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書評と明治に関するshino-katsuragiのブックマーク (1)

  • 『二つの星 横井玉子と佐藤志津 女子美術大学建学への道』山崎光夫(講談社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 私立女子美術学校(現・女子美術大学)の創立者・横井玉子は嘉永7年(1854年)、江戸築地鉄砲州にある肥後藩細川若狭守邸内で、肥後藩の支藩新田藩家老の原尹胤(まさたね)の次女として生まれた。維新に際して熊へ帰還し、そこで横田小楠の甥・左平太によって創設された熊洋学校に学んだ。のち左平太と結婚するが、早くに夫に先立たれ、叔母にあたる矢嶋楫子のもとで諸芸を学びながら、楫子が教職をつとめる築地居留地の新栄女学校で裁縫や礼式などを教えた。 また、絵画にも興味を持ち、多錦吉郎の画塾で絵を学び、そこで浅井忠を紹介されて明治美術会に、さらには黒田清輝の白馬会にも入会している。新栄女学校が桜井女学校と合併し女子学院となると、ひきつづき教師としてつとめ、裁縫や割烹だけでなく洋画も教えた。当時、女性の絵画教師というのは珍しい存在だったという。 玉子が女子のための美術大学を、と思い立っ

    『二つの星 横井玉子と佐藤志津 女子美術大学建学への道』山崎光夫(講談社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2011/03/24
    女子美の創立者。
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