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明治に関するshino-katsuragiのブックマーク (10)

  • 高校で森鴎外の「舞姫」を説明すると女子生徒は大体こうなるけど実際のところを知ると許せるよ、というお話

    Loni @Nuwa_150 女子校時代に、国語の授業で舞姫やって男性教師が解説して「この時のお国柄では、男性はどうしても断れない重圧が、家が〜」とか解説するなか、クラスの女子全員が「関係ねーよ腰抜け!」「妊娠させた女の責任もとれない男が家とか国とか言ってんじゃねぇ!」「エリス!こいつ絞め殺せ!!」つってた 2017-02-12 22:36:38 リンク Wikipedia 舞姫 『舞姫』(まいひめ)は、森鴎外の短編小説。1890年(明治23年)、民友社社長の徳富蘇峰の依頼を受け執筆し『国民之友』に発表。森鴎外が1884年から4年間ドイツへ医学を学ぶために留学した時に執筆された。主人公の手記の形をとり、その体験を綴る。高雅な文体と浪漫的な内容で、初期の代表作。作、『うたかたの記』、『文づかひ』の三作品を独逸三部作あるいは浪漫三部作と呼ぶことがある。この作品を巡り石橋忍月との間で論争(舞姫

    高校で森鴎外の「舞姫」を説明すると女子生徒は大体こうなるけど実際のところを知ると許せるよ、というお話
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2017/02/14
    作品と人格は別なんで、人格者だったなんて期待できるわけない。実生活で係るのはゴメンだな、という逸話を持つ作家は多い。/光源氏も大概ボロクソ言われますからな。
  • こゝろ - Wikipedia

    『こゝろ』(新仮名: こころ)は、夏目漱石の長編小説。漱石の代表作の一つ。1914年(大正3年)4月20日から8月11日まで、『朝日新聞』で「心 先生の遺書」として連載され、同年9月20日に岩波書店より漱石自身の装丁で刊行された[1][注 1]。なお、自費出版という形式ではあるが、この作品が岩波書店にとって出版社として発刊した最初の小説となった[3]。『彼岸過迄』『行人』に続く、後期3部作の最後の作品である。 連載開始からちょうど100年たった2014年4月20日に、『朝日新聞』上で再度連載が開始された[4]。 新潮文庫版は、2016年時点で発行部数718万部を記録しており、同文庫の中でもっとも売れている。作品としても日で一番に売れているである[5]。 背景[編集] 漱石が乃木希典の殉死に影響を受け執筆した作品で、後期三部作とされる前作『彼岸過迄』『行人』と同様に、人間の深いところにあ

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    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2012/08/02
    お嬢の夏休みの課題。/大人になって読めば、また違った感慨があるものなのかなぁ。「男ってみんなばっかみたい」と、かつて思ったりしたものだが。
  • asahi.com(朝日新聞社):謎解き、達者な絵 子規が11歳で編集した雑誌、初公開 - 文化

    印刷 初公開される「櫻亭雑誌第六号」と「七変人評論第一編」(東京・根岸の子規庵)正岡子規  正岡子規(1867〜1902)が少年時代に自作した雑誌2冊が、9月19日の命日・糸瓜(へちま)忌にちなみ、1日から東京都台東区の子規庵(あん)で初公開される。1冊は子規が11歳で編集した「櫻亭(おうてい)雑誌第六号」。早熟な「少年エディター」ぶりを示している。  「櫻亭雑誌」は松山での少年時代、週刊くらいのペースで出していた。半紙を和紙のひもでとじている。3〜5号が「子規全集」に収録されているが、6号は未収録。謎解きなど子どもらしい内容の一方、驚くほど達者な絵も描かれている。  もう1冊は、18歳の大学予備門時代に秋山真之(さねゆき)ら親しい友人7人で相互に人物評をした内容の「七変人評論第一編」。部分的には後に高浜虚子が「ホトトギス」で紹介し、全集に収録されたため、3人は人物像がわかっていたが、今回

  • 『二つの星 横井玉子と佐藤志津 女子美術大学建学への道』山崎光夫(講談社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 私立女子美術学校(現・女子美術大学)の創立者・横井玉子は嘉永7年(1854年)、江戸築地鉄砲州にある肥後藩細川若狭守邸内で、肥後藩の支藩新田藩家老の原尹胤(まさたね)の次女として生まれた。維新に際して熊へ帰還し、そこで横田小楠の甥・左平太によって創設された熊洋学校に学んだ。のち左平太と結婚するが、早くに夫に先立たれ、叔母にあたる矢嶋楫子のもとで諸芸を学びながら、楫子が教職をつとめる築地居留地の新栄女学校で裁縫や礼式などを教えた。 また、絵画にも興味を持ち、多錦吉郎の画塾で絵を学び、そこで浅井忠を紹介されて明治美術会に、さらには黒田清輝の白馬会にも入会している。新栄女学校が桜井女学校と合併し女子学院となると、ひきつづき教師としてつとめ、裁縫や割烹だけでなく洋画も教えた。当時、女性の絵画教師というのは珍しい存在だったという。 玉子が女子のための美術大学を、と思い立っ

