タグ

ブックマーク / booklog.kinokuniya.co.jp (25)

  • 『ブ活はじめます―すべての女に捧げる「気持ちいい!」ブス活動のススメ』安彦麻理絵(宝島社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「女性たちがすべてをさらけ出す・・・それがブ活(ブス活動)」 「実はどんな女の中にも「ブス」はいる。 世の中の、あらゆる女が、自分の中に「ブスを飼っている」のだ。」(P16) 衝撃的だが、でもどことなく納得のいく指摘であろう。「ブス」が何であるか、簡潔に定義づけられはしないものの、「おおむねこういうものだろう」という指摘がつらつらと書かれた第一章「女とブス」から書は始まる。そして、さらにこうも書かれている。 「女にとっての「ブス」にあたるものが、男には、ない。」(P19) これもまた、(評者は男ではあるものの)納得のいく指摘である。たぶん、それの裏返しで「美人」にあたる概念も男性には存在しないのだ。 わかりやすいのは化粧だろう。それをする男性がまったくいないわけではない。だが女性が化粧によって、かなりの程度「美人」を装うことができるのに対し、男性たちにとって

    『ブ活はじめます―すべての女に捧げる「気持ちいい!」ブス活動のススメ』安彦麻理絵(宝島社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『宗教を生みだす本能』 ウェイド (NTT出版) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 山極寿一の『暴力はどこからきたか』では狩猟採集時代までのヒトはわかちあいの心をもったやさしい平和な生き物だったが、農業の開始とともに所有の観念が生まれて国家が誕生し、戦争をするようになった。集団内部でも階級が分化し、格差が生じたとしている。一種の原始共産制賛美だが、こうした見方をする人は多い。 書は副題に「進化論からみたヒトと信仰」とあるが、狩猟採集民の理想化に冷や水を浴びせかけるような内容である。集団的な暴力は狩猟採集時代の後期に激化し、戦争の起源も、集団に対する献身の起源もそこにあるというのだ。 著者のニコラス・ウェイドは「ニューヨーク・タイムス」で健筆をふるう科学ジャーナリストで、欄では人類のグレート・ジャーニーを描いた『5万年前』をとりあげたことがある。 狩猟採集時代が平和だったというのは戦いの跡が発見されていないことが根拠になっているが、そもそも

    『宗教を生みだす本能』 ウェイド (NTT出版) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『私とは何か―「個人」から「分人」へ』平野啓一郎(講談社現代新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「ほどけゆく個人のゆくえ」 書は、作家の平野啓一郎が、2009年の小説『ドーン』の作中で描いた概念「分人主義」について、スピンオフ的に別の著作にまとめあげたものである。 『ドーン』は近未来の社会を描いた小説であり、「分人主義」という概念も、われわれ人間存在のこれからのゆくえを説得的に描き出したものとして興味深く、何よりもネーミングセンスがよい。 その内容についてパラフレーズしておくならば、「分人主義」とは読んで字のごとく「個人主義」と対置される概念である。元の英語で述べたほうが分かりやすいが、「個人」がin-dividual(それ以上分けられない存在)であるならば、「分人」とは、dividual(分けられる存在、複数のコミュニケーションの寄せ集まった存在)のことをいう。 すなわち、人間存在を、「固定化された自己」や「かけがえのない自分」が中心に据えられたもの

    『私とは何か―「個人」から「分人」へ』平野啓一郎(講談社現代新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2013/07/04
    まぁ、ね。
  • 『科学の花嫁 ロマンス・理性・バイロンの娘』 ウリー (法政大学出版局) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 書はラヴレス伯爵夫人オーガスタ・エイダ・キングの伝記である。 彼女はある事情からファーストネームのオーガスタではなく、セカンドネームのエイダと呼ばれた。エイダは生前はバイロン卿の娘として著名だったが、現在では世界最初のプログラマーとして知られている(アメリカ軍が用いているAdaというプログラミング言語は彼女の名にちなむ)。 ロマン派のスーパースターだったバイロン周辺だけあって、何からなにまで極端で登場人物はみな異様に「濃い」。現代の感覚からすると引いてしまう話が多いが、書に書いてあることは事実として実証されたことばかりである。 エイダは生後一ヶ月にして有名人だった。母アナベラが出産早々バイロン邸を出て別居生活をはじめ、それをマスコミがおもしろおかしく伝えたからである。 当時は男尊女卑の時代だったので夫がどんなに浪費家で放蕩者であっても、は耐え忍ぶべきだとされた。

