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2010年1月5日のブックマーク (2件)

  • 小田切博『キャラクタ―とは何か』 2010-01-05 - Economics Lovers Live

    マンガ批評に格的に関心を持ち出してまだ一年未満だが、その中で昨年読んだ評論の中ではこのはベスト5に入る。そして同時にこのはかなり筋ワルである。これがいまの日のマンガ批評の現状かもしれない。たぶん今週末に出るが著者からいち早く献いただいた。しかしこのはいったい誰にむけて書かれているのだろうか? 彼の周囲数名程度のうけを狙ったものなのか、あるいは勘違いした官僚を喜ばせるためなのか(それはさすがにないが一読すれば喜ぶだろう)。 しかし面識もありいろいろ教えてもらってきた身ではあるので言い難いのだが、はっきりいえば、ただおかしな産業政策論の要素を中核とする一書である。なぜ著者は彼のまわりにいたであろう経済学者たちに事前に原稿などをみせて意見をもらわなかったのだろうか? 書の中心メッセージが、産業政策必然論になっている点をみるにつけて愕然とする。 以下断続的にこのの紹介をする。ただし

    shinichiroinaba
    shinichiroinaba 2010/01/05
    田中さんに負けず劣らず小田切さんも被害者意識強いよな。
  • 社会政策・労働問題研究の歴史分析、メモ帳 「やりがい搾取」の構造は互酬の否定である報酬拒否から生まれる

    社会政策・労働問題研究について歴史的なアプローチで研究しています。ここではそのアイディアやご迷惑にならない範囲で身近な方をご紹介したいと考えています。 今回のエントリは多分、その筋の人たちにとっては衝撃的な内容だと思います。しかし、あえて書きます。一連の濱口先生の「働くことを報酬にしてはならない」論で攻撃されていたのは、「やりがい搾取」の雇う側の人たちでしたが、私はまったく逆に、ある種のボランティアの人たちに批判を加えようと思います。そういう人たちがいるからこそ「やりがい搾取」が起こるんだと言いいたいのです。なお、私は原理原則を分かりやすくするために、かなり極端な例を使って説明しています。 19世紀末に社会事業が巨大化してくると、必然的にある程度の官僚化が起こります。ここでの「官僚化」とは社会事業の専門ノウハウをもった人が恒常的に必要になる事態を意味します。そうなると、手弁当ではやってられ

    shinichiroinaba
    shinichiroinaba 2010/01/05
    論点の移動?と切り分けの試み