へなちょこボールの頭脳プレイ 早稲田大学を卒後と同時に、大学3年の時にコーチに出向いていた山口県・南陽工高に着任。以後9年間、指導者として多くを学んだ。 南陽工の選手たちはいまだに鮮明な記憶として和泉監督の中に残り、とくに遊撃手だったある選手との出会いは鮮烈だったという。 「小柄で足も遅く、肩もさほど強くなくて、投げるとみんなへなちょこボール。ところがゲームになると、打球の飛ぶところに必ずいるんです。あ、レフト前に抜けると思うとそこにいて、捕ってフニャフニャってボールを一塁に投げてアウト! それで、なんでわかるの?って聞いたことがあるんですが、自分からはものを言わない子どもで『わかんない』と首をかしげるだけ。それが早実の優勝祝賀会を開いてくれた折に、初めて答えを聞くことができたんです。なるほどな!と、うならされましたよ」 20年以上たってようやく聞くことのできた彼の答えはこうだった。 ――