    『科学の花嫁 ロマンス・理性・バイロンの娘』 ウリー (法政大学出版局) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『Bitch』Elizabeth Wurtzel(Anchor Books) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「バッドガールの作り方」 ニューヨークを捨ててサンフランシスコに帰ってしまったカメラマンが、僕にこう言ったことがある。 「新しい社会への反抗の仕方を考え付いた奴は、すごい金持ちになるよ」 そのカメラマンはバロウズやギンズバーグなどのビートニクたちを撮ってきた男で、パンク(つまりイギリスのセックス・ピストルズ)以降、社会に「反抗」にする新しいスタイルが生まれていないというのだ。 なるほど、と僕は思った。確かに、「反抗」の新たなスタイルを築き上げた者はお金が流れ込んでいくだろう。 しかし、考えてみればビートニク、ロスト・ジェネレーション、パンクなどは男の「反抗」の仕方で、女性の「反抗」の形態は六〇年代の中で現れたフェミニズムくらいしかないといっても間違いではなさそうだ。「Ms」を創刊させたグロリア・スタイナムだってもうだいぶ歳をとっているし、女性からの新しい声が上がっても

    『Bitch』Elizabeth Wurtzel(Anchor Books) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2012/08/06
    わしは、ビッチになるよりウィッチになるべきだと思うのだけど。あまりにも恐れられているために、また、魔女狩りの世紀になるかもしれないが。
  • 『不安の種+』中山昌亮(秋田書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「ジワジワとくる、「説明のつかなさ」が怖いマンガ」 「とにかく怖いんですよ。何とも言えないんですけど、後から来るんです」と、学生から進められて読んだマンガである。 なるほど、と思った。たしかに、最初読んだときは「それほどでも?」という些細な印象しか残らないのだが、心に残った何かしらの引っ掛かり(スッキリしなさ、といってもよい)がきっかけで、2度3度と読み返しているうちに怖くなってくる。そんなマンガである。 そこには、いくつかの特徴が指摘できる。まず、一つ一つのストーリーが短いということ(おおむね2~4ページ程度)。次に、最後にそのエピソードが起こった(あるいは、言い伝えられてきた)場所と年代が記されていること(まれに不明な場合もある)である。そこからは、これらのエピソードが、我々の生きている現代の日社会において、ごく身近に起こったものであろうことが想像される。 そし

    『不安の種+』中山昌亮(秋田書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『竜の学校は山の上 — 九井諒子作品集』九井諒子(イ−スト・プレス ) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「勇者」という言葉を、私たちの世代に広めたのは、1986年に第1作が発売されたRPGゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズではなかったでしょうか。このゲームが瞬く間に全国の小学生を魅了したのは、単にゲームとして完成度が高かったからだけではありません。中世ヨーロッパの英雄伝説や物語をベースに組み立てられたと思われるこのゲームのシナリオは、非常に質の高いものでした。プレイした子供たちは、少なくとも私の周りの小学生たちはみんな、竜の存在する国、剣を携えた勇者たち、魔王の城、翼の生えた人々のいる世界に瞬く間にひきずりこまれて、夢中になっていました。今も「勇者」という言葉を聞いてドキドキしてしまうのは、きっと私だけではないはずです。 そんな「ファンタジー」の世界を緻密に描きだした上で、ぺらっと裏返してみせたのが、この漫画『竜の学校は山の上』です。竜やケンタウルスの奥様が牧歌的に描か

    『竜の学校は山の上 — 九井諒子作品集』九井諒子(イ−スト・プレス ) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『真珠の耳飾りの少女』トレイシー・シュヴァリエ(白水社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「魅惑の少女の正体は?」 フェルメールの「真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)」に出会ったのは、1981年の事だった。ようやくパリに行く切掛けをつかみ、アリアンス・フランセーズで3ヶ月間フランス語を学んでいる時だった。フェルメールの絵を見るためにオランダへ旅行し、デン・ハーグのマウリッツハウス美術館の狭い階段を上った小さな部屋にその絵はあった。一緒に行った友人は他の部屋を回っているので、誰もいないその小さな部屋で、近くの窓枠に腰掛けながら小一時間少女の目を見つめていたのを思い出す。至福の時だった。 フェルメールのことを知ったのは、福永武彦の随筆だった。その時から、フェルメールの絵に会いたくて仕方がなかった。パリに惹かれたのはロートレアモンやシュールレアリストたちの作品のせいだが、フェルメールも一因になっている。この絵が夏に日で公開されるらしい。待ち望んでいる人も

