われたように見えるのはその通りかもしれない。 「身内」には寛容でも「他所者」にはそうでもなかった日人 では昔の日人は、当に寛容だったのか?

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