    『二つの星 横井玉子と佐藤志津 女子美術大学建学への道』山崎光夫(講談社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2011/03/24
    女子美の創立者。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2010/09/05
    日本人って変わってないのか。
  • 「足るを知る」に騙されていませんか:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 最近、老荘思想が若者の間で流行っている、という記事を目にして「草系もここまで来たのか」とちょっと驚いたことがあります。今までも「足るを知る」といった言葉を下敷にした書籍の広告を、よくマスコミで目にするなあとは思っていたのですが…。 しかし、こうした風潮は、危うい面があるのではないかと筆者などは感じています。なぜか、といいますと、そもそも「足るを知る」という考え方は、時々の権力者や強い立場にいる人間に向けた訓戒に他ならないからです。 この言葉を聞いて、「そうだよな、求めてばかりはいけないな」と感じられる人は、そもそも「もう満足してもいいや」と思えるだけの何かを、すでに持っている人なのです。ちょっと極端な例を使いますと、“派遣切り”にあって、明

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  • ペリーも驚いた日本人の華麗さと威厳の背景にあったもの:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン (前回から読む) 「わが子の教育問題に関しては、著名人を含め、実社会で活躍されている人の多くが当に悩んでいる」 と、筆者は自分が講師をつとめる勉強会などで感じることがあります。あるジャンルや業界でひとかどの人物になるためには、時間や労力など、莫大な資源投下が必要になってきますが、その分どうしても家族や子供との時間がとれなくなりがち。子供が万が一にもグレてしまって、 「世間ではあんなにご立派に活躍されているのに、家庭では…、子供さんは…」 などと言われてしまうのは、やはりちょっと避けたい事態なわけです。しかし、そうはいっても仕事で手を抜くわけにもいかず、子育ての主体となってくれている配偶者のフォローもままならないという、悩ましいジレンマに陥り

    ペリーも驚いた日本人の華麗さと威厳の背景にあったもの:日経ビジネスオンライン
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2010/04/24
    「寺子屋の目的は子ども、筆子が「礼儀を相たしなむ」ことにあったのである」
  • 飛び出た?GIFアニメで明治初期の写真を3Dにしてみたから見て。 21枚。:DDN JAPAN

    DDN は 音楽 ・ 映像 に関する デジタル アート を中心に情報ミックスを配信中

    飛び出た?GIFアニメで明治初期の写真を3Dにしてみたから見て。 21枚。:DDN JAPAN
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2010/03/08
    おもしろいわ。
  • 第5回 翻訳調の成立:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン (前回から読む) 福沢諭吉と同じ時代に活躍した人に中村正直(敬宇)がいる。幕臣の息子として生まれ、若くから儒学で頭角をあらわし、江戸末期を代表する儒者になった。その一方でまずは蘭学を学び、やがて英学も学んだ。慶応2年(1866年)には幕府の留学生取締としてイギリスにわたり、明治元年(1868年)に帰国している。明治3年(1870年)から明治4年(1871年)にかけて翻訳書の『西国立志篇』を出版し、大ベストセラーになった。明治5年(1872年)にはJ.S.ミルのOn Libertyを訳した『自由之理』を出版している。 この『自由之理』は、読者に強い感動を与えており、自由民権運動はこのからはじまったといえる。いま読んでも、ほんとうに素晴らしい名

    第5回 翻訳調の成立:日経ビジネスオンライン
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2010/01/07
    続きが楽しみ。
  • GIFアニメーション化した明治時代のステレオ写真いろいろ

    ステレオ写真とはレンズが2つ付いたカメラで、両目からの見た目で同時に2枚の写真が撮れるカメラのことです。 その歴史は結構古く、明治時代にこれを使って撮影された写真も公開されています。 このカメラで撮影された写真は、来特殊な見方(浮き出る写真のような)によって立体化させるものですが、それをアニメーション化することで、より手軽に立体化して見せることができるというものです。 2つの写真を交互に表示するだけで、グッと奥行き感が出てくるのが分かります。(画像をクリックするとアニメーションGIFが開きます)

    GIFアニメーション化した明治時代のステレオ写真いろいろ
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2009/11/01
    これはおもろい。
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