    『真珠の耳飾りの少女』トレイシー・シュヴァリエ(白水社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『ブラック・ジャック創作(秘)話 〜手塚治虫の仕事場から〜』原作・宮崎克 漫画・吉本浩二(秋田書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 かつて七日間で世界を灼きつくしたと伝えられる巨神兵のように、莫大なエネルギーを以て創作に打ち込む天才。誰もついていけない、いや、一緒にいるだけでうっかり一緒に灼かれてしまいそうな危険な存在。そんな人を私はモンスターと呼んで、密かにコレクションしています。書評空間ではすでにそんなモンスターのひとり、宮崎駿監督の暴走っぷりを書いた(それが主題のではないのですが)「ジブリの哲学」をご紹介させていただきましたが、今回はさらにすごいモンスターを紹介させていただきます。漫画の神様、手塚治虫先生です。 手塚治虫を神格化して描いた漫画といえば、藤子不二雄Aによる自伝的漫画漫画道」でしょう。故郷の富山県でせっせと漫画を投稿していた少年時代の藤子不二雄コンビは、自信作をひっさげて上京を果たします。しかし憧れの手塚治虫に邂逅を果たした彼らは、手塚が自らボツにした膨大な枚数の原稿を目にし

    『ブラック・ジャック創作(秘)話 〜手塚治虫の仕事場から〜』原作・宮崎克 漫画・吉本浩二(秋田書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『子どもを信じること』田中茂樹(大隅書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 生姜がきいた甘酒をいただいた後のような、心と体が温まるだ。 子どもにはやさしく接する、接していいのだ、厳しく接する必要はないのだと田中さんは言う。 子どもを信じるということは生き物としての力を信じるということだ。 田中さんのことばを借りよう。 「親が手出しをしなくても、子どもは、自分が幸せになるためにとるべき行動を、自分からとるようになります。そのことを信じて、子どもと向き合うのです。」(p.5) 田中さんはお医者さんだ。カウンセラーでもある。このにちりばめられた数多くの事例は田中さんの言うことに信頼感を添えてくれるだけでなく、子を持つ親として、あるいは、子どもたちの将来を真剣に考える者として、一体感、連帯感を抱かせてくれる。 《そうそう、同じこと、あった》 《うーん、こういうときの親ってつらいんだよなあ》 田中さんは親にもやさしい。子どもにやさしく接する。これ、

    『子どもを信じること』田中茂樹(大隅書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2011/11/29
    「手を出しすぎない」のが難しい。/「子どもを信じるということは生き物としての力を信じるということだ。」
  • 『子供失格<1>』松山花子(双葉社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「笑うだけでは済まされないブラックユーモア4コマ」 作は、生まれながらに厭世的な気分を持ちあわせた幼稚園児「生留希望(いくとめ・のぞみ)」を主人公に、彼の家庭や幼稚園での様子を、ブラックユーモアたっぷりに描いた四コママンガである(こうした設定と、そのタイトルからして、太宰治の『人間失格』をもじった作品であることは間違いのないところだろう)。 こうした作品は、一昔前ならば「シュールなマンガだなあ」といった一言で済まされたような気がする。同じ四コママンガで比べるならば、90年代初頭に人気を博した吉田戦車の『伝染るんです』などは、そういう印象で読んでいた記憶がある。ものすごく性格の悪いかわうそくんも、NHK教育テレビの子ども番組が好きなヤクザたちも、あくまでマンガの中だけの存在だからと思って、安心して笑い飛ばしながら読んでいたように思う。 作も、シュールな四コママンガだ

    『子供失格<1>』松山花子(双葉社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『〈女中〉イメージの家庭文化史』清水美知子(世界思想社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 よく、戦前の新婚の家庭に、「夫婦+お手伝いさん一人」が住むという描写をで読んだり、大正から昭和はじめ頃の住宅関係のなどで、夫婦と子供二人が住む程度の小さな家の間取りにも三畳ほどの女中部屋があるのを見て、不思議な気がしたものだ。 掃除、洗濯、御飯炊き……あらゆる家事を電気の力を借りずにこなさなくてはならかった時代は、たとえ核家族でも一日の家事は重労働だったから、中流以上の家庭なら、女中を置くのはごく普通のことだった。住み込みの女中が減るのは、戦後、家電製品の普及によって家事に必要な労力が減ったことによる。 かつて中流家庭の主婦は、家計の予算を立て管理し、女中の仕事ぶりを指揮・監督し家内を取り仕切るホームメーカー(家庭管理者)としてなくてはならない存在であった。それが、住み込み女中がいなくなったことで主婦は、「女あるじ」の座を手放し、無給のハウスキーパー(家事労働者)

