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2012年8月3日のブックマーク (7件)

  • まとめよう、あつまろう - Togetter

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    まとめよう、あつまろう - Togetter
    shinichiroinaba
    shinichiroinaba 2012/08/03
    .@royterek さんの「首都圏反原発連合は脱原発運動を代表し得るか?」をお気に入りにしました。
  • 反原連との討論会 「原子力規制委員会人事」問われ、民主党議員凍りつく

    反原連の基礎ともなっている『Twitterデモ』の呼びかけ人、平野太一さんは「口だけ脱原発」の民主党議員に踏み絵を迫った。=31日夕、衆院会館。写真:田中撮影= 「何万人、何十万人が集まっている現象が、この場を作らせた。こういう集まりは日の近代史上初めて。(国会議員が)組織ではなく民衆の中から出てきた人と会うのは初めて…」。司会の小熊英二・慶応大学教授(歴史家)が冒頭の挨拶でいみじくも語った。 金曜夕恒例となった原発再稼働に抗議する官邸前集会。組織動員もなく脱原発の一点において集まって来る国民の声に政治家も耳を傾けざるを得なくなったのである。 主催者の「首都圏反原発連合」と国会議員が31日、原発政策をめぐって国会内で意見交換した。政治家側は脱原発を選挙目当てで標榜する民主党議員と、脱原発に向けてずっと動いてきた「原発ゼロの会」の超党派議員、計11人。首都圏反原発連合(反原連)側も11人が

    反原連との討論会 「原子力規制委員会人事」問われ、民主党議員凍りつく
  • 「サブカル」に「保守」「右翼」がなじめないままだった理由

    king-biscuit @kingbiscuitSIU サブカル批評、的な領域に、いわゆる「保守」「右翼」系言説が「戦後」このかた、ずっとなじまないままに推移してきた理由ってのは、未だにちゃんと説明or解明されてないよね(´・ω・`) 2012-08-01 17:08:11

    「サブカル」に「保守」「右翼」がなじめないままだった理由
    shinichiroinaba
    shinichiroinaba 2012/08/03
    .@kingbiscuitSIU さんの「「サブカル」に「保守」「右翼」がなじめないままだった理由」をお気に入りにしました。
  • ICRP勧告111を巡る押川正毅教授とbuvery氏の議論

    🌸🍀眞葛原雪🍀🌸 @pririn_ ICRPの年間1mSvという基準をなぜ無視するのか、という点につきる。日が批准しているのはICRP90でそれは年間1mSv。ICRP97は事故回復期1~20mSvと設定しているけれど、それは住民の主体的選択と政府の許可と支援に依存している。けれど日の科学者は、徹底的に無視する 2012-07-30 18:09:37

    ICRP勧告111を巡る押川正毅教授とbuvery氏の議論
    shinichiroinaba
    shinichiroinaba 2012/08/03
    .@morecleanenergy さんの「ICRP勧告111を巡る押川正毅教授とbuvery氏の議論」をお気に入りにしました。
  • アップルの猛禽文化と競争原理主義

    世界中から集まった頭脳がうかわれるかの出世競争を繰り広げるシリコンバレー。そこで勝ち残り大きな報酬を手にするには何が必要か、アップル社の元シニアマネジャーに聞く 金融危機後も世界最高の頭脳と野心と資金を引きつけ続ける米カリフォルニア州のシリコンバレー。その中からさらに選りすぐりの才能を社内に囲って競争させるのが、アップルやグーグル、フェイスブックといったIT企業躍進の原動力だ。 スティーブ・ジョブズ復帰後の米アップル社で2002年からの7年間、開発部の品質保証部シニアマネージャーとして働いた体験を近著『僕がアップルで学んだこと』にまとめた松井博(46)は、超エリートたちが恥も外聞もなく出世競争に明け暮れるのを目の当たりにした。しかも、「共い一歩手前」と松井が形容するこの競争は意図されたもので、アップルに限らず成功している米企業に共通する成長の方程式だという。 シリコンバレーでも

    アップルの猛禽文化と競争原理主義
  • 萩尾望都 くろいひつじ:萩尾望都作品目録

    shinichiroinaba
    shinichiroinaba 2012/08/03
    @smasuda 「くろいひつじ」>
  • 「同人化」する文化 – sociologbook

    なんどか書いてるけど大学の3回生ぐらいから卒業してすぐぐらいまで、ジャズミュージシャンの真似事をしておりました。音楽の才能がぜんぜん無かったのでそっちの道はすぐにあきらめたんですが。神戸の元町のポートタワーホテルとか中山手通のサテンドールとか、大阪の中津の今はなき東洋ホテルとか、梅田の今はなきDonShopとか、北新地の名前忘れたけどなんとかいう店とか、京都の木屋町の名前忘れたけどなんとかいう店でウッドベースを弾いておりまして、それでメシってたぜとはとても言えないですが、まあトラ(臨時の代理)の仕事も含めて月10万ぐらいにはなっておりました。 学生のバイトとしてはわりと実入りがよかったです。時代はバブルで、そこらじゅうに生演奏の店があり、またそういうところに彼女を連れていくのがおしゃれとされていた時代で、ちょっと背伸びして今日はジャズでも聴きにいこうかというお客さんがわりといて、チャージ