    『〈女中〉イメージの家庭文化史』清水美知子(世界思想社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2011/11/02
    これは読みたいな。核家族化によって家刀自の権限はほとんどなくなったからなぁ。家政を差配するという重みがぜんぜん違ってしまった。昔はよかったとは全然思わないけど。
  • 『鉄は魔法使い』畠山重篤(小学館) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「好奇心あふれる鉄の巡礼者」 東海道線の小田原の先にある真鶴は、地名は知っていたが訪ねたことはなく、あるとき仕事で行くことになってはじめて駅に降り立った。目的は中川一政美術館の取材で、彼の力強い作品にも感動したが、それと同じくらい驚かされたのは、太平洋に突き出た真鶴半島の豊かな森だった。 半島の背骨にあたる道を先端にむかっていくと、原生林にぶつかり、そこから先は車で行けなくなる。ちなみにその森の入口に中川一政の美術館は建っており、館内の窓から見えるのは緑一色の世界。海辺に来たつもりが、山のなかにさまよい込んだかと思うような思いがけない光景だった。 取材を終え、港に下りて浜の堂に入ったところ、出てきた魚料理がまたおいしいかった。山と海がいちどに楽しめるこんな場所が都心から一時間ちょっとのところにあるのが大発見で、しばらくは会う人ごとに、真鶴って行ったことある?と触れ回

    『鉄は魔法使い』畠山重篤(小学館) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2011/10/11
    これは読んでみたい。そういえば、鉄鋼スラグを利用する試みもなされてるよね。
  • 『恋とセックスで幸せになる秘密』二村ヒトシ (イースト・プレス) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「恋のルール・新しいルール」 どうしよう。何から話せばいいかわからない。読み終わったあと、猛烈に「このについて語りたい!」と思い立ってパソコンを立ち上げたものの、わたしの言葉ではこのに追いつかないような気がしてぼんやりしてしまう。どういうことだろう。何を戸惑っているんだ、わたし。とりあえずもう一度読み返してみよう、二村ヒトシ著『恋とセックスで幸せになる秘密』を…。 あなたは「わたしのことを好きになってくれない人を好きになっちゃう」とか「向こうから好きだって言ってくれる人は、なぜか、好きになれない」ことが多くありませんか? 「私は自分がキライ……。でも、そんな自分が大好き」って思うこと、ありませんか?(4頁) 男性から「愛されよう」と無理してやっていることが、結果的に「その男性から大切にされない」ことにつながり、「軽くあつかわれる」ように自分からしむけていることにな

    『恋とセックスで幸せになる秘密』二村ヒトシ (イースト・プレス) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『正しいパンツのたたみ方 新しい家庭科勉強法』南野忠晴(岩波ジュニア新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 のパンツを上手くたためない夫・Aさんの話から書ははじまる。「たてに三つ折り→さらに三つ折り→先を穿き口にはさむ」というのたたみ方ができずに悩むAさん。からダメだしをらうことしばしばなので、洗濯物の山をみると気持ちが沈んでしまう。 Aさんについて、せっかくたたんだのに小言をいわれて気の毒、とも、そのくらいのこともできないの?、とも、だったらのパンツをたたむのはやめたらいいのに、とも思う。外側からだと、夫のいいぶん、のいいぶん、どちらも客観的に眺められるが、我がこととなるとそういかない、というのが世の常というもの。 ひとたび家庭の外にでれば、「できない」ではすまされないこと、「できない」のであれば、それ相応の評価なり待遇なりを受けなくてはならないことばかり。その縛りがもうすこし緩くなれば、こういう家庭内での悩みはむしろ改善されるようになるのでは、と思わなくも

    『正しいパンツのたたみ方 新しい家庭科勉強法』南野忠晴(岩波ジュニア新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2011/08/08
    ちょっと読んでみたい。
  • 文筆家・近代ナリコの書評ブログ : 『英国メイドの日常』 村上リコ (河出書房新社)

    →紀伊國屋書店で購入 小学校中・高学年のとき、「演劇」と称するごっこ遊びが流行っていて、それはたいてい、シンデレラをはじめとするお姫様もののおとぎ話や、『小公女』や『嵐が丘』や、それを下敷きにしたような少女マンガや昼メロドラマがまぜこぜになったお話なのだった。 舞台は西洋風のお屋敷。奥様、お嬢様(やさしいお嬢様と意地悪なお嬢様がいる)、そして召使いがおきまりのキャスト。脚があるわけではなく、やっているうちに何となく話が進んでいくもので、たいていはなんの創造性もないベタな筋書きだが、たまに、誰かの不意の台詞やアクションが思いもよらない展開を呼んだりもする。しかし、あそこで皆がしたかったのは、「意地悪な金持ち奥様・お嬢様VS貧しいメイド」の図そのもの、俗に言う「プレイ」みたいなものだったのだと思う。 そしてみな、いじめられる側のメイド役をやりたがるのだった。これに抜擢された子は、黒いワンピー

    文筆家・近代ナリコの書評ブログ : 『英国メイドの日常』 村上リコ (河出書房新社)
  • 『Self-made Man : One Woman’s Year Disguised as a Man』Norah Vincent(Penguin Group USA) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2011/07/30
    絶望的。でも、仕方ない。まぁ、男女逆にしても同じ結論のような気がするしな。
  • 『「モノと女」の戦後史―身体性・家庭性・社会性を軸に』天野正子・桜井厚(有信堂高文社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「ジェンダーを「立体視」する先駆的試み」 ある時期、ジェンダー論とはなんてつまらない学問なのだろうかと思っていたことがある。自分が浅学であることも大きいが、その内容が、とても平板に感じられたのだ。 例えば、「男は仕事、女は家事」といった性別役割分業に対する批判である。もちろん、改善が進んだとはいえ、それらが未だに解決していない重要な問題でありつづけているということは言うまでもないのだが、正直に言えば「男が悪い」式のありきたりな結論を聞くのに飽き飽きしていた時期があった。 大学で学び始めた当時は、むしろこうした議論が見開かせてくれる新しい社会問題への視座の気づきに心躍ったものだが、それ以上の目新しい知見を感じることができない日々がしばらく続いていた。そんな折に書と出会ったのである。 書の内容は、さまざまな「モノ」とのかかわりを通して、戦後の女性たちが、いかに自己や他

    『「モノと女」の戦後史―身体性・家庭性・社会性を軸に』天野正子・桜井厚(有信堂高文社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2011/07/04
    「こうした「モノ」が一方的に女性らしさを規定していると捕らえるのではなく、むしろそうした規定力と女性たちの意味づけとの相互交渉を克明に記述している」
  • 『ザ・ママの研究』信田さよ子(理論社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 先日観た映画〈ブラック・スワン〉は、「白鳥の湖」の主役に抜擢されたバレリーナが、そのプレッシャーに絶えかねて破滅してゆくさまを描いたスリラー。世代交代の波に押しやられた前・プリマの絶望、配役をめぐってのバレエ団員同士の争いなど、女たちの嫉妬が渦巻くなか、ヒロインはしだいに追い詰められ自分を見失ってゆくが、彼女がなにより怖れ苦しんでいるのは、母親の猛烈な干渉だ。 自身もかつては踊り子で、妊娠を機にそのキャリアから降りた母。女ひとりで娘をバレリーナに育て上げ、レッスンを全面的にサポートし、うるさいくらいに世話をやき、その実、娘が一人前になって成功することに我慢がならない。 真面目で練習熱心な娘は、踊りのテクニックは正確そのものだが、純粋可憐なホワイト・スワンはともかく、悪の化身である妖艶なブラック・スワンを演じるには表現力が追いつかない。仕方あるまい、彼女は母親の言うなり

    『ザ・ママの研究』信田さよ子(理論社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2011/07/03
    母親としても、娘としても読んでみたい。
  • 『二つの星 横井玉子と佐藤志津 女子美術大学建学への道』山崎光夫(講談社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 私立女子美術学校(現・女子美術大学)の創立者・横井玉子は嘉永7年(1854年)、江戸築地鉄砲州にある肥後藩細川若狭守邸内で、肥後藩の支藩新田藩家老の原尹胤(まさたね)の次女として生まれた。維新に際して熊へ帰還し、そこで横田小楠の甥・左平太によって創設された熊洋学校に学んだ。のち左平太と結婚するが、早くに夫に先立たれ、叔母にあたる矢嶋楫子のもとで諸芸を学びながら、楫子が教職をつとめる築地居留地の新栄女学校で裁縫や礼式などを教えた。 また、絵画にも興味を持ち、多錦吉郎の画塾で絵を学び、そこで浅井忠を紹介されて明治美術会に、さらには黒田清輝の白馬会にも入会している。新栄女学校が桜井女学校と合併し女子学院となると、ひきつづき教師としてつとめ、裁縫や割烹だけでなく洋画も教えた。当時、女性の絵画教師というのは珍しい存在だったという。 玉子が女子のための美術大学を、と思い立っ

    『二つの星 横井玉子と佐藤志津 女子美術大学建学への道』山崎光夫(講談社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2011/03/24
    女子美の創立者。